空を仰ぐ/FF零式



 雨が降っていた。
 教室にいるときは気がつかなかった。
 エントランスの窓から空を見上げ、セブンは小さくため息をつく。気象予報は見事に外れた。土砂降りではないが、一面が煙って見えるほどの雨だ、さすがに闘技場へ行こうとは思えない。
(運が悪いな)
 同じように窓に張りついていた候補生たちが、残念そうに散っていく。庭の散策を楽しみにしていた者もいただろうが、この雨では仕方がない。
 外灯に照らされた雨が銀色の筋を描く。石畳の水たまりは無数の同心円を散らし、水面にいびつな影を踊らせていた。
 何気なく視線を動かすと、雨の向こうに人影を見つけた。窓に頬を寄せ、目を懲らす。
「あいつ、なにしてる……?」
 長身、濃い金髪、やたらと背筋の伸びた後ろ姿、なにをどうしたらそうなるのか不思議なくらいきれいな襞を描くマント――トレイだった。
 そこならぎりぎり雨がかからないのか、大きくせり出した歯車の意匠の下にたたずんでいる。よぎる風に髪をかき混ぜられても、明らかに雨が降りかかっていても、気に留める様子もなく雨空を見つめている。
 よく見れば、制服やマントは雨を吸って色を変え、髪に散らばる滴が白く光を宿していた。
(屋根の意味がないな……距離もあるし、無理ないか)
 飛空艇発着所を見ているのだろうか。今にも飛び立ちそうな飛空艇が、その勇姿をけぶる空の合間に埋めている。
 いったい、いつからあそこに立っているのか。下手したら、講義が終わってすぐからかも知れない。
(あれでは風邪を引くな……)
 飛空艇が見たいなら、窓から眺めればいいものを。
 子どもじゃないのだから、放っておいてもいいことくらいはセブンにもわかる。それでも気にかけてしまう気質だ。こればかりはどうしようもない。
 扉に向かったとき、声をかけられた。
「あれー、なにしてんの?」
 のんきな声に振り返ると、大魔法陣を背にジャックが歩み寄ってくるところだった。生クリームが逃走しかけている、大きなクレープを手にしていた。唇の端に生クリームがくっついている。どうやら、お気に入りらしい。バナナにアーモンドスライス、生クリームと陣地争いをするチョコレートソース――見ているだけで胃がもたれそうだ。
 タイに染みついたソースに気づく様子もなく、大口を開けてかぶりつく。
「お前こそなにしてる。こんなところまで持ち歩いて……」
「だってさ、おいしいんだよ、これ」
 もしかしたら2つめなのかも知れない。恐ろしい事実を知りたくなかったので、セブンは強引に話題をそらすことにした。背後の窓を親指で示す。
「トレイがいるんだが……空を見上げてぼんやりしてる」
「えー、外にいるの? 天気予報大ハズレで、雨なのに? 物好きー」
 その台詞だけはジャックには言われたくないだろう。物好きはどっちだ。テスト勉強もせずに、シンクとふたりしてチョコボを追い回していたというのに。
 もちろん、ナインと3人で補習行きという、お決まりのパターンだった。
 そこにマキナがいたのはめずらしいといえるが――彼の場合、そもそもテストすらすっぽかしたのだから、補習で済ませてもらえたのは運がいいとさえ言えると思う。零組から放り出さなかったのは、マザーの温情だろうか。
 窓にぐりぐりと額を押しつけたジャックが首をかしげる。
「うーん、もしかしてあれかなー。お見送りー?」
「なんだ、知っているのか?」
「知ってるっていうかー……たぶん、飛空艇のお見送りだよ」
 いまいち要領を得ない。
「別に飛空艇好きでもないだろう、あいつ」
「中身には興味あるみたいだよ。メカニズムが気になります、とか言ってたし」
 メカニズムが好きで遠景を眺めるというのは、ものすごく理に適っていない気がする。設計図は無理にしても、整備の際に少しのぞかせてもらえばいいのに。
 ジャックが振り返った。クレープの紙を破りながら口を開く。
「あれってさあ、ミィコウ行きなんだよねえ。候補生が乗ってるんだよ。あ、『元』候補生か」
 発着所の方で微かな光が瞬いた。飛空艇が飛び立つのだ。
「すっごい腕のいい射手でさあ。トレイがほめてたんだよね、めずらしく。でもさ、蒼龍戦で腕やられちゃってさ、学院やめるんだって」
「お前、詳しいな」
「ちょっかい出しに行ってたからー。すっごい嫌な顔されたけど、世話焼いてるトレイなんてさ、なっかなか見らんないじゃん。もーおもしろくてさあ」
 見知らぬ候補生とトレイに、ちょっと同情する。
 見慣れた紡錘形のシルエットが雨空に舞い上がる。ゆるゆると旋回すると、高度を上げながら北の空へと鼻先を向け、雨にけぶる朱雀の雲間へと消えていった。
 ふと、引っかかるものを感じた。
「それなら、直接見送りに行けばいいだろう。なんであんなところに突っ立ってる?」
「未練が残っちゃうから来ないでほしいって言われてたよー」
 その願いを忠実に守ったわけか。
 それなりに親交があったようだし、見送らないのは落ち着かなかったのだろう。だから、候補生の願い通り発着所へは行かず、こんな離れた場所で見送ったのか。どうせならテラスにでも行けばよかったのに。
(そうでもないか……)
 射手なら視力はいいはず。気がつかれる可能性を考えたのだろう。
「妙なところで律儀な奴だな……」
 ぐいぐいとクレープを押しこみ、ジャックはにやにやする。
「すっごいまじめに話聞いてたからねー。僕らと違ってさ」
 それは新鮮だったはずだ。
 こうして雨の中見送りに行ったくらいだ。都合のいい話し相手だったというだけではないのだろう。零組の特異性を知っていてなお、慕ってくれる――嬉しくなかったはずがない。
「それで? お前はよかったのか?」
「僕? うん、見送りに来るなって言われたから行く気なんてなかったしー。トレイの鏃をこっそり取って、お守り代わりにあげたから、それでいいよね」
「……お前、ばれたら叱られるぞ」
「ま、なんとかなるんじゃないの?」
 ゆるいのか投げやりなのか。セブンは苦笑するしかなかった。
 戦いで失われたのは命だけではない。
 取り返しのつかない傷を負った者もいる。魔導院を去る者もいる。候補生にならざるを得なかった者もいる。
 朱雀の激動は、あとどれくらい続くのだろう。

*  *  *

 第7章「王国最後の日」あたり。
 軌道修正しようとしても、どんどこリュウタになっていくジャック\(^o^)/ 前回よりはましでしょうか。
 ジャックは何となく甘いもの好きそう。クレープと鶏もも肉で迷いましたが、前者の方が絵として可愛いということで、軍配が上がりました。