ひとときの夜/ゴーカイ



 真夜中のガレオンは物憂げだ。足下を見れば、摩天楼の不夜城が広がっているとわかってはいる。人々は眠らない。街に降りれば、絶えることのない灯りと、夜に独特のざわめきに満ちている。
 ゴーカイガレオンは、ほんの少し前までは、音も空気もない空の大海原を航行していた。その静けさが、地球に居着いた今もどこかに残っている気がする。
 昼間のにぎやかさを嫌っているわけではないが――このあたり、ルカには誤解されている気がする――夜の静けさも悪くない。たまにひとりで起き出せば、自分以外の音が消えてしまったような錯覚さえ覚える。
 ジョーは廊下を歩む。聞こえるのは、不思議と安堵する低い機械音と、自身の足音だけだ。他のメンバーは、全員眠ったのだろうか。
 サロンへ続く扉の隙間は薄暗い。サロンへと上がったジョーは、照明の落とされた室内に視線をめぐらせ、小さく息をついた。安堵か予想外か、自分でもよくわからない。ジョーが自室へ引き上げたときには、まだ、マーベラスは地球儀とナビィを交互に睨みつけていたし、ハカセは心配そうに眉根を寄せてシステムの調整をしていた。
 てっきり、時間も忘れて没頭しているのではないかと思ったのだが。
 薄暗い室内の残っているのは、眠るように淡い光を灯すナビィだけだ。空調も絞られているようで、うっすらと肌寒い。
「なんだ、もういないのか」
 こぼしたつぶやきが存外大きく響いた。苦笑がもれる。
 ここに来て、何をしようというわけでもなかった。根を詰めているふたりのわずかな息抜きの相手にはなれるだろうが、せいぜいその程度だ。お宝に関する嗅覚ではルカやマーベラスが優れているし、メカに関する腕では、ジョーたち4人の知識や技能をあわせてもハカセの足下にも及ばない。アイムのように、お茶を供することもできない。
 できることと言ったら、進展や愚痴を聞くだけだ。わずかなりとも楽になると知っている。
 このところ、無茶な戦闘が続いている。そのせいだろうか。夜更かしの多いふたりが、柄にもなく気になったのかもしれない。もっとも、部屋に戻ったのならばここにいる意味もないが。
 きびすを返そうとして、それに気づいた。
 コンソールの影から、もじゃもじゃの金髪と、黒と見まがうような暗い緑の肩がのぞいている。なにをどうしたら見間違えられるというのか。
「ハカセ」
 呼びかけてもぴくりともしない。肩が安らかに上下し、穏やかな寝息をこぼしている。腿の脇に投げ出された左手の指はゆるく丸まり、油にまみれた傷だらけの指先をかばうように上向いていた。
 そのすぐそばに、ゴーカイガンが落ちている。ほこりはひとつ残らず落とされ、指紋をつけないためか半ば布に包まれている。昼間無茶をしていたルカのものだろうか。
 歩み寄り、拾い上げる。
「修理してたのか」
 どこが壊れていたのかもわからない。完璧に整備されているが、このゴーカイガンはいつ持ちこまれたのだろう。少なくとも、ジョーがいる時間帯に、ルカがハカセに近づくことはなかった。部屋に戻る間際に思い出して、渡したのだろうか。
 修理が終わって、気が抜けてそのまま眠ってしまったに違いない。よく見れば、髪の先にワッシャーが絡みついている。このぶんだと、ビスも何本か混じっていそうだ。
 どちらも、ゴーカイガンのものではないようだった。
「ハカセ、起きろ」
 肩をいささか乱暴に揺する。うつむいた頭が跳ね上がった。一瞬でものけぞるのが遅れていたら、あごに強烈な頭突きを食らっていただろう。
 ハカセは奇声を上げて飛び上がった。起き抜けに幽霊にでも遭遇したような顔をして、ものすごい速さで後ずさっていく。途中で工具箱にぶつかり、ひっくり返った。思い切り後頭部を打ちつける。工具箱の中身が勢いよく散らばり、にぎやかな音を立てた。
