いらだち/FF零式



 近頃は降雨が多い。死者を忘れた戦士たちの代わりに、空が悲しみにむせんでいるのか。
 真実など、キングにはもちろんわからない。
(鬱陶しい……)
 図書館の窓から空を見上げ、そんなことを思うくらいだ。
 多数の犠牲者を見送った作戦から三日が過ぎた。魔導院を押し包む空気が寒々しく感じられるのは、候補生の数がかなり減らされたからだろう。死者の忘却があるとはいえ、名簿を見れば激減は明らかだ。治療の及ばない負傷者も多く、この数日の間に、さらに数十人が永久の旅路についた。
 その中に零組のメンバーがいなかったのは、幸いと言うしかないだろう。
 文字ではあるらしい程度にしか認識できないページを、キングは睨みつける。
(よく生き残った)
 もっとも重傷を負ったのはセブンだったが、集中治療の甲斐あって、今は一般病棟に移されている。他の重傷者よりむしろ元気なくらいだ。
 次いでダメージを受けていたのはトレイで、入院の必要こそなかった――むしろ、彼程度の傷ならば軽傷と見なされてしまうほど、深刻な者が多かった――ものの、右腕は包帯に縛りつけられ、弓に触ることすら禁じられているらしい。内臓にも影響があったらしく、まともな食事をとれないでいるとも聞いた。
 伝聞なのは、あの戦いから帰還して以来、トレイの姿を少しも見かけないからだ。
 レムもしばらくは元気がなかったが、マキナの献身的な気遣いに支えられてかなり回復した様子だった。
 問題はナインか。いつでもどこでもケンカ全開のチンピラが、天変地異の心配をしなければならなくなるほどおとなしい。クイーンなど気持ち悪がって――正直、あの反応は追い打ちだと思うのだが――近づこうともしないくらいだ。
 多少は事情を知っているらしいマキナが口を割らないので、零組始まって以来の椿事として遠巻きに見守られている。
 実は、キングはあまり見守りたくない。ただでさえ零組の空気がどことなくおかしいのに、繊細さのかけらもない男があの有様だ。今にもとんでもないことが起きそうで、心臓に悪い。少しつついて、爆発させてみようかとさえ思う。
(……わからん)
 ちなみに、目の前の本の内容がさっぱりわからないこととは関係ない。
 作戦があっても休日があっても、補習の危機は容赦なく迫る。セブン含め、全員にレポート提出が言い渡されたはずだが、他の級友たちはどこへやら、図書館ではその姿を全然見かけない。
 辞書は全滅していた。キングよりはやく借りにきて、部屋にこもっているのかも知れない。文官がしまったのでなければ。
 ふと、入り口の方が騒がしくなった。ぎゃんぎゃんとわめく声は級友のものだ。
(またあいつか)
 げんなりと顔を上げると、飢えた獣のように目を光らせたナインが飛びこんできた。びしょ濡れなのは外を走り回っていたからか。
 入り口近くの候補生が悲鳴を上げて飛び退く。そちらに殺意と見まがうような視線をくれたあと――たぶん反射以外の何ものでもない――本を閉じたキングの姿を見つけて、がに股で歩み寄ってくる。
「オイてめえ!」
 いきなりケンカを売られる心当たりはない。とりあえず、プリントを示してみせる。
「お前、レポートはどうした」
「んなもん知るか!」
「今回の補習担当はトレイだそうだが」
 ぐっと詰まる。やはり、トレイを探し回っていたようだ。
「ああああいつだって……」
 がんがんと机を叩き、ナインは怒鳴る。ここが図書館だということなど、すっかり頭から飛んでいるらしい。いや、元から意識の片隅にすらなかったか。
 他の候補生がぞろぞろと列を作って逃げていく。文官の視線が、キングにざくざくと突き刺さった。なにも感じていないらしいナインが、正直なところうらやましい。
「血ィ足りなくてふらふらだぜ! 補習行きかも知れねえじゃねえか!」
「墓に入ってない限りレポートは完璧に上げてくるだろう。40度近くてふらふらしてたときも、レポート仕上げてたの忘れたか」
 しかも、文句なしの出来だったと聞く。
