追うもの、追われるもの/FF零式 息苦しささえもよおす濃緑の森に、エースたちはいる。 「どこにいやがる……」 ナインの声はひどくささくれている。 与えられたミッションはごく単純なものだ。だが、さほど簡単でなものでもない。この森にひそむひとりのスナイパーを倒す。時間制限は5時間。ジャマーやその他の罠も、突入前の時点では確認されていない。スナイパーを発見し、倒せばミッションクリアとなる。所在は知れず、コムでの通信もない、完全な単独任務だった。 ミッションに挑むのは、エース、クイーン、ナインの3人。奇しくも、魔導院解放戦に挑んだときのメンバーだ。 たったひとりに対し、こちらは3人。エースたちが有利のはずだった。 だが、森へ侵入してたった30分でクイーンがやられた。エースたちが背後の爆発に気を取られたほんの一瞬の隙に、クイーンの額に着弾した。それ以上の攻撃はなかった。はじめからひとり減らすことだけが狙いだったようだ。おそらく、残ったメンバーの反撃を警戒してのことだろう。 着弾後、すぐにエースはカードを投げ、ナインも突撃していったが、襲撃者の姿を見つけることはできなかった。痕跡ひとつ残さず、音ひとつ立てずに、スナイパーは姿を消したのだ。 消耗戦を仕掛けてくる気か。 スナイパーの忍耐力は嫌と言うほど思い知らされている。エースたちよりも先にこの森にいたのだ、追跡者をかわすために幾重もの罠を仕掛けているに違いない。 そして、エースたちにはその罠のすべてを見極める目はない。クイーンの欠落はあまりにも痛かった。 エースとナインは、欠けたクイーンの傍らにいる。 「5時間か……きついな」 カードの補充を終えたエースがこぼせば、水分を補給していたナインが舌打ちする。 「んでだよコラ? まだ30分だぜ。ゆっくり探せるじゃねえか」 「この広さだ、5時間じゃ足りない。無理して突っこめばやられるしな……」 死ぬことはないとわかっているが、撃たれるのは御免だ。 「とにかく、奥へ移動しよう。全滅するわけにはいかない」 クイーンをちらりと顧み、エースは促す。ナインは再び舌打ちして立ち上がった。 魔導院の敷地ほどもある広大な森のどこからエースたちが侵入するのか、スナイパーにはわからなかったはずだ。にもかかわらず、こちらの居場所は完全に把握されているように思える。 一体、どんなトリックがあるのだろう。情報が均等に与えられているとは思わない。エースたちが入る前に、侵入ポイントを予測して何らかの罠を仕掛けてあったのは間違いないが、エースたちは気がつかなかったし、クイーンもなにも言わなかった。 おそらくは、3人の中の誰ひとりとして罠にかかってはいない。 ふたりが歩を進めると、そばの枝から慌てた様子で小鳥が飛び立った。小枝を離れた葉がひらひらと気まぐれに舞い落ちる。 「なぜ、僕たちの居場所がばれたんだ……?」 「罠があんだろ?」 「でも、誰も引っかかってない。鳴子じゃない、糸でもない……なんなんだ?」 居場所を突き止められるような、うかつな真似はしていないはずだ。ナインでさえ声をひそめている。モンスターとの交戦も、今のところない。 「うじうじ考えてどうすんだ。やるしかねえ」 その通りだ。 だが、決定的ななにかを見落としている気がする。 「行くぞオイ」 槍を構え、ナインが歩を進める。カードを手に、エースもすぐにあとを追った。互いの死角をかばい合い、近くよりも遠くの気配を探りながら、森の奥へと慎重に歩を進めていく。 ふたりが倒れれば、ミッション失敗だ。 耳を澄ませば、すべての音が怪しく思える。わずかな葉擦れを襲撃と疑い、枝のさざ波を接近と勘ぐる。ナインが踏んだ小枝の音は心臓を握りつぶそうとし、耳元で強く脈打つ心音はひどく耳障りだった。鳥のさえずり、羽ばたきさえ、心を揺さぶろうとする。 目を凝らせば、揺らぐ影が人間に見えてくる。揺れた灌木に光るのは金属の反射光、あるいは武装が跳ね返す光か――まばたきすれば、それはつややかな葉に宿る陽光だったり、若葉に残る昨夜の雨だったりする。 遠くの翳りにカードを構えれば、腐り落ちた木のうろだった。 「……頭がおかしくなりそうだ」 「てめえもか」 「正直、こんなところにひとりで潜伏できる奴の気が知れない」 敵意の視線には敏感なはずだった。だが、スナイパーの視線はおろか、気配すら感じ取ることができない。