お向かいさんの軒先で、濡れた笹の葉が揺れている。
「あー、こりゃ見えねえな……」
　弓を引き絞るような弧を描く美しい月が中空にある。厚い雲の合間からのぞく幽玄の輝きには心洗われる心地がしたが、天の川はこれっぽちも見える気配はない。
　７月の空模様はいつも気まぐれだ。雨雲と星空は気ままに戯れる。人間の都合など素知らぬ風だ。
　窓から身を乗り出さんばかりにしていたフィリップが、悄然と窓辺を離れた。あとには、湿り気を帯びた風を受ける翔太郎だけが残された。
「いいのかよ、相棒？」
　窓を閉め、ベッドに腰を下ろした相棒へ声をかける。
「別にいいよ、見えないなら」
　笹やら短冊やらを買えとあれだけうるさかったのに、興味をなくせば実にあっさりしたものだ。近頃妙に不安定な様子を見せるのが心配だったが、それに比例して見せるようになった少年らしさを喜ぶべきだろうか。
（って、俺はお父さんか！）
「ねえ、翔太郎。思ったんだけど」
　フィリップはベッドに寝そべった。クリップが思い切りこめかみに刺さっているが、特に気にはならないらしい。
「織姫と彦星が雨の季節に会うのは、他の人間に見られたくないからじゃないかな」
「んなわけねーだろ。さんざん検索しただろうが」
「まあ……ね」
　明らかに納得していない口調だ。あれほど検索しまくって「七夕のすべてを閲覧した」と、熟睡している翔太郎をたたき起こしに来たのに、今更何を言い出すのか。
　豆は、苦みに混じる甘みの優しいママサ。胃袋をやわらかく刺激する香りが部屋中に満ちる。コーヒーメーカーがにぎやかな音をたて、ゆっくりとコーヒーが抽出されていく。
「……隠れてるから一緒にいられるんでしょう？」
　僕たちみたいに、と抑揚の薄い声が告げる。
　翔太郎はため息をついた。フィリップのカップに、角砂糖をふたつ。
「少なくとも、俺たちは隠れてなんかねえ。あいつらが風都を泣かすのを許しておく気はねえからな。約束したろ、風都を守る、メモリは全部破壊するって」
　つとフィリップの視線が翔太郎を離れた。
「そうだね。僕たちが会うのは１年に１回じゃない」
「俺たちには短冊も天の川も必要ねえ。そうだろ、相棒？」
　翔太郎は笑んでみせる。フィリップが笑みを返す。互いがそこにいることに、飢えるほどの安堵を覚えた。
　――共犯者。
　そして、贖罪の道を歩むもの。