愛情/FF零式



 零組の教室の扉が破裂した。
 それはシンクの勘違いだったが、そう思うのも無理はないと思う。砲声のような音を立て、扉は壁に跳ね返った。心臓が軽くジャンプした気がする。
 シンクがいたのは、開いた扉の数歩前。早歩きしていたら、確実にぶつかっていた。
 そんな開け方をするのは怒り心頭のナインくらいだと思っていたが、飛び出してきたのはケイトだった。
「あれー? どしたの、ケイト」
 床を踏み抜く勢いで歩いてくるケイトは、雷光のような瞳を向けてきた。機嫌は最悪レベルだ。
「あいつ……止めなきゃ殴ってやったのに!」
 叫ぶなり、壁に拳を叩きこむ。壁はしっかり耐えてくれたが、ものすごく嫌な音がした。ケイトの拳よりも、受け止めた壁が心配になる。たぶんケアルじゃ直らないし、ウォールじゃごまかしにもならないだろう。
 ぎらつく目は教室を振り返ったが、戸口の向こうに見えたのは、懸念のまなざしを向けるトレイだけだった。
 手を振ってみる。なぜか視線でたしなめられた。
「なんで止めんのよ!」
 さらに一発。トレイが軽くうなだれるのが見えた。ケイトが殴りたいのはいったい誰なんだろう。
 シンクはのほほんと首をかしげた。ケイトの顔を覗きこむ。
「ケイト、荒れてるねえ。どしたの? なんかあった?」
 舌打ちをひとつ、ケイトは顔を背けた。
「あたしは言いたくない。トレイにでも訊けば?」
 シンクを押しのけると、蹴破らないのが不思議な剣幕で扉を開け、エントランスへと駆けだしていった。
 ぎちぎちときしむ扉が閉まるまでのほんの数秒の間に、数人の候補生が飛び退くのが見えた。今のケイトはヤマアラシだ。普段の愛想のよさを知っていても、話しかける気にはならないだろう。
 目があった瞬間に、全力で威嚇されかねない。
 ケイトも火はつきやすい方だが、あそこまで爆発するのもめずらしい気がする。
(ちょっと気になる、かなー)
 ケイトが言うとおり、トレイに訊いてみるのがいいだろう。
 律儀にも扉を閉めに来たトレイに手を上げ、シンクも教室に入った。
「やっほー、トレイ」
「やあ、シンク」
 零組の教室には、レムとマキナもいた。レムはシンクを振り返り、微笑を向けてくれる。やっほー、と手を振ると、小さく手を上げてくれた。
 いい子だ、と思う。喘息を抱えていては体がつらいこともあるだろうに、よく気を遣ってくれるし、戦闘時のサポートも的確だ。レポートや報告書で苦戦していると、さりげなく手伝ってくれたりもする。
 ほんといい子だ。レムだったら従姉妹でもいいかも、と思うくらいには、シンクは好意を持っている。
 だが、マキナは一切反応を見せなかった。なにか気に障ることでもしたっけと心配になるくらい、リアクションがなかった。隣のレムが――なぜか申し訳なさそうに――軽くつついたが、マキナはレムに顔を向けただけだった。
 シンクからは、真っ黒な後頭部しか見えない。
 ちょっとむっとした。
(もーマキナんてば)
 シンクだって、ちょっとは心配したのだ。それなのに、見事なまでの完全無視。ちょっとメイスで叩きたくなる。ちら、とトレイをうかがってみれば、やめなさいと言わんばかりにため息をつかれた。
 見抜かれている。
(ちぇー)
 魔導院から抜け出し、作戦放棄までやらかしたのだ、反省文の提出くらいじゃすまなかっただろうに。
 まあいっか、これはマキナ本人の問題だ。シンクには関係ない。
「ねえ、トレイ。なーんかケイト怒ってたよねえ。どったの?」
 めずらしいことにトレイが詰まった。その目が一瞬だけマキナに向けられるのを見て、ケイトが殴りたかったのはマキナなのかと納得する。
「少し行き違いがあったようです」
「行き違いかあ。ふーん」
 ゆるいゆるいと言われるシンクでも、ここで訊くのがまずいことくらいはわかる。
 廃屋の一件以来、マキナはレム以外の零組に対して否定的だ。攻撃的とさえ言えるかも知れない。雰囲気はどんどん悪くなる一方だ。あのナインさえ、マキナと同じ空間では居心地が悪いらしいし、なにかがおかしいと首をひねってさえいた。
 妙なことにならなければいいが。
 マキナの後頭部を軽く睨みつけてから、ぐるりと教室を見回す。
「あ」
 そこでようやく、教室にいるのが4人ではないことに気がついた。
 黒板に秘匿大軍神がいる。とげとげしたプリンのような姿だが、何となくわかる。巨大な歯車らしいぎざぎざの円や、左右均一に並ぶタケノコのような塔、左斜め下に口を開く細長い不等号記号――全体的な姿と総合すれば、ほぼ間違いないだろう。