 ナインは言葉が見つからないらしく、机にケンカキックをくれたあと、ふいとそっぽを向いた。プリントが跳ね、残りの候補生たちが群れを成して退去していく。
 文官の眼光が痛すぎる。
 気をそらそう。
「ナイン、これ読めるか」
 適当なページを開き、ナインに向ける。彼は一瞥しただけで吐き捨てるように叫んだ。
「知るか! 俺はな、普段使わねえ文字は読まねえんだ!」
「……威張ることじゃないだろ」
 本当に、レポートをどうする気だ、こいつは。
「お前、いくつだ」
「忘れてんなよ、オッサン!」
「同い年でオッサンはないだろう」
「覚えてんじゃねえか、コラ!」
 泣きついてきても手伝わんぞと心に決める。もっとも、ナインとて泣きつく相手は選ぶだろう。どっこいどっこいとまではいかないが――そんなこと思いたくもないが――成績優秀というわけでもないキングにすがるとは思えない。
 おそらくジャックあたりだろうか。あるいはエイトか。前者ならさんざん馬鹿にされて途中でキレて帰りそうだし、後者ならかろうじてあるらしい年上のプライドに負けてへこんでいそうだ。
「お前、あいつになにかしたのか」
「してねえ!」
「別にお前を避けたりしてないだろ」
「……そう思うか?」
 いきなり殊勝になった。気色悪い。キングの気味悪がる視線に気づいたか、隣にどっかりと座ったナインは天板を殴り始める。年季の入った机が哀れだ。
「言いたいことあるなら言えってんだ!」
「俺は別にないが。いつもよりおとなしいお前が気持ち悪いくらいで」
「……ケンカ売ってんのか」
「別に売ってない。あいつとケンカでもしたか」
「ケンカのがましだぜ……くそ!」
 とどめの一撃で、机が嫌な音を立てた。文官が冷たい一瞥をくれたあと、すたすたと出て行く。重たい音を立て、無情にも扉は閉められた。
 追加レポートの覚悟はしておいた方が良さそうだ。
「なにかあったのか。作戦以来か、お前がおかしいのは」
「……聞いてねえのか?」
 あまりに意外そうな声に、キングは目をしばたたく。
「原因を知ってるのはお前たちと……マキナくらいだろう。セブンが口を割ると思うか? マキナは当事者じゃないしな」
「クラサメなら知ってるぜ」
「大事にしたいなら訊くが?」
「したくねえよ!」
「なら、もう少し静かにしろ。俺とお前は追加レポートの覚悟をした方がいいな」
 短く毒づき、ナインは顔をゆがめた。傷跡が引きつれ、目元に凄絶な影が落ちる。
「俺が悪ィんだ……」
(どうかな……)
 本当にナインに責任があると判断すれば、トレイはその旨も含めて報告しただろう。セブンがなにも言わないことといい、ナインの言葉を鵜呑みにはできない。
「話してみろ」
 おもしろくなさそうに舌打ちしたあと、思いの外素直に話し出す。
「あのケガ、俺のせいなんだよ! くそ! なんでキレたんだ!」
「いきなりそこか。なんでキレた?」
「俺の……槍の射程に敵がいんのに、待機しろとか言ったんだよ。もっとあのクソッタレ共が密集するの待てって」
 鼓動さえも聞こえそうな距離で、気配を殺し、タイミングをうかがうのはひどく消耗する。遮蔽物越しではあっても、不用意な動きをすれば感づかれてしまう。
 狙撃手であるトレイは、正面からのぶつかり合いは得意ではない。そのためだろう、隙を突くためにいくらでも待ち続けられる。その粘り強さ、忍耐力は、同じく射手であるキングやケイトよりも優れているかも知れない――武器の特性上、連射が利かないせいもあるだろうが。
「奴らを囲むように魔法陣を練り上げるからって……そしたらよ、候補生の一人がとちりやがった」
「見つかったのか」
「ああ。そいつは……間に合わなかった」
 未完成の魔法でも使わざるをえないと判断したトレイが指示を出すよりはやく、ナインは飛び出したのだ。槍を振り回し、魔導アーマーの群れの中央へ突進した。
 結果、マーカーが完成していなかった魔法陣は破棄され、白兵戦へと縺れこんだ。
「そうか……」
