花盗人/ダブル



 爛漫に咲き誇る花の天蓋。相棒は、宵闇を覆う桜色の群れ咲く枝を一心に見上げている。常にない間抜け面に噴きだしそうになるのをこらえ、翔太郎は声をかける。
「いいもんだろ、花見ってのも」
「僕は前言を撤回する」
 花々を透過する街路灯の光が輪郭を縁取る。淡く輝く表情は、思いの外穏やかだった。普段なら無機質の感情に覆われたようにも見える頬には、淡い笑みさえ浮かんでいる。
 花を眺めることに何の意味があるのかわからない、と、やたらと小難しい言葉を重ねて力説していた姿が嘘のようだ。
 パーカーの裾をひらひらさせながら桜の下を歩き回る相棒の姿に、翔太郎は目を細める。
 月は慎ましく細り、贈り物のような星影を雲の隙間にのぞかせている。隠れた名所というわけではないが、雨の予報が外れた夜空の下には、見渡す限り人影はない。
 吐息を吹きかけられる感覚に振り返ると、そよ風に巻き上げられた毛先の仕業だった。
 フィリップは軽い足取りで芝生を踏み、公園の奥へと進んでいく。子供のような無邪気さに肩をすくめ、翔太郎もあとを追った。
 夜ならば見つかりにくいだろう、と連れてきたが、離れるのは危険だ。
「あんまり奥行くなよ」
 答えはない。
 女のやわらかな歌声のように風が吹き抜ける。差し招くように幻想の枝が揺れた。
 目がくらむ。全身に鳥肌が立つ。喉の奥に、冷えた針金が押しこまれているような錯覚。木の下を無邪気に歩き回る相棒の姿が、不意に遠ざかったように感じられた。
 反射的に口を開く。焦燥が語勢を強めた。
「なあ、桜の下には死体が埋まってるんだぜ」
「虫くらいどこにでもいるだろう」
 間髪入れずに冷たい視線が返ってきた。
「……虫じゃねえよ」
 肺腑を冷やし、心臓を凍えさせた感覚は、大きく放った吐息にとけこむように消えていった。身の毛もよだつ妖しの美。その狂気的な凄艶を己の内にかみ砕く。
「来年も」
 我知らず声をかけていた。
「来年も来ようぜ、相棒」
 フィリップは考えこむようにうつむいた。視線がそらされたのはほんの数秒、顔を上げたフィリップは、見まごう事なき微笑を浮かべていた。
「ああ。来よう、また」
 翔太郎は低く笑い、帽子をかぶりなおした。
 あえかな風が枝を揺らし、ひとひらを散らす。気まぐれに舞う花びらは、フィリップの髪に引っかかって止まった。指先で梳き取った花びらを大切そうに両手で包み、彼は再び天蓋を仰ぐ。