シルルを探せ/ゴーカイ



 そもそも、ラッコは牧場で飼えるものなのだろうか。鎧がその考えに行き当たったのは、ジョーと一緒に腕立て伏せに励んでいるときだった。おかげで回数が頭から吹っ飛んだ。
 鎧はああー、と声を上げて体を起こす。
「なに、変な声出して」
 ソファで新聞を読んでいたルカが顔を上げる。鎧は首のタオルで汗を拭き拭き、ルカにへにゃりと笑みを向ける。
「ちょっと、思い出したことがあったんです。そしたら回数飛んじゃって」
「93回」
 ジョーがつぶやくように言った。他人の分までしっかり数えていたのかと感服する。鎧ではとてもこうはいかない。自分よりも多いだろうな、くらいだ。視野の広さも、彼の戦士としての偉大な資質のひとつなのだろう。
 ジョーはなめらかに身を起こした。鎧のように床ではなく、ハカセがいつも使っているスツールに腰を下ろす。こめかみを汗が伝い落ち、髪に吸われて消えた。無造作にタオルでぬぐう仕草が、実に様になる。
 いつの間にかテーブルに用意されていたスポーツドリンクに、ジョーはためらうことなく手を伸ばす。一方を渡され、鎧はあたふたと受け取った。
「ありがとうございます!」
「用意したのはルカだ」
「ええっ!? ルカさんいつの間に……ありがとうございます!」
 ルカは新聞を繰りながら微笑した。
「別に。ふつーに行ってふつーに帰ってきたけど」
「気配を悟らせないなんて、さすがです!」
 今、サロンにいるのは鎧たち3人だけだった。ハカセはマーベラスに引きずられてガレオンを降りていったし、アイムは心配してついて行った。ナビィは甲板でひなたぼっこをしてくると行っていたが――焼き鳥にならないだろうか。機械だけにその心配は無用だろうか。
 むしろ、熱で不具合が起きないか心配すべきか?
「それで? なにを思いだしたの?」
 鎧が飲み干すのを待ってくれたのか、グラスを置くと同時にルカが問うた。鎧は汗で湿った頭を掻く。
「いや、この間、シルルの話になったんですけどね」
「ああ、シルル」
 ルカの目元がうっとりとゆるむ。
「秋がいっちばん脂乗ってて、最高においしいのよねー」
「そうか? 俺は手羽先がいい」
 ジョーの言葉に、ルカはなに言ってんの、と言わんばかりの一瞥をくれた。
「言っとくけど、秋シルル食べたら価値観変わるよ? っていうか、食べたことないの?」
「……ある。と思う」
 なぜか自信なげだ。ルカはややあごを上げ、唇をほころばせて言葉を連ねる。
「シルルってあれよ? 茶色くて、脇腹だぶだぶで、丸い頭の」
「ああ、ポケットに子どもを入れておくあれか?」
 ルカは目をしばたたいた。
「違うって。それはバレンでしょ? 耳長くて跳ねるやつ。シルルは耳小さいし」
 茶色くて、ポケットがあって、耳が長くて、跳ねる――なんだろう、ワラビーだろうか。
「丸い頭ってなんだ。動物の頭は丸いだろ」
「バレンは逆三角でしょ。シルルにはポケットはないの。ほら、冬にはいい毛皮と脂がとれる……」
「毛皮と脂……? ああ、ジージ……」
「違うって! あんなに大きくないし、海にもいない! っていうか、ジージはつるっつるじゃないの。どっから毛皮とるのよ」
「海にいない……じゃあ、バレンか?」
 鎧は思わずこけた。さっき否定されたばかりだ。
 案の定、ルカはあきれたようなため息をつき、テーブルをばしばしと叩いた。一方のジョーは、あまりにもまじめくさった顔をしている。本当にわかっていないらしい。
「もー、バレンは違うって言ってるじゃない! あんたの星はどんだけ乾いてたのよ!」
「海水をくんで放っておくと塩がとれる」
「そんなの、どこの星でも同じじゃない。ねえ、あんたほんとにわかんないの?」
「シルル……食ったことはあると思うが……わからん……」
 ジョーの眉根には見事な渓谷がみっちりと刻まれている。組んだ手に鼻を乗せ、必死に考えをめぐらせている様子だ。
 鎧はそっと挙手してみた。ルカが怪訝そうに片方の眉を跳ね上げる。
「なによ。地球にはシルルなんていないでしょ?」
「そうなんですけど……ハカセさんが言ってました。シルルはラッコに似てるって」
 ぽん、と手を打つ音が重なる。
「それだ!」
「そうか! あれなら食った。罠が壊れて毛皮が売り物にならなくなったが」
 ジョーがシルルの皮をはいでいるところなんて想像したくない。鎧にとっては、正直、残酷映像だ。
 そっかそっかと納得した様子の彼らを前に、はたと鎧は思い当たった。
 ラッコに似ているという割に、海にいないというのはどういうことだろう。後日ジョーに訊いたところ、彼は「俺の故郷では海にいた」と、こともなげに答えた。
 ますます謎だ。