恐れ/FF零式 小雨がぱらついている。 嫌な空だ。夕暮れも迫り、ただでさえ視界が悪いのに、雨まで降ろうとは。 (混戦になりそうだねえ) ジャックは足早に人混みを抜ける。作戦開始まで30分を切り、軍事拠点は火事のようなせわしなさに押し包まれていた。ジャックがぶらついているのは、じっと待機していることに飽いたのと、指先に絡む焦りにも似た緊張感をほぐすためだった。 いくつかの天幕を通り過ぎるが、赤いマントの人間は見かけなかった。皆、出発地点に向かったのだろうか。時折かけられる声には適当に手を振って応え、のんびりと歩を進める。 角地の天幕にさしかかったとき、赤い色彩が目の端に引っかかった。 視線を向ければ、こちらに背を向けるようにして机に向かう級友の姿があった。マントは外されていたが、誰かなんてすぐにわかる。 手元に灯りを引き寄せ、長身を折り曲げるようにしてマントに針を通していたのは、チームを組むことになっているトレイだった。揺れる灯りを受けて、傍らに置かれたタイリングが鈍く輝いている。 (なにしてんの、あいつ) 通り過ぎた4組の不思議そうな視線を笑顔でいなし、天幕へと踏みこんだ。 「なにしてんの? 作戦、もうはじまるけど」 「それまでには終わります。あと数分あれば十分ですから」 不意打ちだったはずだ。視界には入っていないし、音も立てていない。天幕に近づいた時点で、警戒網に引っかかっていたのだろうか。 灯りを挟んで反対側に陣取り、手元を覗きこむ。 「作戦変更でもありましたか?」 細かな刺繍の施された、品のいい革製の裁縫道具入れ――トレイ愛用の品だ。糸切りばさみを取り出す指先を眺めながら、ジャックはだるだると答える。 「いんや、当初の予定通り。いつもと違うのはさ、あんたが今頃マント縫ってるってとこ」 そうですね、と答える声音はいつもと変わらない。 天幕に雨音が跳ね返る。出陣に向け引き絞られる緊張感が、拠点を席巻しつつあった。 「どっかに引っかけたとか?」 「正確ではありませんが、間違ってもいませんね」 「なにそれ」 「ぶつかってしまいまして。金具に引っかかったんですよ。謝られましたが、彼のせいじゃありません。もっと端に寄って話を聞けばぶつかられることもなかったのだから、私の判断ミスです」 わかりやすいようなわかりにくいような。 ジャックはふむ、と柄をなでた。 (つまり……トレイは誰かに呼び止められて話を聞いて) そこが通りの真ん中に近かったために、トレイに通行人がぶつかってしまった。その拍子に、話していた人物の金具にタイが引っかかってほつれてしまったということか。過不足のない説明なのに、なぜかわかりにくい。主観過ぎるからか。 ともかく、呼び止めたのは零組の人間ではないだろう。 「それってさ、零組じゃないよね」 「2組の候補生でしたね。先陣への配属を大変不安がっていたようで、声をかけられました。初陣だったようです。笑顔で別れましたから、多少はお役に立てたのでしょう」 指先に糸を巻きつけ、淡々と答える。その静けさに多少の不安を覚えたのは事実だ。 作戦開始まであと15分。瞑想する時間はほとんどとれないだろう。零組の人間ならば、新入りのマキナとレムでさえ知っている。トレイの瞑想は絶対に邪魔してはならない、と。 隙なく磨き上げられた弓術を支えるのは、多少のことでは揺るがない強靱な精神力と、果てを知らぬ並外れた集中力だ。ずば抜けた意力は、開戦前の瞑想で極致に達する。 「で?」 頬杖をつき、ななめの視界でトレイを見上げる。不思議そうにまばたきをひとつ――ああ、と得心がいったようにうなずく。 「君も知っているでしょう。何事も、中途半端は危険です。なにもしない方がいい場合もあります」 「あんたに撃ち殺されるとか、御免なんだけど」 「これは弓ですから、射殺すことはあっても撃ち殺すことはありませんよ。第一、君たちにはマーカーがありますから、矢が当たることはないはずですが」 「まあ、そうなんだけどね」 トレイはマントを広げ、満足そうに口元を緩めた。どこがほつれていたのかもわからないくらい、完璧に修繕されている。 ジャックだったら、少しくらいほつれても戦闘に影響がない限りは気にしない。他のメンバーもそうだろう。クイーンも制服はびしっと着こなすタイプだが、ここまで細かくはない。 美意識について問いただしたい衝動に駆られたが、すぐに思い直す。