カウンター/FF零式



 モンスターが少ないのは運がよかった。
 深い森だ。苔むした大地は痕跡を消しにくく、生い茂る木々は視界を狭める。空はほとんど見えない。見えたとしても視野の暗さは変わらないだろう。夜だ。月さえない闇夜。
 大昔の土石流の痕跡らしい大岩が、そこかしこに転がっていた。
 先頭を行くのはセブンだ。レムが続き、トレイが続き、しんがりはエイトがつとめている。岩を乗り越え、エイトは背後を振り返った。追撃部隊の姿はまだ見えないが、森の不穏なざわめきは確実に近づいて来ている。
「距離を詰められていますね」
 トレイの冷静な声が言う。
 専用装備を持つ皇国と、身一つの零組と――どちらが有利かなど、考えずともわかる。追いつかれるのも時間の問題だ。
 しかも、この先には魔導アーマー部隊がいる。こうしている間も、進撃を続けているはずだ。朱雀兵は離脱させたが、クリスタルジャマーの影響範囲からはまだ抜け出せていないだろう。皇国軍に、朱雀軍を追わせるわけにはいかない。
 そのためにも、追撃部隊と魔導アーマー部隊は合流させずに、森の中で叩く。
 魔導アーマー部隊と戦うまでは、魔法をなるべく使うなと言われたのも、こちらの位置を伏せるためだろう。
「このままだと魔導アーマー部隊と挟み撃ちになるな」
「ここで迎え撃つの?」
「いや……」
 それが得策とは思えない。こちらは機動力を削がれている。二手に分かれるのがいちばんだが――2:2で分けるには、魔導アーマーの数が多すぎる。魔法を使えないレムには厳しい戦いになるだろう。
 加えて、今はコムの長距離通信機能が使えないのだ。敵が増えていても、エイトたちにはわからない。こちらの援軍は来ない、それだけは言い切れる。
 セブンがトレイに目配せする。
「なんとかできないか?」
 トレイが目を伏せた。ほんの一瞬だったが、明らかにひるんだ。セブンが目をそらす。
 エイトは内心で首をかしげた。セブンの声の硬さも、トレイの逡巡も理解できない。いちばんわからないのは、セブンがトレイだけに訊いたことだ。
 策を考えろと言ったようには聞こえなかった。お前ならどうにかできるだろというニュアンスだったように思う。罪悪感にまみれたまなざしをしていた。あるいは、替われるなら替わりたいと、いたわるような――。
 トレイが躊躇を見せたのはほんの数秒だった。
「やってみましょう」
「……すまないな」
 セブンがトレイの腕に軽く拳をぶつける。トレイはわずかに微笑を見せた。
「いえ。狙撃手のつとめですから、当然のことです」
 彼が何をしようとしているのか、悟った。確かに、それは射手の――いや、スナイパーのつとめかも知れない。だが、この場にいたとしても誰もケイトには任せないだろう。
 残酷な長丁場になる。
「私が食い止めますから、セブンは斥候を。合図を待ってエイトとレムも行ってください」
 セブンに偵察を任せたのは、少しでも負い目を軽くするためだろう。セブンは深くうなずいた。身を翻し、森の奥へと進んでいく。
 レムが心配そうにトレイを見上げる。
「いくらなんでも、ひとりじゃ危なくないかな。私も少しなら……」
 トレイは静かに首を振った。穏やかにレムへまなざしを注ぐ。
「大丈夫ですよ。接近戦なんて、よほどのことがない限りありませんから」
「援護する。観測手の経験はないが……」
 さりげなくレムの前に立ち、トレイにうなずいて見せた。いざとなったら抑えると、目線で伝える。
「助かります、エイト」
 トレイもうなずいた。
 エイトが差しだされた背嚢を受け取ると、レムが不思議そうなまなざしを向ける。
(そうか……)
 レムには経験がないのだろう。もしかしたら、狙撃手の戦いを見るのは初めてなのかも知れない。
 エイトだって知識として持っている程度だ。実際に目の当たりにする機会はなかった。狙撃手を主力とするミッションにエイトが呼ばれることはほとんどない。