 白いチョークの線はところどころひょろひょろだったが、特徴は意外と拾えている気がする。右下には「J」の文字が入れられていた。
「あれって秘匿大軍神だよねえ?」
「ええ。描いたのはジャックですよ」
「うーん、それっぽい、かも?」
「シンクがそう言うのですから、似ているのでしょうね」
 記憶力抜群の人間には、あまり似ているものとは見えないらしい。クイーンやエースあたりの意見も訊いてみたいところだ。レムたちにも振ってみたかったが、少しも動かないマキナの後頭部を見て、やめておく。
 たぶん、まともな答えを返してくれないだろう。レムにも悪いし。これでも、ちゃんと気遣いできるのだ。
 よいしょ、と机に座ったら、トレイに視線で怒られた。愛想笑いでごまかしてみる。トレイはそれ以上はなにも言わなかった。あきれたようなため息をついただけだ。
「すごかったよねえ、秘匿大軍神」
 秘匿大軍神が降臨した地点は、シンクたちのいた場所からはかなり離れていた。姿を間近で見たわけではない。
 だからこそだ。圧倒的な破壊の全容を目撃した。目を灼くほどの光、痺れるような激震、頭痛をもよおすほどの圧倒的な魔力――できれば2度と見たくない。
「遺体も回収できない、タグも残らない、地形が激変するほどの破壊力……あんなものが当たり前のように召喚できたらと思うと、ぞっとしますね」
「あれ、ウォールで防げる?」
「なにを言ってるんです。全員でウォールを使っても、一撃でアウトですよ」
「えぇー」
「触れた瞬間に木っ端微塵です」
 それは大変だ。
「そっかあ。さすがに倒せないねえ」
「ええ……ですが、本当に恐ろしいのは、あのような存在を召喚できるルシかも知れません」
 床に視線を落としたトレイは気づかなかったかも知れない。というか、気がつかないでいてほしい。シンクにはばっちり見えてしまった。トレイの肩越しに見えるマキナの、冷たい一瞥が。
(うわー)
 目があったのはほんの一瞬だ。それでも痛みを感じた。好意などひとかけらもない、突き刺すような眼光。
 秘匿大軍神の話をしていただけなのに、なんであんな目を向けられなければならないのだろう。
(もしかしてー、嫉妬?)
 きっと、マキナはうらやましいのだ。でも、自分が見られなかったからといって八つ当たりしてくるのは、お門違いだと思う。作戦を無視したのはマキナだ。シンクたちは悪くない。
 舌を出してやりたい気もしたが、気にしないことにする。
「ルシかあ。ルシなら防げるかなあ」
「どうでしょうね……」
 トレイは指先であごをつついた。
「そもそも、防ごうと考えるかどうかですよね。影響のないところまで避難してしまえば、攻撃を防ぐ必要などないのですから。ルシにとって重要なのは、クリスタルの意志です。その場にとどまる必要があるなら防ぐことも考えるでしょうが……」
「トレイはさあ、ルシになりたいって思ったりする?」
 水色の目が、虚を突かれたように見開かれた。
「今までさあ、ルシになったらとか、考えたことなかったんだよねえ」
「……私がルシになる、という選択肢はないですね」
「あ、やっぱり? わたしもなしだなー。マザーのためだったらなんでもできるけど、ルシになっちゃったら、マザーのためって思えなくなっちゃうんだもんねえ」
 マザーの愛情を感じることすらできなくなるのだ。視線のやさしさも、なでてくれるぬくもりも、慈しむ声も、わからなくなる。
 零組のためならいくらでも頑張れるし、マザーのためならなんだってできる。でも、ルシになったら、流れた時間の分だけ思いもこぼれ落ちていくのだ。取り落とすのは死者だけではなくなる。すぐそこにいる仲間のことすら想えなくなってしまう。
 そうですね、とトレイはうなずく。
「秘匿大軍神さえ従える力が魅力的であることは認めます。ですが、自我の剥落、強制的な長寿だけでも大きなマイナスなのに、使命に縛りつけられることまで加味すると、どう考えても割に合いませんからね」
「だよねえ。でも、ちょっと意外かなあ」
「なにがです?」
「トレイは迷いそうな気がしたんだよねえ。ルシになって長生きできればさあ、クリスタリウムの本もぜーんぶ読めるし、あっちこっち旅していろんなもの見られるんだよ」
 どう?とシンクが首を傾けると、トレイも同じ角度で首を曲げた。背がでかすぎてあんまり可愛くないが、愛嬌は感じた。
 抱きついたら怒られるだろうか。
(絶対怒られる……)
 それに、シンクが全力でしがみつきに行ったら、トレイは段を踏み外して頭を打ちつけるだろう。うっかりすればそのまま下まで落ちていく。
 それは困る。
「嫌です」
(うぇえ!?)
