失われた痛み/ダブル



 翔太郎がうなされている。ベッドの隣に椅子を運んできたフィリップは、膝を抱え、翔太郎を眺めていた。肩口の包帯は汗にぬれている。そろそろ替えた方がいいだろうか。
 立て籠もり犯の弾丸は翔太郎の肩をかすめただけだったが、夜になって発熱した。
 看病の方法を検索したフィリップは、もういいから休めという翔太郎の言葉には従わず、隣に座って見守っている。翔太郎とは違い、あまり外出もしなければ、自らの肉体で戦うわけでもない。多少の無理は利く。それに、苦しんでいる相棒をよそに安穏と過ごすのは、「ふたりでひとり」というスタイルに反する。
 夜の空気は青い。海の底のような静けさを、風車の響きが時折揺らす。
 不意に、息苦しさを覚えた。胸の底をかき回される感覚。指先がすうと冷え、血管が凍りついていく。それなのに、神経は今にも焼き切れんばかりに熱を発し、体の中心部にどろどろに溶けた鉛を飲みこんだかのような激痛が生じた。
 とっさに布団を握りこんだ。体をくの字に折り曲げる。世界が溶けて流れ落ちる。目の奥が真っ赤に染まり、視界がまだらに欠けていく。
 何が起こったのかわからない。検索をかけようにも、集中できない。空気が胸の奥でふくれあがる。呼吸が気管を通らない。息ができない、苦しい、苦しい――。
 ベッドに顔を押しつけ、唐突に悟った。
 これは、鳴海荘吉が死の間際に受けた痛みだ。看病の方法について、鳴海荘吉のやり方を検索して取り入れた。その際に、何か余計な情報が混じったのだ。
 ぎち、と歯を食いしばる。このままでは、翔太郎が起きてしまう。離れようと立ち上がった瞬間、めまいでベッドに手をついた。その手首を掴まれる。氷水を浴びせられたような感覚。沸騰する苦痛が鎮静する。
 恐る恐る顔を上げると、翔太郎が目を開けていた。
「なに死にそうな顔してんだよ、相棒。苦しいのはこっちだぜ……」
 かすれた声で、不敵な響きで翔太郎が言う。
「俺はこんなだし。依頼が来たら……お前がやんなきゃなんねーんだぞ」
「問題ないよ。僕には地球の本棚がある」
「そりゃ心強い……」
 翔太郎の手が離れる。どうやら、また眠りについたらしい。布団の中に手を押し戻す。脂汗にまみれた笑顔がいつまでも瞼裏をちらついた。
 胸の内側で、心臓が激しく暴れ出す。
 鳴海荘吉を死に至らしめたのは、フィリップだ。彼を撃ち抜いた弾丸は、本当はフィリップが受けるべきだった――おそろしい確信がわき上がる。理由も証拠もない、論理性に欠ける答え。だが、それこそが正しい気がして、冷えこむ胸を強く締めつけた。
 あの夜の真実を知ったとき、翔太郎はフィリップを撃つだろうか。殺したいと願うだろうか。
 翔太郎が仇討ちを選んだとしても、きっとフィリップは何の抵抗もなく受け入れるだろう。彼には、その理由も正当性もあるのだから。