オフタイム・ブレイク / 電王



 時間のはざまを駆けるデンライナーは、眠る子供の傍らをすり抜けるように深沈と軌跡を伸ばしていく。
 静寂の落ちる食堂車。ソファのひとつを独占したウラタロスは、微睡みを誘うような揺れに身を任せ、普段よりもゆったりと過ぎ去る時間を楽しんでいた。大暴走にさんざん振り回され、疲労も抜けきらぬうちに戦いにかり出された直後だ。もとより戦いを好む性質でもないし、普段よりもゆったりと過ぎていく時間は、何よりも心地いい――はずだった。
(でも、これじゃねえ……)
 きれいなカーブを描くコーヒーカップの縁をひとなでし、ため息をひとつ。
 食堂車のテーブルのひとつが、モモタロスに再び占拠されていた。部屋に戻ればいいものを、寝心地の悪さは折り紙付きのテーブルにうつぶせになってうんうんうなっている。腰には巨大な湿布が貼られ、嫌がらせのように包帯でぐるぐる巻きにされた上に、みんなの寄せ書きがてんこ盛りになっていた。
 いちばん優しいのはもちろん良太郎のもので「はやく良くなってね」とある。いちばんひどいのはリュウタロスだろうか。「バーカバーカ」と容赦なく真っ赤なクレヨンで殴り書きされている。もっとも、意味不明レベルで言えば、誰もオーナーの書には敵わない。なぜか、包帯の端の方に大きく「代金」とだけ書かれている。
 盛んにじたばたする赤色から視線を外す。あじさい風のカラーリングが施されたコーヒーはナオミの力作なのに――彼女はそうは言わなかったが、一目でわかった――せっかくの初夏の彩りが台無しだ。
「また腰をやっちゃうなんて。先輩もほんっと運が悪いよねえ」
「うるせえ! 運悪いって言うな!」
「仕方ないですよう。ウラちゃんたちが駆けつける前に、イマジンに腰をぶっすり刺されちゃったんですから」
「もーっ! ナオミちゃん、危ないー!」
「ちょっとリュウタ!」
 ナオミが振り回すフォークを危うくすり抜け、リュウタロスが隣に飛びこんでくる。背後でばらばらとクレヨンが飛び散った。どうやら、隅の方でひとりお絵かきに励むのも飽きたらしい。
 座っていてよかった。立っていたら、カップを奪おうと乱暴に伸ばされた手にひっくり返されていただろう――もちろん、ウラタロスごと。あごを捕まえてくる手の甲を軽く叩く。
「あのねえリュウタ、これは僕のだよ。お前のじゃないでしょう」
「ぼくもコーヒー飲みたい! 答えは聞かないよ!」
「質問もしてないでしょう」
 何とかしてよ、とナオミに目を向けるが、がくがく揺さぶられる視界の中、彼女は申し訳なそうに両手をあわせた。きれいな赤の入ったまつげをしばたたかせる。
「それが、ちょうどコーヒー切らしちゃってて。ウラタロちゃんのが最後なんですう」
 NEWデンライナー暴走事件の弊害か。
 ウラタロスはすっぱりコーヒーを諦めた。一口も飲んでいないコーヒーを取られるのは面白くないが、感情にまかせて大暴れされるよりはよほどましだ。かんしゃくを起こしたリュウタロスが騒ぎ出せば、コーヒーがこぼれるどころかカップが割れかねない。それに、リュウタロスをなだめるのにどれほどの時間と労力が費やされるのか、想像したくもなかった。
 こんな小さな子供でも、スペックはウラタロスとは比べものにならない。ひとりで手綱を取るのは不可能だ。
 待っていればまた入れてもらえるのだから、この1杯に固執する必要もない。
「やたーっ! ぼくのコーヒー! カメちゃんにはあげないからね」
「はいはい」
 ナオミが謝るように素早く首を曲げた。コーヒーが入荷されれば、最初の一杯は特別仕様を期待できるかも知れない。
 見せつけるようにコーヒーをすするリュウタロスから視線を外し、ウラタロスは頬杖をついた。なんだか、さっきからため息ばかり落としている気がする。
 モモタロスがうなる。
「あーくそ……俺のクライマックスはどこだぁぁぁ……」
「モモタロちゃんは、いつでもクライマックスなんじゃないんですか?」
「こんな腰痛でクライマックスになれるかよ!」
 エビのように体を跳ねあげて怒鳴ったモモタロスは、そのまま床に落っこちた。腰へのダメージが倍増したのか、腰を押さえて見苦しく転げ回る。赤い踵が支柱をかすめ、テーブルが大きく揺れた。リュウタロスが抗議の声を上げるが、今のモモタロスには少しも届いていないだろう。
 何だか嫌になってきた。つい先ほどまではもっと静かだったのに。
(あーあ、外に行きたいなあ……)
 できれば着ぐるみ非着用で。
「そういえば……」
 ナオミがつぶやきをもらした。何とか座席に這い上がったモモタロスに勢いよく詰め寄る。
「モモタロちゃんは、デンライナー降りたあと、なんでミルクディッパーに行かなかったんですか?」