戦いが始まるのに、精神的な耐久力をここで試してどうする。 「そいつ、ちょっと馬鹿だよね。すれ違っただけの候補生じゃさ、マーカーなんかついてないだろ? 流れ矢に当たる確率増やしただけじゃん」 裁縫道具を片づけるトレイの手が止まった。向けられる瞳からは、相変わらず内心が読み取れない。 「そういうのに気を遣うのもいいけど」 ジャックはマントを指さす。 「こんなことしてる場合じゃないんじゃないの? カウンセラーじゃないんだしさ、他にやんなきゃなんないものあるのに、優先することじゃないよね」 「初戦は誰でも怖いものでしょう」 トレイは目を伏せた。鏡の水面に水滴が落ちるような錯覚。 予想外の反応に、ジャックの理解力は迷子になった。 数瞬遅れて、衝撃がじわじわと染み渡る。彼の態度がどこから来るものなのか、理解できない。脳裏をめまぐるしく思考が飛び交う。外から見ればだるそうに、だが、内面ではこれ以上ないほど必死に思案をめぐらせる。 短い沈黙の後に結論を見つけ出したジャックは、数秒前の自分を殴りたくなった。 狎〔な〕れとはこういうものかと嘆息する。 「そっか、第一波が重装甲タイプの魔導アーマーと、高速戦闘タイプの混成部隊っていうんじゃ、初めての人には怖いよね。なーんか、すっかり忘れちゃってたよ」 「良くも悪くも、私たちにはそのような部分があると思います。今日、彼と話して自覚しました。私は魔導アーマーに恐怖感などなかった。ですが、威圧される候補生もいる……語弊があるかも知れませんが、新鮮でしたよ」 「きっと、あっちが普通なんだよねえ」 裁縫道具をしまい、トレイは立ち上がった。制服の裾を引っ張って形を整えると、細心の注意を払ってマントを帯びた。左右均一になるようひだを寄せ、ぴかぴかに磨き上げられているリングに通す。互い違いになるように、もっとも美しく見えるよう折り重ねたタイの形は完璧だ。 どうせ戦いが始まれば構ってなどいられなくなるのに、可能な限り整えるのは彼なりの儀式のようなものなのだろう。 作戦開始十分前を告げるサイレンが鳴る。ふたりは顔を見合わせ、うなずいた。 天幕を出る。 「ああ、ジャック。先ほどの、射殺す話ですが」 「……物騒な言い方しないでよ」 むしろ、人聞きの悪い言い方と言うべきか。すれ違った候補生が、飛び上がらんばかりに驚いていたじゃないか。 もちろんトレイは気にしていない。淡々と言葉を紡ぐ。 「仲間を射殺したとあっては射手の名折れです。そんなことは起こしませんし、私が援護に入るならチームは死なせませんよ、誰も」 「ふーん」 ジャックはにやりと笑って見せた。とん、と柄を叩く。 「ま、後輩の話を聞いてあげた優しい先輩の分、僕が頑張るっていうのもいいよね」 「誰かが後輩の話を聞いてあげたんですか?」 「なんでそう受け取るかな」 見つめ返してくる瞳がこれ以上ないくらい大まじめで、なんだか笑えてきた。 こみ上げる笑いを押さえつけるジャックの目に、救世主の姿が映る。 第3ゲート前の天幕に、銀髪の少女の姿があった。隣を歩む男とは正反対の、型破りな着こなしをしたサイスだ。ジャックたちの姿を認め、不敵に笑ってみせる。 「歩く品行方正が、ずいぶんごゆっくりな到着だな」 「品行方正は歩きませんよ。遅くなってすみません、サイス」 ふん、とサイスは鼻を鳴らす。 ジャックは、編制を決めたクラサメをちょっとだけ恨んだ。このチームは、意外と地雷なんじゃないだろうか。 「ジャック」 弓を顕現したトレイが呼ぶ。 「なに?」 「君の忠告、いたみいりました」 ぽかんと見やれば、大まじめな視線にぶつかる。 「次からは、もう少しはやく切り上げることにします」 なぜかサイスがにやりと笑った。それはそれは愉快そうに。 「あんたが忠告? 話長ぇよ馬鹿って言ってやったのか」 「開戦前にそんな怖いこと言わないでくれる?」 これがトレイじゃなかったら、チーム内で戦争勃発だ。 * * * FF零式フライング。今回は、トレイとジャックを連れてきてみました。ちょこっとサイス。 ジャックはどんどんリュウタになっていきましたorz トレイの解説属性が、どうにも饒舌方面にしか働いてくれないのが悩みです。 タイの部分が互い違いになっているのって、トレイだけなんですよね……こだわりの男! マーカーはちょっと悩みました。識別信号みたいなもの、というイメージ。こういうのないと、魔法に仲間を巻きこみまくりそうです。 |