葬送/FF零式



 焼けた肉と、血と、硝煙と、くすぶる炎、痛めつけられた金属、命の消える――におい。
 濁る空の下、疲れ切った体を引きずるように歩を進めるマキナは、肺を満たす重苦しい空気に、微かな頭痛を覚えた。煙が目にしみる。喉が痛むのは戦いのせいばかりじゃない。魔法力はとっくに底をついている。一歩を進めることすら苦しかった。
「辛勝、か」
 担架に乗せられ、収容されていく朱雀の戦士たち。生きている者より、布をかぶせられた死者の方が圧倒的に多い。魔導アーマーの炎に焼き払われる盟友たちの断末魔を、何度も見た。負け戦をひっくり返せたのは、軍神の奇跡だ。
 顕現を間近で目の当たりにしたマキナは、ある意味では運がよかった。負傷はケアルで治せる程度で済んだし、最後まで戦い抜いて拠点に戻れるくらいの体力も残った。
 焼け焦げた斜面をゆっくりと登り、拠点へと向かう。
「てめえも無事か」
 顔を上げれば、拠点の入り口にナインが立っていた。制服はぼろぼろでところどころ焦げていたが、傷はほとんどない。治療済みのようだ。だが、その野性的な面差しは、これ以上ないほど苦しげに見える。
 その隣で、半ば目を伏せるようにして支柱に寄りかかっているのはトレイだった。顔色がひどく悪い。かろうじて整えてはいたがナイン以上の惨状で、髪も頬も返り血に汚れたままだ。右手には厚く包帯が巻かれている。
 指先にまで及んでいるのを見て、脳天をメイスで殴られたような衝撃を受けた。
「ケガしたのか」
 我ながら間の抜けた言葉だとは思ったが、かける言葉が他に思いつかなかった。
 ナインはさらに顔をゆがめ、目をそらした。トレイは苦笑に似た表情で、淡々と答える。
「しくじりました。ここへ来るまでにセブンを見ませんでした?」
「いや、見てないな」
「そうですか……ナイン、なんて顔をしてるんです。君もよく知っているでしょう。彼女はそう簡単にやられたりしませんよ。すぐに戻ります」
 ナインは答えない。
 そういえば、トレイ、セブン、ナインは同チームだったか。指揮系統攪乱のために、ジャマーを敵陣に設置する任務を負っていた。
「なにかあったのか?」
「不測の事態が起きまして」
「……言やいいだろ、俺のせいだって。俺が暴走して、お前がしなくていいケガしたせいで、セブンとはぐれたって!」
 ナインが気まずそうにしているのはそのためか。
「君に爆破されたのではないですから、君の責任というのは正しくないでしょう。君を押しのけたりしないで、退いて、ウォールを張ってから狙撃すればよかったのですから。私の判断ミスです」
 つまり、冷静なトレイがとっさの判断を誤るほどの事態に陥ったということか。セブンとはぐれたのも、ただ見失ったというわけではなさそうだ。爆発で吹き飛ばされたか、エナジーウォールで分断されたか――どちらにせよ、無事でいてほしい。
 セブンの行方もトレイたちも気になったが、つつき回していいことでもないように思えた。ナインを追い詰めたくないし、トレイの憔悴ぶりも気にかかる。様子からして、大量の血を失ったことは間違いない。それでも、セブンの無事を確認するまでは、天幕へ戻れと言っても聞かないだろう。
 離れた方が賢明だ。
 軽く手を上げ、ふたりに背を向ける。
「第8天幕にレムがいます」
 トレイの声が追いかけてきた。
「行ってあげてください。かなり参っているようです」
「わかった」
 レムの名に胸をかきむしられた。無事を喜ぶあたたかな光と、打ちのめされていると聞いた冷たい焦燥がせめぎ合う。そこにセブンの姿がないことを願って、トレイは天幕へ向かったのだろう。
 重い体を引きずり、足を早める。


 第8天幕にたどり着いたマキナが見たのは、悄然と座りこむレムの後ろ姿だった。
 等間隔に敷かれた敷布には、死した候補生たちが寝かされていた。無残な姿を隠すようにかけられた布に、あえかな灯りが薄い陰影を描き出す。犠牲者のあまりの多さに、胸が締めつけられた。
