サイダージャック/ダブル



 細い糸を撒いたような水滴が、頼りなげな彗星のごとく窓ガラスに尾を引く。湿気がこもることを嫌って半ば開かれたガレージの扉の向こうからは、相棒の声がとぎれとぎれに聞こえてくる。
 リンゴについて調べているらしい。翔太郎の目の前に転がっている、季節外れのリンゴが彼の興味をかき立てたのか。サンタちゃんも罪作りだ。
 くゆる香りを鼻息で吹き飛ばし、翔太郎はコーヒーカップに口を付ける。
 この1週間というもの、フィリップと会話らしい会話をした覚えがなかった。不仲というわけではないし、喧嘩をしたわけでもない。
 こうなったきっかけは思い出せない。いや、そもそも、きっかけとなるようなことがあったのかどうかすらわからない。そのときは不意に訪れ、まるでふさぎ込むように、フィリップの口数は減った。
 検索の声さえ止まりがちだった。
 頭を軽く振り、コーヒーを一気に飲み干す。酸味の強いキリマンジャロが、焼けすぎた苦みをにじませて喉をすべり落ちた。見やった窓辺は、すっかり歪んでしまっている。
「あー……まだ降ってやがるな……」
 今日も開店休業間違いなしだ。
「翔太郎」
 かすれた声に振り返ると、フィリップが扉の前に立っていた。いつの間に階段を登ってきたのだろう。足音にまったく気がつかなかった。
 相棒の声をひどく切望していたことに気づいて、翔太郎は内心で苦笑する。
「どうした?」
「現在データが存在する、すべてのガイアメモリを検索したよ。あまりに膨大だ……」
 半ば呆然とした声音に、胸の奥が氷の鎚で砕かれたようにきしんだ。
 物思いの海底から無理に引き上げられた直後のような、暗く沈みこんでいるのにひどく心をざわつかせる面差し。決して目を合わせようとしないまま、フィリップはためらうような口調で言葉を紡ぐ。
「それでも……やっぱり、僕はすべてのガイアメモリを破壊しなくてはならない」
 心臓が凍える。
 名もなき悪魔は知ったのだ。ガイアメモリの本当の罪悪を。残酷なまでに無慈悲な力を。
「不可能でもやるよ。これが、僕の……罪だから」
 つぐないたい――前髪に隠れ、フィリップの表情はわからない。唇が震えるのが見えた。
「一緒にやろうぜ、相棒。俺たちはふたりでひとりの探偵だろ」
 うなだれた相棒の丸まった肩を引き寄せる。額を翔太郎の肩に押しつけるフィリップの背を、軽く叩いてやった。がちがちに強ばっていた首から肩へのあたりがおずおずと緩み、窮屈そうに縮こまっていた体がわずかな自由を取り戻した。
 顔を上げたフィリップの目に、涙はない。
 あまりの重さに涙を流すことさえできない相棒のために、空が泣いている。