「あんな知らねえ場所に放り出されたら、店がどこかなんてわかんねーよ!」
「良太郎ちゃんとテレパシー通じなかったんですか?」
「テレパシーって……なんかそれ、違うんじゃないかな……」
 ウラタロスのつぶやきはきれいに黙殺された。モモタロスはテーブルに掌を叩きつける。
「できたらすぐに向かってるよ! あんときゃつながんなかったんだよ……なんだか知らねえけど」
「じゃあさ、じゃあさ」
 リュウタロスがコーヒーをテーブルに置き、嬉しそうにモモタロスを振り返った。座席に膝をついて、ひっくり返りそうな勢いで身を乗り出す。思い切り腿を蹴られたウラタロスは小さく悲鳴をこぼしたが、紫色の子供はもちろん少しも気にしない。足をばたばたさせて首を傾げた。
「お姉ちゃん見つけたときに、ついていけばよかったんじゃないのー? そしたら、良太郎のところまで行けたよ! ぼく、あったまいーい」
「ばっかやろう! そんな迷子みてえなみっともない真似できるか!」
「ぼくだったら気にしないもんねーっ。お姉ちゃんについていって、お店手伝うんだ。お皿洗ったり、一緒にお片づけしたりー。楽しそーっ」
「僕たちみたいなイマジンに押しかけられても、愛理さんは困ると思うけどねえ」
 腿を蹴りたくる足を苦労して押しやり、ウラタロスはため息をついた。
「ですよねー。お客さん、びっくりして帰っちゃいますもんね!」
「くそー……良太郎のセンスの悪さを恨むぜ……」
 そういう問題だろうか。
「それにー!」
 リュウタロスがようやく姿勢を戻す。コーヒーを飲みながら、したり顔で――声音からするとそんな様子だ――言う。
「モモタロスが行ったって、なーんにも役に立たないもんね」
「それは同感」
「なんだとこのカメ公にハナタレ小僧! お前らが行ったって同じだろうが! カメは女釣るだけだし、リュウタは遊び回るだけだろ!」
「見くびってもらっちゃ困るよ、先輩。必要なら男だって釣るよ」
「すっごーい! さすがウラタロちゃん!」
 別に拍手されるところではないと思う。やらなきゃならないならやるが、やらなくていいなら絶対やりたくないし。
「ぼくだって違うもんね! モモタロスみたいに馬鹿じゃないしーっ」
「誰が馬鹿だわがまま小僧!」
 モモタロスが勢いよく飛び起きた。腰が痛いこともすっかり忘れた様子で、くるくると踊るように逃げるリュウタロスを追いかけていく。自動ドアがせわしなく開閉した。リュウタロスの歓声とモモタロスの怒声が小さくなっていく。線路を駆ける揺れとは明らかに違う不規則な震動が遠ざかり、食堂車はようやく静けさを取り戻した。
 手を振って見送っていたナオミは、いたずらめいたまなざしでウラタロスに笑いかけ、カウンターに戻っていった。
 けだるい光の溜まりに、ぽつりとカップが残されている。クリームはほとんどなくなっていたが、コーヒーは数口分しか減っていなかった。戻ってきたら、冷めて苦いとかモモタロスのせいだとか言って、また大騒ぎするのだろう。
 そうなる前に、部屋に戻るべきだろうか。
 低い足音が近づいてくる。どこか金属質で威圧感にも近い重さを含んだ気配は、キンタロスのものだ。視線を向けた先で自動ドアが開く。太い腕を組んだキンタロスがのしのしと食堂車に足を踏み入れた。怪訝そうに背後を振り返るような仕草をしながらそばまでやって来る。背もたれの向こうにどすんと腰を下ろした。
「どないしたんや、あのふたり。えらい勢いで駆けてったで」
 あごをしゃくるように顔を向けられ、ウラタロスはとっさにのけぞった。真っ黒な角が額をかすめる。ほんの少し触れただけなのに、驚くほどの衝撃が脳天を駆け抜けた。
「ちょっと、気をつけてよねキンちゃん! その角痛いんだから」
「ああ、すまんなあ」
「……まあ、いいけど。とにかくさ、先輩は元気になったってことでいいんじゃないの。リュウタと追いかけっこできるくらいなんだから」
「まあ、元気なんはいいことやな」
 言うなり、腕を組み直して眠りに入ってしまう。うっかり寄りかかられたりしないように、ウラタロスは少し距離をおいた。
 やがて、線路を駆けゆく音にキンタロスのいびきがまじる。カウンターの向こうでなにかを作っているらしいナオミの鼻歌が、遠い潮騒のようにとぎれとぎれ届いた。
 ため息をひとつつき、ウラタロスは車体の揺れに身を任せる。このまま午睡に落ちるのと、モモタロスたちが戻ってくるのと、どちらがはやいだろうか。

*  *  *

 超・電王トリロジーを観て以来、こみ上げるなにかを書いてみたところ、こんな話になりかーなーりびっくりです。エピソードレッドはけっこう評価が分かれている観たいですが、私は好き。
 私が描くウラタロスが傍観者の立場になりがちなのは、いろいろフィルタがかかっているからだと思います。