聖なる光/FF零式



 空を覆い尽くした魔法陣。その圧倒的な輝きに、彼は息を呑んだ。
「なんだ、あれ……」
「あれが秘匿大軍神の陣、なの……?」
 降り注ぐ圧倒的な魔力に、青いマントが激しくはためく。
 朱雀の拠点の近くまで来ているが、この距離では巻きこまれるかも知れない。これほどまでに巨大な魔法陣だ、どれほどの破壊力を持った軍神が召喚されるのか、想像もつかなかった。あたりは焦土と化すだろう。
 敵味方の区別がつくとはとうてい思えない。
「行こう。もう時間がない」
 手を引くと、彼女は我に返ったようにうなずいた。ふたり手をつないだまま、拠点を目指す。誰もが必死だ。展開された光から少しでも遠ざかろうと、傷つき疲労した体を引きずるように走っている。
 ふたりの背後にも、たくさんの戦士たちが駆けていた。
 巻きこまれれば終わりだと、誰もが感じている。大地に押しつけられるような強烈な気配、吹きつける異界の魔力。
 空が白熱した。
 光が視界を焼き尽くす。激しい衝撃が鼓膜を貫き、反響するような耳鳴りがこだました。引き裂かれるような魔力の奔流に、息が詰まった。
 無数の残光が散ってはいたが、なんとか視界が戻る。
 おそるおそる振り返り、彼は目を疑った。魔法陣の中央付近の大地が激しい土煙を上げていた。一瞬遅れて、轟音が地を揺るがす。立っていられないほどの地響きを上げ、地面が崩落をはじめた。無数の命を乗せたまま、無慈悲な崩潰は加速する。
「あれが……」
 言葉が喉に絡まった。うまく声が出ない。つないだ先の指が震えているのがわかった。自分も、きっと打ち震えている。指先が凍える。心臓が破れそうだ。
「軍神……?」
 こんなとんでもない存在が、軍神だというのか。天変地異さえ伴う異界の獣神など、それこそルシでもなければ統御など不可能だろう。どれほどの命が吸われたのか――考えたくもない。
 揺れ動く地盤を打ち砕き、鴻大な要塞がせり上がる。時を刻むように回る歯車は、審判のカウントダウンか。
 恐ろしいまでの巨体だった。これほど離れていても、全容が知れない。その姿は、もはや生き物ですらなかった。巨神をかたどった城塞だ。
 中央部に、陽の昇る水平線のようなまばゆい輝きが走る。
(――来る)
 手を引き、走り出した。ここはきっと巻きこまれる。秘匿されるほどの軍神が、一方向だけを攻撃するはずがない。
 苛烈な光が空を引き裂いた。音すら聞こえない、絶対的な破壊が席巻する。背を向けていても、地に影が焼きつくような烈光に目がくらむ。激震する大地に足を取られた。体勢を立て直せず、突き飛ばされるように転がった。
 手だけは、離さない。離してしまったら、2度と会えないかも知れないから。
 衝撃と閃光がどれほど続いたのかはわからない。強烈な耳鳴りとめまいをこらえて顔を上げたときには、断続的な振動を感じるだけになっていた。
 全身がきしむ。体が思うように動かない。
「軍神は……朱雀は……?」
 ぎこちない体を必死に動かして、なんとか立ち上がる。
 振り返れば、巨神の城塞の最後のひとかけらが、土煙を上げる大地に突き刺さるところだった。それ以外は、なにもなかった。要塞も、魔導アーマーの群れも、白虎軍の姿もなかった。
 まるで、地獄の縁。
 地形をえぐり取る巨大なクレーターが、うつろに見開かれた瞳孔のように広がっているだけだった。
 生唾を飲み下す。喉が悲鳴じみた音を立てた。
「これが……秘匿大軍神の力……」
 ふと、自分の右手がなにかを握っていることに気がついた。痺れる手を持ち上げ――目を見開いた。
「なんだよ、これ……」
 腕だった。制服の切れ端に包まれた、肘から先の左手。すがるように曲がった指先が、持ち主を失ってなお、彼の右手を握りしめている。
(これは……)
 誰の、手?
 よく日に焼けた肌に、手入れも満足にされていない爪――それでも、これが女性のものだというのはわかる。
(僕はこの人の手を握って、魔法陣から逃げてた……?)
 胸の奥につららが落ちた。何本もまとめて突き刺さった。がらんどうの胸の中に氷のかけらをぶちまけた。
 ただの知り合いの手じゃ、ない。
 残された薬指には指輪がはめられていた。高価なものではない。武装研で買った鉄の指輪に、きらきら光る線の入った細いリボンを巻きつけた、ちゃちなものだ。血を吸い、薄汚れて黒ずんではいるが、元の色は赤だった。朱雀の赤。
 同じものが、自分の左手にもある。
 彼はその場に崩れ落ちた。膝を打ちつけた衝撃も、掌をついた痛みも、他人事のように遠い。嘔吐しないのが精一杯だった。涙が後から後からこぼれ落ち、切り裂くような声が喉の奥からあふれ出す。
「誰なんだよ……こんな、こんな指輪なんかして……なんで思い出せないんだよ……!」
 きっと大切な人だったのに。顔も、声も、名前すらも思い出せない。
 忘却とはここまで残虐なのか。互いの指に残された指輪の意味はわかるのに、交わした相手は記憶から欠けてしまった。誓いの言葉も、約束も、口にしたことは確かなのにその内容がまったく見つからない。
 一緒に死んでいれば忘れずにすんだ。でも、もう死ぬことはできない。かけがえのない存在だった確信はあっても、誰かもわからない彼女のために命を絶つことなど、できない。
 彼は慟哭する。誰とも知れぬ手の持ち主のために。
 打ち震える。顕現した秘匿大軍神の、おぞましいまでの破壊力に――。

*  *  *

 秘匿大軍神、顕現。
 候補生同士の恋愛ってどんな感じなのかしら、と頭をひねっていたら、ひねりすぎてこんなことに。この世界にも、指輪を贈り合うという習慣はあるのでしょうか。それとも、新しいタグを贈るのかな。