 キングはうなる。
「俺もミスって……あいつはしなくていいケガして、セブンは爆風で吹っ飛んでった」
「だが、無事だっただろう」
「残ったのは俺らだけだ! 一緒にいた奴らはみんな死んだ……あんだけ朱雀が追いこまれたのも、魔導アーマー殲滅が遅れたからだ」
 ジャマー設置はまだかと通信がわめいていた顛末がわかった。
「なるほどな。それでトレイが怒っていると?」
 ナインは勢いよく立ち上がった。
「あいつは、俺をかばって撃たれたんだぞ! ポーションじゃ足りねえ、ケアルもなくて回復できねえ! 死人みてえな顔で……ブリザドでふさいで戦ったんだ!」
「また無茶を……よく腕が落ちなかったものだ」
「俺に傷を焼けとか言ってきたんだぞ!? 生き残れるなら俺だからって……軍神で足止めするから行けって。くそ!」
 くそ、くそ、と叫びながら、めちゃくちゃに椅子を蹴りつける。哀れな椅子はあっという間に解体され、ただの廃材と化した。とどめの一撃で、本棚に背もたれの破片が激突する。
 追加レポートどころではすまないかも知れない。
「行くわけねえだろ! 召喚なんかさせるわけねえ!」
 キングはこっそりため息をつく。なんだろう、この貧乏くじスパイラルは。
「お前はどれが気にくわないんだ?」
「全部だ!」
 そんな、全力で即答されても。
「かばわれたことと、傷を焼けと言われたこと……それと召喚か。その辺に腹を立ててるんじゃないのか」
「知るか!」
「……少しは考えろ。怒ってるのか、許されたいのか、どっちだ」
「どっちもだ!」
 怒鳴ったあと、はっとしたように目を見開く。動揺もあらわに手近な椅子を引き寄せ、乱暴に腰を下ろした。無造作に破片を足で押しやる。
 ナインが頬杖をついた拍子に肘がものすごい音を立てたが、聞こえなかったふりをしておく。かなり痛かっただろうに、ナインはやせ我慢だ。
「あいつのおしゃべりは、こういうときに役に立たんな……」
「……あいつ、今あんましゃべんないらしいぜ」
「そうなのか?」
「ジャックが気味悪がってた。血が足んねえらしいわ」
「お前の血を分けてやれ。お前も少しは落ち着くかも知れないし、あいつも少しは饒舌が戻るだろう」
 ナインは妙な顔で黙りこむ。考えこむような沈黙の後、盛大に顔をしかめて口を開いた。
「かんせ? かんしょ?」
「……は?」
「かんしょう? の危険? があるから、血は入れらんねえって言ってたぜ」
 なんだかんだと言いつつも、輸血の申し出はしていたらしい。
「……感染症か」
「それだ」
「頼むから、それくらいは覚えろ」
「うるせえ!」
 天板に掌をたたきつける。机も可哀想だ。はやく図書館を出て行った方がいいような気がしてきた。
 キングは手を伸ばす。殴られると思ったらしいナインは、剣呑に目を光らせて身構える。先手必勝とばかり跳ね上がる腕をいなし、ナインの二の腕を力強く叩く。
「明日になれば、嫌でも顔を合わせる」
 ナインはいぶかしげに眼を細めた。
「言いたいことはしっかり言ってこい。謝りたきゃ謝れ。謝罪を受け入れるとは思えないがな」
「嫌がらせか!」
「あいつなりの気遣いだろ」
「はぁ?」
「わかってもわからなくても、とっととレポートを済ませろ。お前の追加補習の面倒見る方が負担になる」
 ナインはぐっと黙りこんだ。キングはやれやれとプリントの束に向き直るが、1文字も埋まっていないことを思い出した。
 レポートの提出期限は、明日の朝10時。まったくもって、終わる気がしない。

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 FF零式、フライングその4。「葬送」前提です。
 ナインのまっすぐで純粋という要素をいじっていったらこんな話になりました。キングはみんなの話を聞いてあげるお人なんじゃないかと。
 本来なら、図書館はクリスタリウムと表記すべきですが、文字数とこだわりの結果、図書館で落ち着きました。そのうち変わるかも知れません(´・ω・)