 後ろでナビィがけたたましい声で騒ぎ立てる。
「うるさい、うるさーい!」
 軌道定まらぬままふらふらと飛んできたナビィを片手で押し戻し、ジョーはため息を落とした。今夜何度目のため息だろう。
「……なにしてる」
 どんな夢を見ててその反応だ、という質問は飲みこんでおく。うっかりと理解できない答えが返ってきても困る。
 情けない顔で頭をさすり、ハカセは身を起こした。顔に油汚れがついている。
「なにって、修理だよ。ゴーカイガンを直してたんだ。銃身も曲がってたし、割れてたし、ほとんど交換だ」
「明日でもよかったんじゃないか」
「今日中に直さないと痛い目見るって言われたんだ」
 気が抜けたように笑う。
「もう変わっちゃったけどね。だからかな、変な夢は見るし、頭はぶつけるし」
 大きなあくびをひとつ。犬のように頭を振り、両手で顔をこすった。もはや、汚れていない箇所を探す方が難しい。寝ぼけ眼で見上げてくる。
「もう、ルカも寝てるかな」
「寝てるだろ。朝起きたら渡せばいいんじゃないか」
「ルカより起きるの遅かったら、部屋まで乗りこんでくるよ……」
 鍵をかけておいたとしても突破してくるだろう。勝手に解錠するか、まどろっこしさに業を煮やして銃撃してくるか、そのときになってみないとわからないが。起きて扉を開けるまで、ひたすらノック爆撃という可能性もある。
 ゴーカイガンを布に包み直す。顔の高さに軽く掲げた。
「届けてきてやる」
「えっいいよ、僕行くよ」
 ハカセは慌てて立ち上がった。途端、ドライバーを踏んですっころぶ。ジョーがとっさに腕を伸ばしていなければ、ハカセは顔面から床に戻っていただろう。ありがと、と決まり悪そうに笑う。
「いいから、風呂に入れよ。頭も顔も真っ黒だろ」
「えぇ!?」
 慌てて両手で顔をぬぐい、事態を悪化させる。薄暗い中でも惨状がわかったらしい、がっくりと肩を落とした。両手を腿で拭ったのは無意識だろう。汚れの落ちた手のひらを愕然と見つめ、さらにうなだれてしまった。
 さながらしおれたひまわりだ。
 行けと背を押すと、しぶしぶといった様子ながら歩き出した。足下がおぼつかないのは、強烈な眠気のせいだろうか。一度振り返ったが、視線で促すとそれ以上は食い下がらない。
 足音が遠ざかるのを待って、すねたようにそっぽを向いているナビィを振り返った。冷たく押し返されたのがお気に召さなかったらしい。
「ハカセのこと、起こしてやれ。風邪でも引かせるつもりか」
 ナビィは答えず、完全に背を向けてしまった。スリープモードからたたき起こされて、かなり機嫌が悪いようだ。
「整備なしでいいのか。それとも、俺たちに整備されたいか?」
 ナビィは飛び上がった。勢いよく首を振り、大急ぎで振り返る。物憂げなため息のSE、がっくりと肩を落としてうなずいた。
「わかったよ……」
 いかにもしぶしぶといった体だが、はっきりしない頭でも、ジョーたちに整備される危険性について思考が及んだのだろう。
 本当に起こすかどうかは、そのとき次第だ。
(あとで様子を見に行くか)
 うっかりすると、壁にもたれて寝こけているかもしれない。そもそも、そこまでたどり着けるかどうか。
 その前に、マーベラスが部屋に戻っているか確認した方がいいだろうか。自室以外で前後不覚になっているところなど想像したくもないが。
 軽く放り投げたゴーカイガンを危なげなく掴み、ジョーはサロンを出た。


 ザンギャックの侵略の手は、今日も緩みそうにない。自分の武器の整備は自身でするように、ルカに申しつける必要があるかもしれない。
 聞く耳持つかはわからないが。
 サロンの惨状を放置してきたことに気づいたのは、ルカの部屋の扉をノックした瞬間だった。