こちらを付け狙っているのは確実なのに、存在をまったく認知できないという事実に、背筋がぞわぞわと粟立った。 こんな感覚は初めてだ。 指令が間違っていることはあり得ない。スナイパーが森を脱出していないのも確実だ。なのになぜ、こんなにも戦況に差があるのか。 (絶対になにかを見落としてるはずだ……考えろ、エース) その瞬間は不意に訪れた。 雨音のように葉が鳴る。エースが顔を上げた瞬間、横合いから思い切り突き飛ばされた。視界が暗転する。かろうじて頭はかばったが、背を強打してエースはうめいた。顔のすぐそばに鋭い衝撃が着弾するのを感じる。 「ってぇな!」 ナインの怒声が静寂を揺るがし、鳥の羽ばたきが耳朶を打つ。 目を開ければ、目の前にナインの背中がある。鳥の羽根と引きちぎられた葉っぱが風に舞い、陽光を透かして金色に輝いた。 飛来した方へとカードを投げつけ――すでにその場にはいないだろうが――エースは飛び起きる。おそらく、背中はあざだらけだろう。 「ナイン、ケガは!?」 槍を生成したナインが怒り狂った形相で頭をかきむしる。 「ねえよ!」 彼の言うとおり、出血はないようだった。槍で撃ち落としたのだろう。とっさに木々の合間に逃れた際に引っかけたらしい傷が、頬に白々と一条を描いている。 セーフだ。 エースも背が痛む程度で、たいした傷もない。 まだ追える。 「オイ」 「なんだ? なにか思いついたのか?」 期待せずに言ってみるが、ナインは眉根に考え深げなしわを寄せて言葉を続けた。 「野郎は俺らをつけまわしてんだろ、コラ」 「……いや。こちらの行方を読んで、先回りしてる可能性が高いだろうな」 「なら、こっちからまわりを探しゃいいんじゃね?」 「それで、お互いぐるぐる回ってるうちに僕たちが撃たれるのか? 意味ないな」 「んだと!?」 「……声が大きい」 ナインは両手で口を覆った。首を刈り取られそうになり、エースは慌ててしゃがみこんだ。 澄んだ音が響いた。とっさに身構え、草の鳴る方へと目を向ける。 どうやら、槍の穂先が偶然にも攻撃をはじいたらしかった。風がうなり、第2波がエースの足下に着弾する。 「野郎!」 ナインが走る。紡ぎ上げた炎を放ち、エースもあとを追った。だが、弾道計算から割り出した位置にはスナイパーはいなかった。2回目の攻撃の直後に、風にまぎれて距離を取ったのだろう。 燃え上がる草を、ナインの槍がなぎ払う。ひらひらと鳥の羽根が舞った。騒ぎに慌てて飛び立ったらしい。 「本当に……敵に回すと恐ろしいな」 「んなこと言ってる場合じゃねえだろ、オイ! 俺たちどうすんだ!?」 胸の奥に、小さな衝撃が走る。なぜ気がつかなかったのだろう。 「……鳥だ」 「はぁ!? 食うのか!?」 「食ってどうする!」 「鳩か!?」 意味がわからない。 いや、ある意味では似たようなものか。 「僕たちの居場所を教えたのは、鳥だ」 「なに、奴らしゃべれたのか!?」 「……なんでそうなる」 どこから撃たれるのかわからない緊張感で、ついにおかしくなったのだろうか。いや、いつもこんな感じだ。 落ち着けと自らに言い聞かせ、エースはあえて低めの声で言い含める。もちろん、周囲への警戒は怠らなかった。 エースたちが森を進めば、闖入者に驚き、あるいは警戒した鳥たちが騒ぐ。それは明確な警戒音や羽ばたきではなくても、森の静寂を確実にかき回す不協和音だ。狙撃手は、その優れた五感で森の変化を感じ取り、存在を悟られぬよう回りこみながら距離を詰めてきたのだ。 近づけば、声や気配で、向かう方角がわかる。全員の警戒がわずかに逸れた一瞬を突いて、クイーンを討ち取ったのだ。 ナインは眉根にこれでもかとしわを寄せて黙りこんだ。得心がいかない様子で首をひねる。 「そんな簡単なもんか?」 「……さあな。僕にはこれくらいしか思いつかない。クイーンなら別かも知れないな」 ちらりと背後を見やるが、返事があるはずもない。 「確実じゃないが、警戒した方がいいだろう」 「警戒したって騒ぐぜ、オイ」 「どのみち、こっちの所在はばれてる。後の先を取るしかないな」 その点では、エースたちが有利だ。狙撃手は単独だが、こちらはふたりいる。どちらかが倒れても、残った方が討ち果たせばいい。離脱は死にはつながらないのだから。 次の攻撃が勝負だ。 たぶん、ナインが残ることになる。 風を、切る、音。 