 天を突き刺す大木、茂る灌木、伏して苔むした倒木の群れ、散乱する岩――トレイはそこそこ大きな岩に身を寄せると、マントを脱いだ。中にタイリングを包みこむ。
 不自然にならない程度に灌木の枝を折ってカモフラージュを作ると、少しもためらうことなく苔をはがし、手を突っこんだ。目立つ髪を隠すように泥を塗りつけ、苔をかぶり、顔にも同じように指先を走らせる。
 レムが息を呑んだ。
 本当は、こんな姿など誰にも見せたくないだろう。だが、トレイは淡々と準備を進める。制服にも泥をつけて葉を散らし、スラックスは念入りに汚した。
 泥にまみれた髪の間から、冴えた瞳が振り返る。
「頼みましたよ」
「……ああ」
 エイトはトレイの背嚢を開ける。取り出したのは、光を跳ね返さない高性能の小さな双眼鏡と、苔むした森にふさわしい迷彩が施されたギリースーツだ。トレイがやったように、苔や灌木の葉を散らす。
 エイトはレムを呼び寄せ、ギリースーツをかぶった。驚いたように腕を突っ張るレムにささやきかける。
「静かに。見つかるわけにはいかない」
「どういうこと?」
「人数分はないんだ」
 本来はひとり用の小さなものだ。道理に従うならトレイが使うべきだが、今回に限ってはそれは正しくない。エイトたちはギリースーツを持っていないし、迷彩を施す余裕もない。セブンから連絡があれば、すぐに離れなければならないのだ。
 エイトたちが使う方がいい。
「俺たちが行ったら、トレイはひとりでここに残る。皇国軍を殲滅する」
「ひとりで……?」
「来ますよ」
 ささやくような声だった。その左手に弓が顕現し、右手に矢が生まれる。だが、弓はつや消しされたような暗色をしていた。光を返さない弦も黒い。矢は透明だった。そこにあるとかろうじてわかる程度にしか視認できない。
 弓を構える背に声をかける。
「悪いな、俺で」
「なにを言うんです。君でよかったと思いますよ」
「狙撃の経験はないんだ。満足な観測手もできない。本来ならキングだろう?」
「……替わりなんて必要ありませんよ。すべて仕留めます」
 レムが動いた。目を向ければ、背嚢からこぼれ落ちた双眼鏡が見えた。故障に備えてふたつ持っているらしい。レムがためらいながらも拾い上げる。
「見ない方がいい」
 行動に出してまでは止めなかった。エイトなりの最大限の譲歩だ。
「私も知っておきたいの。ダメ、かな」
「……いや」
 トレイが止めないのだから、これ以上言い張る理由はエイトにはない。
 エイトは双眼鏡を覗きこんだ。前に使ったのはキングだろうか。眼幅と焦点を合わせ、視度を調整する。レティクルが入っているものを使ったことはないが、使い方は一通り習っている。
 足音が近づいて来た。金属のきしむ重たい音、低いささやき。
 双眼鏡に標的の姿が映りこむ。レティクルのメモリは1MIL強――距離は800程度、都合のいいことに横列だ。アローシャワーの射程には少し遠いだろうが、今はこれ以上近づかれるわけにはいかない。
「一般兵52、強化兵4か……」
 風速や気温は必要ない。すでに、トレイ自身が測っている。矢を、つがえた。
「いきます」
 引き絞られた矢が放たれた。弦の音は意外に小さい。矢羽根にも相応の細工があるのか、風切り音もほとんど聞こえなかった。これなら位置を悟られにくい。白虎の装備品の立てる音の方が、よほど大きいくらいだ。
 先頭の皇国兵の膝がはじけた。
「対象の右膝着弾……さすがだな」
 悲鳴の形に口を開き、兵士が倒れる。膝を抱えてその場を転がった。白虎軍は打たれたように立ち尽くした。端のひとりが倒れる。こちらは胸部を撃たれ、即死だった。鮮血が瞼裏に焼きつく。