 一瞬、見透かされたのかと焦った。
 挙動不審寸前のシンクに気を留めることもなく、トレイはゆっくりと言葉を紡いだ。
「考えてもみてください。知識を溜めこむことが使命だったりしたら、目も当てられませんよ」
「あ、そっかあ」
「知識を得ることに喜びを感じることすらできなくなるのですよ。言うまでもないでしょうが、みんなの命が終わっても……マザーの命が終わっても、ひとり取り残されるのです。なにもかも忘却していくだけなんてぞっとしませんね」
「あーそっかあ。じゃさ、ルシの力でみんな不老不死〜なんちゃって」
 ものすごく深いため息をつかれた。
「すっごい流された……」
「ルシにだって不可能なことはあるのです。失われる命をすくい上げることなどできないでしょう」
 マキナが振り向いた。今度は、シンクも真っ向から受け止めた。なにが気にくわないのか知らないが、敵を見るような顔をされる理由なんて、シンクたちには少しもない。
 トレイが小さく息をついた。指が軽く肩に触れる。シンクは我に返った。見上げた先のトレイの目には警告じみた光がある。へたに刺激するなと言われた気がして、シンクは視線を下げるだけでうなずいて見せた。
 ひょいと机から降りる。
「やっぱり、今のままがいちばんだねえ」
「そうですね。一緒にいられなくなるなら、ルシになることに意味なんてありません。守れる力だって、守りたいと思える心がなければ価値などないでしょう」
「そうだねえ。力だけあっても、気持ちがなくなっちゃったらどうしようもないねえ」
 黒板の秘匿大軍神を見やる。もう2度と、あの姿を見なくてすむような朱雀にしたい。そうすれば、マザーだってきっと喜んでくれるし、みんなずっと一緒にいられる。
 にんまりとトレイを見上げれば、不思議そうなまなざしが返ってきた。
「トレイってさ、ときどき恥ずかしいこと言うよねえ」
「私はいつもまじめですが」
「わかってるって」
 強めに肩を叩くと、トレイは少しよろめいた。女子同士ならつつきあいになるし、ナイン相手なら怒って追いかけてくるが、トレイは痛そうに肩をさするだけだった。ちょっと力を入れすぎたかも知れない。
 もし、ルシになったら。
 みんなと笑い合ったり、騒いだりすることすらできなくなる。
「ねー、トレイ」
「なんです?」
「今からさあ、マザーに会いに行こっかあ」
「そうですね……もうすぐ3時ですし、なにか甘いものでも持って行きましょう」
「それ、トレイが出してくれるの?」
「……みんなには内緒ですよ」
「やたーっ!」
 トレイの腕を取り、早く行こうと引っ張る。マキナの視線が追いかけてきたが、少し乱暴に扉を閉めて振り切った。
 ミッションはすぐに追いかけてくるだろう。それまでの間、少しの幸せを味わおう。

*  *  *

 第7章「王国最後の日」あたり。
 シンクはもっとゆるーく可愛くしてあげたかったのですが、意外と気が強くなってしまいましたorz
 ケイトを制するのは操作キャラなんだろうなと思いつつも、ばりばり先頭だったトレイに出てきてもらいました。ジャックは落書きの達人なイメージがあります。