背後からだ。ふたりは同時に飛び退いた。風を裂いて迫る軌跡に、エースは目を見開いた。扇形を描き、数え切れない光が襲来する。 「よけろ!」 ウォールの詠唱は間に合わない。 ありったけのカードを放ち、エースは大木のうしろに回りこんだ。ほんの数メートルの距離に着弾する。巻き起こる爆発――閃光。熱風と衝撃は、膝をつくエースをあっさりと吹き飛ばした。 気絶せずに済んだのは、投じたカードと放たれた雷光のいくつかが光をたたき落としたからだ。 「くそったれ!」 ナインの吼える声が遠くたわむ。目の前が暗くゆがんだ。じりじりと音を立て、なぎ倒された木々に炎がくすぶる。盾にしていた木も、もちろん焼け焦げていた。ほんの一瞬前までふたりのいた地点を中心にして、赤い炎が枯れ葉をなめる。 わんわんと音のこだまする頭を揺らさないようにして、エースは咳きこみながら立ち上がった。 「いくらなんでもやり過ぎだ!」 抗議は聞き入れられなかった。再び迫る光輝との間に、ナインが割って入る。セーフティガードがかろうじて間に合った。先ほどよりは小規模の爆発が、物騒な花火のようにハニカム構造の表面にはじける。 防御壁が消え去った瞬間、二人は同時にかけ出した。 すぐそこに標的がいる。今なら確実に詰められる。木々の向こうに防具の輝きを捉えた。移動しようとしているようだ。 カードを構えた瞬間、再び風切り音が耳朶を打つ。 目前に迫る光へとカードを投じる。かろうじて防いだ――刹那、青白く輝く純氷が、エースを巨大な氷塊へと閉じこめた。 ナインは振り返らなかった。エースが氷に閉ざされる瞬間を視界の端に捉えたが、止まらなかった。これはミッションだ。必ず、討たなければならない。 「この野郎!」 攻撃をはじき、地を蹴る。葉を散らし、枝を折り、空高く舞い上がった。 青空が視界を席巻する。白い雲は平和に連なり、牧草地の羊のようにのんびりと地平線を流れていた。陽差しは穏やかで、テラスで昼寝をしたらさぞや気持ちいいだろう。重力の腕がナインを抱き留めた。みるみる樹冠が迫る。槍を構え、魔力のすべてを注ぎこみ、再び森へと突入する。 だが、目に飛びこんできたのは、枝と枝を結ぶ幾本もの黒い糸だった。 「嘘だろオイ!」 軌跡を完璧に読まれていた。 糸そのものにはさほど硬度はなかった。槍を振るえばあっけなくちぎれていく。ナイン自身は一切のダメージを負わなかった。悪影響は、突入速度がわずかに鈍った程度でしかない。 だが、狙撃手には十分な間だった。 得意げな笑顔一つなく冷静に凍りついた水色の瞳が、まっすぐにナインを捉えている。まっすぐに伸びた背筋、揺るぎなく構えられた弓、引き絞られた透明な矢――標的であるはずのトレイが、狩人であるはずのナインを真っ向から迎え撃つ。 ゆがけに包まれた手が離れ、矢が放たれた。空中にあっては避けようもない。 左胸を激痛が貫いた。息が詰まり、視界が真っ赤に染まる。自身のうめき声が嘘っぽく聞こえたのはなぜだろう。穂先を地面へ向け、ナインはそのまま落ちていった。 その一部始終を見ていたクイーンは、ため息と共にメガネを押し上げた。 「この模擬演習は完敗、ですね」 槍をクッションに着地したナインが、ごろりとその場に転がる。 正直なところ、予想外だった。悪くて相打ち、順当に行けば一人は残るはずと想定していた。 (なのに、全滅ですか……) トレイもこちらの行動パターンはわかりきっているが、クイーンたちも彼のことは熟知している。攻め入る不利を想定しても、ナインくらいは残せると思っていた。 他の森ではケイトやキングが狙撃手としてひそみ、他のメンバーが追いかけ回しているようだが、そちらはどうなっているのだろう。コムが切られている今は演習の様子を知りようもないが、クイーンたちほど悲惨ではないだろうと思いたい。 まさか、開幕1時間足らずで全員が討ち取られてしまうとは。 クイーンを真っ先に狙ったのは、居場所を割る確率がいちばん高いからだろう。 木々の合間からトレイが姿を現した。得意げな様子もないのが少し腹立たしい。クイーンに軽く黙礼すると、転がったままのナインの元へと向かった。 「大丈夫ですか?」 手を差しだすが、ナインは面倒くさそうにはねのける。 「大丈夫なわけねえだろ……思い切りやりやがって!」 「そのように言われませんでしたか?」 