 慌てたように彼らは散開し、身を隠そうとした。端からひとりずつ射貫かれ、見当違いの方向へ銃口を向けた兵士も倒れ、残りは一般兵48、強化兵が4。初めに倒れた兵士はその場から動けないまま苦しんでいる。とっさに連れて行けなかったのは、傷を負ったのが足だからだろう。
 白虎兵のひとりがスコープを目に当てた。強化兵だ。こちらを探しているようだが、生い茂る灌木がエイトたちの姿を完璧に隠している。機動力は殺されていても、暗闇と視界の悪さはこちらの味方だ。
 透明な矢の軌跡を追うことなど不可能に等しい。
 トレイの矢はスコープごと兵士を射貫いた。ヘッドショットだ。顔の半分を失った男は、脳漿をぶちまけ、どろりとした血をまき散らしてその場に倒れた。壊れたスコープのかけらが跳ねる。
 レムが息を呑んだ。
 容赦ないヘッドショットに神経が焼き切れたか、あるいは、業を煮やしたのか。5人の皇国兵が銃を乱射しながら木陰から飛び出した。マズルフラッシュが閃く。枝が無残にちぎれ、苔は鮮血のように土塊を散らしてはじけ、倒木も粉々に粉砕される。
 トレイが狙ったのは最後尾、けが人を保護しようとしたふたりだった。背後であっけなく仲間が殺されたことに気づき、先頭のひとりが足を止める。彼もまた、すぐに仲間のあとを追って倒れた。残るふたりのうち、ひとりはすぐに隠れたが、もうひとりは銃を乱射しながら、見当違いの方向へと走っていく。
 その首で血のかたまりが爆発した。残るは、一般兵44、強化兵3。
 硝煙が鼻をつく。
 今や、追撃部隊は完全に動きを止めていた。狙撃手の居場所がわからない以上、物量で押し切ることもできない。だが、突き止めようにも、身を乗り出せば狙撃される――恐怖心が平常心を絡め取る。理性を折り、焦燥をあおる。
「動かなくなっちゃったね……」
 レムがささやく。風より密やかな声だ。エイトは無言でうなずく。
 今までのは前哨戦、ここからが始まりだ。
 最初に倒れた兵士の左足首が爆発した。耳をつんざく悲鳴がここまで聞こえる。白虎兵士の間に走る、明らかな動揺。スコープを落とした兵士、とっさに飛び出して二度と帰れなかった兵士、身を縮める兵士、肩を射貫かれしゃがみこむ兵士――肩を負傷した兵士は、すぐにうしろに引っ張られていった。
 白虎兵の動きが途絶え、最初の兵士が残される。次いで爆ぜたのは左膝だった。
 致命傷にならないところばかりを狙っている。殺すのが目的ではないからだ。負傷者をおとりとし、可能な限り引きつけて戦力を削っていく――カウンタースナイパー。
 楽にしてやろうと考えたのか、強化兵が銃を構えた。銃口が負傷兵に向けられると同時に、そのスコープがはじけ飛ぶ。頭蓋を割られ、強化兵はなすすべもなく崩れ落ちた。
 レムがエイトの裾を引いた。
「ねえ……」
 不安げな声を目線で制する。
 セブンから近距離通信が入ったのはそのときだった。
『待たせたな。そちらはどうだ?』
「順調といっていいんじゃないか。10人は減らしてる。魔導アーマーは?」
『かなり数が多いが、窪地にいるから叩きやすいな。このあたりはぎりぎりジャマー圏外のようだ』
「だったら、私も役に立てるね」
『ああ、レムは魔力が高いから助かるよ。すぐ来られるか?』
 聞こえているはずだが、トレイは一切反応を見せない。無情に狙いを定め、矢を放つ。悲鳴が、またひとつ――。
「すぐに行く」
 レムを促し、ゆっくりと動き始める。ギリースーツを慎重に脱ぎ捨てると、身を低くしたまま、這うようにしてその場を離れた。

 エイトとレムは、森の中を音もなく駆ける。
 少しずつ体の中の澱が流れ落ちていく気がするのは、ジャマーの影響が薄れていくからか。クリスタルジャマーの影響を受けずとも、不快な重圧は感じる。
 これなら、魔導アーマー部隊がジャマー圏内に入る前に叩けそうだ。耳を澄まさずとも、魔導アーマーの駆動音が聞こえてくる。
 木々の向こうに垣間見えるのはセブンだ。
「あれが……狙撃手の戦い方なんだね」