 血臭に混じり、内臓の臭いが漂う。それが腐臭に変わるのに、そう時間はかからないだろう。
「……レム」
 レムはゆるゆると振り返った。制服は泥にまみれていたが、レム自身にはケガはほとんどないようだった。青ざめた頬に一筋の光を見つけ、マキナの心臓は揺さぶられる。
 レムはひとりの少女の手を握っていた。布は胸の下まではぐられ、ピンクのマントの切れ端が見える。表情は穏やかだった。右肩からななめに走る無残な傷口がなければ、眠っているようにしか見えなかっただろう。
 7組の候補生だった。
「この子ね、友だちなの」
 ぽつりとレムが言った。
 隣に膝をつき、マキナは無言で肩を抱き寄せる。
 レムの指は、少女の手をやわらかく包んでいる。いたわるように、慈しむように。だが、少女の手は握り返すことはない。力なく投げ出されたまま、友愛に応えることはなかった。
 長いまつげの先から涙の粒がこぼれ落ちる。喉が悲痛な音を立てた。
「私、忘れたくない……」
 忘れないさ、と言いたかった。言えるはずもなかった。気休めにすらならない。
 いや。
 口にしたなら、なによりもレムの心をえぐるだろう。
 レムは、出会った人や一緒に戦った仲間の名前を、必ず書き留めておくという。それでも記憶はこぼれ落ちていくのだ。容赦ない忘却は、握り合わせた手の内から、思い出の砂を根こそぎ奪い去っていく。面影すらも残してくれない。
 こうして涙を流したことさえ、彼方に押し流される。
 抱き寄せたレムの肩を優しく叩く。微かに震える背に手を添えれば、レムは力尽きたように頬を預けてきた。熱い涙が滲みる。
「こんなの、ダメだよね……」
「レム」
「忘れちゃうのが怖くて、ちゃんと泣けないなんて、ダメだよね」
「大丈夫だ。一緒に、忘れずにいよう」
 汚れた髪に口づけを落とす。レムの手が少女を離れ、マキナの腕をつかんだ。
「マキナは忘れないでね。もし、私が死んじゃっても」
「俺はレムを死なせたりしない」
 ただひとり、記憶からこぼれ落ちずにここまで戦い抜いてきた幼なじみだ。絶対に、取りこぼしたりはしない。彼女を守るのは義務であり、使命だ。必ず、一緒に生き抜いてみせる。
「忘れるなんて、ない。心配するな。一緒だ、レム」
 レムの背は震えている。何度となく任務をこなしてきたが、こんなに不安定な彼女を見るのは初めてだ。
 級友の死を見るのは初めてではないだろう。7組は回復・支援が主体だが、その重要性から集中攻撃されることも少なくはない。目の前で死なせてしまった経験だってあるだろう。残酷だが、7組は救う命の選別すらしなければならない。レムとて、その試練は経ているはずだ。
 なにかが引っかかった。その正体にはすぐに行き着いたが、推測のままとどめておくしかなかった。腕の中で涙を流すレムには決して訊けない。
(目の前で亡くしたのか……)
 7組の友人を、零組に在ってはじめて。
 気配を感じたのはそのときだ。振り返れば、天幕の入り口に茶色い髪の少女の姿があった。
 主力部隊と行動をともにしていたデュースだ。疲労の色は濃かったが、制服に目立った損傷はなく、本人にも傷ひとつない。マントの端が少し焦げている程度だ。
「お疲れさまです」
 ふわりと頭を下げる。
 レムの背を軽く叩き、マキナは立ち上がった。
「無事だったんだな」
「はい。ジャックがちょっと大けがでしたけど、お腹すいたって騒いでましたから元気です。ケイトはちょっとすりむいちゃいましたけど、文句言ってましたし大丈夫です」
「……そうか」
 他にどう答えようがあるだろう。「ちょっと大けが」の程度がよくわからないが、無事がわかればそれでいい。
 レムが腕を伸ばした。永久の眠りについた友人へ、そっと布をかける。ゆるやかなまばたきが、目元に暗い影を刻む。青白い頬を涙が伝い落ちた。
「お友だち、亡くなったんですね」
 デュースのやわらかな面差しはひどく曇っていた。今にも泣き出しそうだ。
