種を植える/奏組 その光景を音子が見かけたのはたまたまだ。 かなで寮の裏庭、ルイスの畑のすぐそばに、奏組の隊員が立っていた。音子とほとんど変わらない目線、癖一つない黒髪、陽光を宿して輝くメガネのフレーム――谷貝太一だった。 楽器を抱えた彼は、首をかしげるようにして、壁際の大地を見つめている。 「太一君、どうしたの?」 声をかければ、少しだけ逃げる様子を見せてから振り返った。子犬じみた面差しはひどくしょぼくれている。 「音子ちゃんかあ」 「元気ないですねえ」 「んだか?」 やはり元気がない。つい先ほどまで演奏していたらしく、マウスピースをぬぐう仕草を見せる。 谷貝太一は十五歳、担当楽器はチューバだ。ブラス隊に所属しているが、諸事情から戦闘員としては扱われていない。霊力の高さはヒューゴたちとも並ぶらしいが、問題はその質。 戦闘にはてんで向かない。 耳触りのよいテナーが、弱り切ったように声をつむぐ。 「こいてら見てくろ」 (うう、なんか慣れないよ……) 声楽でも十分に食べて行かれそうな声が、ばりばりの方言をこぼすギャップには、まだ違和感を覚える。かわいらしいとは思うのだが、落ち着かない。ヒューゴやルイスたちが流暢な日本語を話すから、なおさらだ。彼と話すようになった時期がだいぶ遅いからというのもあるだろうか。 方言が悪いと言っているのではない。舞台に立つ男優さんのように整った造作との差が大きすぎて、めまいがしそうなだけだ。 太一が示したのは、壁際に並ぶ3つの植木鉢だった。昨日は小さな双葉が顔をのぞかせていたはずだが、今は少し荒れた土が収まっているだけだった。 「植え替えしたんですか?」 「カラスに食べられだよ。種さまいたところだ」 芽吹いたばかりの双葉を食べられてしまって落ちこんでいたのだろうか。 (あれ? 種をまいたところなのに、なんで楽器を持ってるんだろう?) 土を掻くのにも種をまくのにも水をやるのにも、巨大なチューバが役に立つとは思えない。傷つけてしまう可能性を考えれば、持ち出したりしなそうなものだが。 少なくとも、太一の指はきれいだ。土もついていないし、爪の間にも汚れ一つない。 となれば、種をまいたあとに楽器を持ってきたということか。ますますもってわからない。本人はこれ以上ないくらいきまじめな様子だから、冗談で楽器を持ってきたわけでもないだろう。 「楽器さ吹けばすぐに芽を出すがと思ったけんど、うまぐいかねかった……」 そういうことか。がっくりとうなだれる太一の腕を軽く叩く。 「そんなにすぐに芽を出したりしたら、お花も疲れちゃいますよ。これからゆっくり出てきます」 「花じゃなくて草だ……」 「草だっておんなじです。ゆっくり待ってあげましょ、ね?」 「んだな。あ、ちっと持っててくろ」 チューバを手渡された。 (う、重い……!) フルートとは比べものにならない重量によろめく。これを軽々と支えられるのだ、体は小さくてもやはり男の子だ。 太一は楽団服のポケットに手を突っこみ、なにかを探している様子だ。 「ありがと、音子ちゃん」 片手でチューバを受け取った太一は、軽々と肩に担いで、音子に右手を伸べた。 うながされるまま両手を差しだすと、小さな衝撃が落ちる。太一が取り出したのは、ころんとした黒い種だった。小さくてまん丸な種の真ん中が、ハート型に白く盛り上がっている。 ハート型の中央に、墨によるものか、小さく目鼻が描かれていた。 思わず吹きだした。 「可愛い」 「顔さ書いでみた。それは源二君、それは源三郎君、それはクロード君」 言われてみれば、手の中の種はそれぞれに描かれた顔立ちが違う。楽しそうに大口を開けた源二、ツンツンとした源三郎、すまし顔でこちらを気にするクロード。 「今植えたのは、ヒューゴさんと、ジオさんと、ルイスさん」 「それなら、カラスに食べられたりしないね」 「んだ、カラスも跳ね返す鉄壁だな」 チューバを抱え、太一はその場に腰を下ろした。ゆっくりと息を吸い、マウスピースに唇を当てる。 紡ぎ上げられる音色は、素朴で優しい。荘厳な空へと祈るような気高さの中に、あたたかな友愛を感じられる、気がする。 音子の目には、ゆるやかに渦を巻く音色が見えた。土の表面をやわらかくくすぐり、外の世界の魅力を歌い、風のかぐわしさ、晴れた空の明るさ、恵みの雨の美しさ、生命力にあふれた隣人たちのまばゆさを紡ぐ。 太一が持つのは、植物にのみ働きかけることのできる霊音だ。魔精卵の浄化には一切役に立たない。植物を愛する彼の音楽は、かなで寮の木々に向けられている。 (戦うことはできなくても、やさしくて、あたたかくて、私は好きだな) 頭上で窓が開く音がした。見上げれば、太一と同室のクロードが顔をのぞかせたところだった。ミルクティー色の髪が、陽光を受けて金色に輝く。 飛び降りてきたクロードのウメボシが太一に炸裂するまで、あと5秒。 |