谷家に来た/ゴーカイ&シンケン



 ホットケーキを自分で作るのも久しぶりだ。
 でたらめな鼻歌を歌いながら、千明はフライパンを火にかける。フライパンに輝くのは、薄く広げたバターだ。強火で予熱、ぬれ布巾に1秒――弱火にかけて、いよいよ材料投下だ。
 タイマーのスイッチを押す。3分経ってすぐ裏返し、蓋をする。あと2分もあれば完成だ。
「うまそうだな」
「うわあぁあ!?」
 突然の声に、千明の手からフライパンが飛んだ。網戸を破ってずかずかと入りこんできた男は、当然のような顔をしてフライパンをキャッチする。
 吹っ飛んだ蓋には目もくれず、手づかみでホットケーキをちぎり、口に押しこんだ。
「いやそれ生焼けなんだけど……つか、あんた誰!?」
 土足で台所に上がりこんできた赤コートの男は、フライパンでこちらを指しながら不敵に笑んだ。
「キャプテン・マーベラスだ」
「……帰れー!」
 千明がぬれ布巾を投げつけると、マーベラスは面倒くさそうに避けた。
「んな食えねえもんよこすな。これうまいな、もっと作れ」
「なんなんだよお前、アホだろ!? なんでひとん家に勝手に入ってんの!? 俺のホットケーキまで食いやがって……」
「ホットケーキか。今度作らせるか」
 なにその「うちのシェフのレパートリーに加えさせるか」みたいな台詞。
 話の通じない男の出現に、千明は本気で対処法を見失った。
「……あれ?」
 ふと思い出した。この容姿に言い回し、薫の話に出てきた男にそっくりではないだろうか。戦うための力をすべて失ったあの日から間を置かずに現れた、赤い海賊船に乗る男に。
「キャプテン・マーベラス?」
「何度言わせんだ」
 タネを覗きこみながら、マーベラスは偉そうに答える。
「海賊戦隊ゴーカイジャー?」
「そうだ。ほしいものは必ず手に入れる、宇宙海賊って奴だ」
「海賊とか何でもいいけどさ、小麦粉生で食ったら腹壊すんですけど」
「俺の腹は、んなやわじゃねえ」
「宇宙人の腹ってどうなってんだよ……」
 庭ががさがさと騒がしくなった。今度はなんだよとげんなり視線を向ければ、青いジャケットを着た長髪の男が、ぶち破られた網戸から上がりこんでくるところだった。形相と相まって、ものすごい迫力だった。
 押しこみ強盗だと確信するくらいには。
(どうなってんのこの辺の治安……)
「マーベラス!」
 その怒声に、包丁で武装する必要はないらしいと悟る。
「ジョーか。お前も食うか? うまいぜこれ」
「いきなり他人の家に上がりこむなと、あれほど鎧に言われたのを忘れたのか!」
「うるせえな……うまそうな匂いにつられたんだ。そいつが悪い」
「俺かよ」
 思わずツッコミを返すと、ジョーはすまないと言いたげに黙礼を寄越した。そっと蓋とぬれ布巾を手渡してくれる。
 庭まで飛んでいたらしい。
「フライパンもさっさと返せ。帰るぞ」
「いや。もっと食ってからだ」
「悪質なタカリかよ」
 なぜか得意げな笑顔を返される。そこでドヤ顔全開にされてもものすごく困るのだが。
 そのとき、玄関の方で物音がした。
「千明ー!」
 聞こえてきたのはやたらとよく通る男の声だった。なにをどうしたって聞き間違いようがない――流ノ介の声だった。
 千明はめまいを覚えてテーブルに両手をついた。なぜ、事態はややこしくなろうとするのか。確かに、勝手に上がれとは言っておいたが――足音はなんの迷いもなく台所までやってきた。
「千明、邪魔する……どちらさまー!?」
 歌舞伎で鍛えられまくった大音声が、谷家の台所を揺るがした。驚きすぎたらしく、飛び退いた拍子にのれんまで落っことしてくれる。衝撃で壁掛け時計が落ちた。電池が飛び出し、食器棚のうしろにダイビングする。