 マキナの手を取って立ち上がったレムは、小さくうなずいた。視線は足下をさまよっている。
「うん。一緒にいたんだけど、おいていかれちゃった」
「レムが残ってくれて、お友だちはほっとしてると思います。あの、うまく、言えないですけど……」
 デュースは笛を掲げて見せた。
「少し、時間をください」
 横笛を構え、唇を当てる。笛に命が吹きこまれた。
 吹き鳴らされたのは、涙をかたどった水晶を思わせる、はかなく透明な音色だった。透徹の音律がゆるやかに連なり、もの悲しくも美しい葬送曲を紡ぎ上げる。
 死臭が吹き飛び、春の花園が広がるような錯覚――。
 明るい庭園に真っ白な棺を据え、花びらをまいて死者の幸福を願う。共に在った喜びを讃え、共に歩んだ道を誇り、共に生きた時間を慈しむ。手を取り合った日々は、思い出せなくなっても決して忘れない。記憶からこぼれおち、手の届かぬ谷底に落ちこんだとしても、思い出はこの体の一部を形作り、決して消えることはないのだから。
 共有した歳月は消えない。その年月がなければ、今の自分は存在しないのだ。だから、記憶は抜けても、魂は覚えている。肉体は忘れない。思い出は失われても、時間まで失うわけではないのだから――。
 繊細な余韻を残し、旋律は消えた。
 沈鬱な安置所が視野を席巻する。
 夢から覚めたような心地で、マキナはゆっくりとまばたきした。不思議と、胸が苦しくなるような感覚は消えていた。
 デュースを見やる。歩み寄ってきた彼女はやわらかに微笑んだ。
「少しは慰めになればいいなって。もし……忘れてしまったとしても、一緒に生きて、戦った仲間です。ちょっとでも残ればって、そう思ったんです」
「ありがとう……デュース」
 レムの視線がやっと持ち上がった。笛を持つデュースの手をそっと包みこむ。デュースもやわらかく握り返した。
 ふたりは笑みをかわす。
 レムの笑顔はまだ弱々しかったが、ぎこちなくとも微笑が戻ったことにマキナは安堵する。心臓をあぶる氷の炎が弱まっていくのを感じた。レムが引きずられてしまう恐怖を抱いていたことは、否定できない。
 いたわるようにレムの背をなでるデュースが、なにかを思い出したように小さく声をもらした。あたたかな灰色の目がまっすぐに見上げてくる。
「あの、伝言です」
「伝言?」
「えっと、トレイからです。『セブンとも無事合流できました。落ち着いたら顔を見せてください』だそうですよ。マキナが心配しているから伝えておいてください、ってお願いされちゃいました」
 知らず苦笑がもれる。
 あんな顔色で、隣にすさんだ級友を抱えているのにこちらにまで目が届くとは。これだけ視野が広いのに空気が読めないことが不思議だ。むしろ、視野が広すぎて欠けが大きいのか。
 振り仰ぐレムの視線を受け止め、マキナは口元を緩めた。
「レムがここにいると、トレイに聞いた」
「そうなんだ……私、来たこと気づかなかった……」
「行けるか、レム」
「うん」
 ありがとう、とささやきかける声に、マキナは笑みを向ける。手を伸ばせば、レムの指が絡む。硬い剣ダコが並んでいても、男のものより遙かにやわらかな手。
 デュースに視線を向けると、彼女はひらひらと手を振った。ここに残るらしい。
 レムのぬくもりを感じながら、マキナは天幕を出た。
 少し風が出ている。鉛色は薄れ、彼方には青空が見えた。分厚く垂れこめる雲が割れ、光のはしごが幾重にも連なっている。
「明日は晴れるかな」
「さあな……晴れたらどうする?」
「うーん」
 レムは首をかしげる。
「みんなでピクニックしようか」
「クイーンの説得は任せる」
「うん、頑張ってみる」
 何気ない会話を笑って交わせる幸せをかみしめながら、ゆっくりと歩を進める。
 明日の空は、気持ちよく晴れ渡りますように。

*  *  *

 FF零式、フライングその3。トレイさんが出張ってくるのは仕様です。マキナとレムを中心に、デュースにも出てきてもらいました。
 マキナとレムは、ラブでもなくライクでもなく……うーん、ディア?