「……おい、僕を忘れてないか」 氷の塊を一生懸命に割り砕いていたエースが声を荒らげる。 「すみません、慣れないことでしたので。威力が強すぎたようですね」 「死ぬかと思った。なんでBOMを矢に乗せてるんだ」 「MISよりも着弾のタイミングが読みやすいのですよ。加減はしたつもりでしたが……」 氷の破片を払い、エースがようやく脱出する。唇をゆがめ、トレイを見やった。 「やり過ぎだろ」 「わたくしもそう思いました。模擬演習でアローダイナマイトはやりすぎでは?」 「参考にしましょう」 もっとも、サンダーSHGで援護してしまったクイーンがどうこう言えることでもない。すでに戦死――戦線離脱扱いだったのだ、手も口も出すべきではなかった。 トレイは手出ししたことを責めなかった。その胸ぐらをナインがつかむ。不意打ちだったらしく、トレイがめずらしくも焦った様子で一歩下がった。 「なんでてめーは先回りばっかしてんだ、コラ!? 全然見つかんなかったぞオイ」 「そうですね、わたくしを撃ったときは、逃げる暇はなかったはずですよ」 トレイはわずかに目を見開いた。なんでわからないんだろうと、本気で意外に感じているときの顔だった。 「そばにいました」 耳を疑う。 「……なんだって?」 「すぐそばにいましたよ」 耳に手を当てて聞き返したクイーンたちにわずかにひるむ様子を見せながら、トレイは言葉を重ねた。 「んなわけあるかコラ! 探したぞオイ!」 「そうですね、ギリースーツは着てましたから。ひやひやしました」 「ギリースーツでしたか! 盲点でした……」 「普段は使わないからな……」 あえて全身にカモフラージュを施さなかったのは、森の中を動き回る必要があったからだろう。 ナインの背が不穏に震えた。 「俺らが探してるとき、てめーはそばで笑ってたってのか、オイ!?」 ナインが頭をかきむしる勢いでわめいた。 つばが飛ぶのが嫌なのか、鼓膜をぶち抜きそうな声が嫌なのか、トレイは眉をしかめて二歩下がる。もちろん、ナインは少しも離れなかった。さらに下がりつつ上体を反らし、トレイはあきれたように言う。 「……勝手に悪趣味な想像をしないでください。あの状況で見つかったら、やられていたのは私です。どれほど心臓に悪かったか」 「なあ、僕の仮説はあってるか? 鳥の様子で僕たちを監視してたと予想したんだが」 「鳥……ですか。参考にはしましたね」 まだわかっていなかったのか。クイーンは胸中でため息をつく。 「エース、わたくしたちの標的は誰ですか?」 問えば、エースは怪訝そうに眉を寄せた。 「トレイだろう?」 「しかも、時間制限は5時間です」 「だからなんだ?」 メガネを押し上げ、クイーンは言葉を紡ぐ。 「この森を探し尽くすには5時間では足りません。ですが、わたくしたちは標的を見つけ出さなければなりませんでした。一カ所にとどまっているわけにはいかないでしょう?」 「私を探しに来るのですから、ただ待っていればいいのですよ。襲撃ポイントをいくつか決めて、あらかじめ仕掛けをしておけば、あとは簡単です」 「……すごくだまされた気分だ」 「そういうミッションでしたから」 しょうがないです、とつけ足すと、エースはがっくりとうなだれた。 もともと、トレイたち狙撃手に有利な演習なのだ、悔しさはわかるが気に病むことはない――と思う。クラサメの目的は、スナイパーの恐ろしさを身をもってわからせることなのだろうから。 もっとも、零組ほどの腕を持つ狙撃手が他国にいるのかどうか、怪しいところだが。専用の機材もなしに超長距離射撃が可能な――このままいけば、2000メートル越えもたやすいかもしれない――人間など、トレイをおいて他にないだろう。 「……さて」 エースとナインの肩が跳ねた。こほん、と咳払いをひとつ。油の切れたからくりのようにぎこちなく振り返るふたりに、クイーンは最上の微笑みを向けた。 「負けたわたくしたちは、ペナルティとしてクリスタリウムの整理整頓と、1週間の闘技場掃除を課せられますね。ケイトやキングが勝ってくれているといいですね」 しれっと立っているトレイを殴りたくなったのは、クイーンだけの秘密だ。 * * * 久しぶりのFF零式小説です。螺旋としてはどこでも成り立つ気がします。コミックス&ビジュアルブック&ノベルス購入記念(?)。 久しぶりに書くといろいろずれるのが悩みの種。 |