 もう、頭を抱えるしかない。
「もー好きにして……俺知らない……」
「知らないとはなんだ、知らないとは!? 彼らはいったい何者だ! まさか……押しこみ強盗!? こうしてはおれん、警察に連絡だ!」
「ちょ、ちょっと待てって! 強盗じゃなくて、海賊!」
 流ノ介はくわっと目を見開いた。毛細血管まで見えてちょっと怖い。
「なに、海賊だと!? こんなプチ田舎のど真ん中に、海賊!? 海もないのにか!」
「田舎!? ひとん家にメシ食いに来といて田舎って……いやいや、流ノ介だって聞いただろ、宇宙海賊の話!」
「宇宙海賊……ああ、姫が見極めに行かれたという、彼らか! あれが!?」
 そう、あれが。
 タネを入れたボウルを手にふんぞりかえる男と、その男からフライパンをもぎ取ろうとしている男がそう。
 正直、千明にもあまり信じられないが。
「おい、ホットケーキはまだか」
「よく見ろよお前……いまそれどころじゃねえっつの!」
 テーブルを叩く。
 流ノ介が息を呑んだ。嫌な予感に視線をたどると、ジョーとがっちり視線が咬みあっている。好敵手と見なした眼光だった。
「なあ流ノ介」
「……なんだ?」
「ここで暴れたら、もう絶対うちには入れないからな。あと、姫に言いつける!」
 流ノ介がものすごい勢いで振り返った。食器棚の茶筒とのり缶が床に転げ落ちる。のり缶は無事だったが、茶葉は床に飛び散った。開けたばかりの新品なのに。
「なっ!? 卑怯だぞ、千明!」
「卑怯でもなんでもいい、ひとん家で騒ぐなー!」
 結局、事態を収拾する羽目になるのは千明だ。
 流ノ介はなにかもごもご言っていたが、咳払いでごまかそうとする。マーベラスは気にせず台所を荒らそうとして、ジョーに全力で止められていた。
「すまん、すぐにこいつを連れて帰る」
「なんだと!? おい、ホットケーキはどうなる!」
「あとでハカセに言え! 頼むからこれ以上迷惑をかけてくれるな……」
「よし、お前、レシピを寄越せ! そうすりゃ帰ってやる」
「……居直り強盗かよあんたは」
「強盗だと? 俺は海賊だ!」
「……もーやだ」
 ぼやきつつも、その辺に積んでおいた、裏面の白い広告を引っ張り出す。パチンコのチラシだったが、この際なんでもいい。下にいらない広告を重ね、マジックでレシピを書き出していく。
(日本語読めんだよな……?)
 そこまで責任を持つ必要もないか。
 隣の流ノ介が感心したような声をもらしたのは、休まず続けている書き取りの成果だろうか。別に何でもいいが。
 レシピのチラシで船を折って押しつけてやる。
「もー帰れ」
「すごいなこれ。どうやって作った?」
「今見てただろ……」
「帰るぞ、マーベラス。これ以上遅くなると、ハカセがボイコットする」
「そりゃまずいな」
 そうして、宇宙海賊たちは風のように去っていった。台所の床に靴跡をくっきりと残して。
 見送った流ノ介が、難しい顔をして腕を組む。
「なあ、千明」
「なに」
「彼らはいったい、なにがしたかったのだろう」
「……俺が知りたいっつの」
 しみじみと不思議そうな流ノ介と、ぐったりした千明と。
 蔵人の帰宅前に片づけなければならないと思い至ったのは、意外にも流ノ介が先だった。

 蔵人の帰宅は、それから10分後。
「なんか……少し留守にしただけでずいぶんと荒れたなー」
 帰宅した蔵人に呆然と言われ、千明はうなだれるしかなかった。
 全力で謝り倒そうとする流ノ介をトイレに隔離しておいたのは、言うまでもない。