大福を買おう/奏組



 呆然と立ち尽くすジオの背に、源三郎はおそるおそる声をかける。
 本心では声などかけずに回れ右したかったが、その瞬間にとっつかまることは目に見えていた。
「ね、ねえ、ジオ」
 ジオは振り返らず、声も返さなかった。背が微かに震えている。
 ああ、帰りたい。
「ジオってば」
「すばらしい……なんとすばらしい!」
 あまりの勢いに飛び退くが、ジオはしっかりついてきた。がしっと両手をつかまれる。そうして、まるで芝居のような手振りで、木目の美しいショーケースの隅から隅までを示した。
「これが大福だというのか! これが! この菓子が! 庶民服ではなく!」
「何度もそう言ったよね!? そもそも、服で兄さんが反応するわけないじゃない!」
 周囲から突き刺さる視線が痛い。店員さんも、なんなのこいつらと言わんばかりの目で見つめてくる。できることなら距離をとりたいだろう。源三郎だって同じ気持ちだ。さっさとこの場から逃げ出したい。
 まわりのお客さんたちも続々と離れていく。そりゃあもう、関わり合いになどなりたくないだろう。源三郎が客でも、見なかったふりをして逃げる。
 普通の大福、豆大福、よもぎ大福、梅大福、そして紅白大福。ショーケースに並ぶ大福の群れに罪はないが、とにかくもう見たくもない。
 おかしいと思ったのだ、ジオが源三郎を百貨店に連れこむなんて。店員たちにさわやかに挨拶をし、荷物を預け――このとき、源三郎の弓矢もさっくり持って行かれた――エレベーターに閉じこめられて、紳士服売り場に連れて行かれた。
 そうしてのたまったのだ。「さあ、大福とはどれかね?」と。
「それに、なんで僕なのさ! 兄さんだってミヤビだってよかっただろ」
「大福の話題を振ったのは君だろう」
「そ、そうだけど」
「言い出しっぺに聞くのがいちばん手っ取り早いだろう。うむ、完璧だ!」
 舞おうとするのを、すんでのところで取り押さえる。これ以上、不審者扱いされてはたまらない。ジオは気にしなくても、源三郎が気にする。なにかの用事でここに来なければならなくなったとき、どんな顔をして来ればいいのか。
 ケースを覗きこみながら、うんうんとジオはうなずいている。よくわからない言葉は、彼の母国語だろうか。
 手は離されていたが、もはや逃げる気にもならない。ジオの気が済むまで待つことにした。待ちたくもないが、あとの面倒を考えれば手っ取り早い――たぶん。
「うーむ……日本とはなんと奥深いのか……」
「あんたの方がよっぽど奥深いよ。底が見えないよ。あるの、底。むしろ底なしだよね、ずんどこ沈むよね」
「そんな褒めるな」
「褒めてないよっ!」
 不意にジオが真顔になった。色素の薄い瞳にまっすぐに見下ろされ、らしくもなくたじろいでしまう。その目がショーケースへ向けられ、すぐに源三郎に戻された。大福と見比べられているような気がする。
 顔を逸らし、睨むように見上げた。
「なに、じろじろ見て」
「皆に大福を買っていこう」
「は?」
「見繕ってくれ」
「……それを言うためにじろじろ見てたってわけ?」
「いや、そうではないが」
 ジオの真顔は心臓に悪い。
「金平糖と大福、どちらがいい?」
「……はぁ?」
「君は金平糖が好きだろう。どちらがいい?」
「みんなが大福食べてるときにひとりだけ金平糖? 冗談でしょ!」
 一体何の嫌がらせだ。
 にっこりと笑う。待ってましたと言わんばかりの満面の笑みだ。
「そうか。ならば、全員分選んでくれたまえ」
 なんで僕が、とは言わなかった。言ったところで聞く相手ではないし、結局は選ぶ羽目になるのだから時間を無駄に使うだけだ。ジオなりの理由で決める人間とお財布を分けたのかも知れないし、何となくという可能性だってある。
 おそらくは、源三郎が子どもだからだろうが。
 怒る気はしなかった。
「って、全員分なんてさ……買い占める気なの?」
「なにか問題でも?」
(大ありだよ!)
 叫ぼうとして、やめた。なにを言っても届かない自信がある。
 売り物を駆逐するのは、お店としても他のお客さんのことを考えてもまずいとは思う。だが、うまい表現が見つからなかった。さくっとあきらめる。もういいや。
 そういえば、ジオはどうやって大福を持ち帰るつもりでいるのだろう。たったふたりで持って帰れる量とはとうてい思えない。
 期待に満ちあふれた視線をずっしりと背負い――店員さんの「はやくこいつ連れてって」というまなざしも含まれている気がする――源三郎はショーケースへと向かった。