 レムがぽつりとつぶやいた。抑揚の薄い声だった。
 エイトの胸底をひやりとかすめる感覚がある。胸の中で糸が複雑に絡まり、嫌な思考しか通さなくなってしまったような錯覚。細かな糸に引っかかって、冷静さが通らない。
 レムの目には、皇国兵士の命をもてあそんでいるようにしか見えなかったかも知れない。
 だが、レムの横顔はいつもと変わらなかった。軽蔑も怒りも見えない。
「双眼鏡も使っていなかったけど……トレイには見えてたのかな?」
「どうだろうな……俺には射手の経験がないからわからない。だが、見えているというよりは、感じ取れているように感じた」
 単純に、目がはやい、視野が広いというだけでは説明できない。明らかに視界を外れていた皇国兵さえ射貫いていたのだから、魔法が関連しているのは間違いないだろう。そのあたりを突っこんで訊いたことはない。
 ましてや、カウンタースナイパーについて深く訊けるはずもない。効率的ではあるが残虐な戦いだ。負傷者の命を盾にするのだから。
「私は、スナイパーのこと、あまりよくわからないけど……すごく、大変なんだね」
 その言葉に、胸のつかえが取れた気がした。
「……そうだな」
 射撃手は、その特性から暗殺の主力ともされている。最後まで戦場に残り、撤退する仲間の背を守るのも役目だ。
 素性が割れれば敵に賞金をかけられるし、民間人に売られることさえある。投降してもその場で殺害されることがほとんどで、捕らえられた末路は残虐な拷問か凄惨な虐待だ。捕虜として扱われることなどほとんどないと聞く。
 同国兵にさえ卑怯者のそしりを受けることも少なくはない。報復攻撃の引き金を引く疫病神扱いされることさえある。
 狙撃手とはそういう存在だ。
 幸い、朱雀における零組はなくてはならないものになりつつある。零組の射手が敵国に売られることは、まずないだろう。
「俺たちはできることをやればいいし、できることをやるしかない。今は魔導アーマー部隊だ。トレイが来る前に片づける」
「……そうだね。ごめんね、変なこと言っちゃって」
 前方をうかがうセブンが振り返った。紫のまなざしがわずかに揺らいでいる。
「早かったな。どうだ、向こうは?」
「全滅も時間の問題だ」
「そうか……なら、今度は私たちだな。トレイが来る前に殲滅する」
 セブンは力強い眼光で言い切った。罪悪感の名残が見えないことに、エイトは安堵する。セブンが口にしなくても、トレイは提案しただろう。魔法を使う局面が限られ、ふたりずつに分かれる選択肢がない以上、カウンタースナイパーは避けられないし、避けてはいけない。
「レム、いけるか?」
 セブンの声に、レムは大きくうなずいた。
「うん、いけるよ」
 ジャマーの影響範囲を抜けたからだろう、情報が次々に入ってくる。要塞に攻めこんだクイーンたちのミッションは成功、朱雀軍を援護するエースたちは少し苦戦しているらしい。森を抜けた朱雀軍は無事に本隊に合流したようだ。
 追撃部隊が殲滅したはずの隊の合流に、皇国軍に驚愕が走ったと説明されたのは痛快だった。
 ダガーを構えるレムを中央に、セブンが右に、エイトが左につく。
「行くか」
「うん。みんなに負けてられないもんね」
 火蓋を切ったのは、レムが紡ぎ上げた雷光の弾丸。打ち倒された魔導アーマーを、エイトとセブンがなぎ払った。
 およそ20機のコロッサスの群れは壮観ですらあったが、役立たずの鉄くずのかたまりとなるのも時間の問題だ。1機たりとも、ひとりたりとも逃がす気はない。

*  *  *

 PGつけるところまで書くか悩みましたが、やめました。残酷表現する必要もないよね、ということで。カウンタースナイパー自体、ある意味えげつないですが(´・ω・)
 背嚢に入るくらい小さなギリースーツとなると、ほんとにシート状で、カモフラージュはあんまりついてない状態なんだと思います。現地調達!