戦いの前の……/FF零式



 なにがまずかったんだろう、とエイトはこっそり悩んだ。やはり、ぽろっともらしてしまったのが悪かったのだろうか。「ナインがトレイを投げた」と。
 トレーではなくトレイだ。
 もう少し言い方があったのではないかと反省している。見たままをそのまま伝えただけだったが、エイトのこの証言のせいでヒートアップ全開になったのは事実だ。悪いことはしていないはずなのだが、罪悪感めいたものが胸の中をぐるぐるしていた。
 ナインをぎゅうぎゅうに締め上げるクイーンとサイスの迫力には、エイトの心臓も縮む。
「仕方ねえだろコラ! 天井に引っかかったんだからよ!」
 ナインがばんばんと教室の机を殴る。だが、両手をたたきつけたクイーンの迫力に、明らかにたじろいだ。エイトもこっそりひるんだ。
「そもそも天井に投げることがおかしいんです! わたくしたちが、あなたにもわかるようにと懸命に作ったのに……」
「全然わかんなかったぜ!」
「ほんっとに馬鹿だな。それでトレイを投げるなんて……」
 クリスタリウムの天井に――紙飛行機を折ろうとしたというのが本人の言だが――ぐしゃぐしゃに丸めたプリントを引っかけてしまい、焦りまくっているナインを見つけたのはエイトとトレイだった。
 見つけなきゃよかったと、今更ながら思う。やり直せるなら、絶対にクリスタリウムには行かない。それか、入ってナインと目があった瞬間、先制攻撃をかける。
 ふたりの姿を見つけたナインは、救世主を見つけたような顔でトレイを担ぎ上げた。ぽかんと見送るエイトと、あまりにも想定外すぎたらしく固まっているトレイに構わず、全力のハイジャンプを見せた。そして、トレイを天井めがけて投げたのだ。「あれ取ってくれコラ!」と怒鳴りながら。
 同情の余地がない。どんなに頑張っても、チョコボの涙ほどの温情すらひねり出せない。
「演習は明日なんですよ!? 4人でどうするつもりですか!」
 混乱しただろうに、空中で軌道を修正して、言われたとおりプリントを取ってあげたトレイはえらいと思う。エイトなら天井を蹴って反転、地階に着地したナインに跳び蹴りを叩きこんでいたと思う。
 第一、手書きのプリント――トレイとクイーンが、ナインのためにわかりやすくかみ砕いて演習の要項を説明したものだ――を丸めて天井にぶち込める神経が、エイトには少しも理解できない。
 そのあと焦っただけ、まだ救いがあると思うべきか。むしろ、実行する前に気づけなかった時点で察するべきか。
 筋を痛めたトレイは、今、マザーの元で診察を受けている。
「どうするったってよ……」
「忘れてねえか? あいつが参加できないなら、あたしらのチームは射手なしになる。遠距離にどう対抗する気だ! 長話のジジイみたいにうざいし、うるさすぎて首絞めたくなるが、射手は射手だ!」
 その言い様は、ちょっとトレイが可哀想だ。あとからあとから言葉がわき出して止まらないときは、さすがに口をふさぎたくなるが。
 話が長いだけでも困るのに、話している意味がわからないのではなおさらだ。
「そんなの、魔法でなんとか……」
「魔法は使用禁止と言われたのを忘れたんですか。プリントに書いておいたでしょう」
「俺が槍……」
「槍の射程なんかたかが知れてるだろ! 飛距離も把握してないのか、笑わせんな」
「んじゃサイス……」
「あたしの技じゃ無理だっての!」
「じゃ俺のや……」
「飛距離が違うと言ってるでしょう! キロメートル投げられるんですか!?」
「でもよ……」
「コロッサスの装甲一撃でぶち抜けるのか、あんたの槍は!?」
「あんなの……」
「威力も飛距離も違うって話してんだ! おいエイト、なんか言ってやることねぇの!?」
「馬鹿だな」
「てめえケンカ売ってんのかコラ!」
「あたしらにケンカ売ってんのはあんただろー!?」
 ナインの胸ぐらを掴み上げ、サイスが振り回さん勢いで揺さぶる。首が絞まっているようにも見えるが、きっと気のせいだろう。
 投げやすい方だろうエイトではなく、エイトより細長いトレイを選んだのは、背が高い方が届きそうだから、という理由だったらしい。傷つくべきか、安易さを諭すべきか、少し悩む。
 槍を投げることを思いつかなかっただけましだったのだろうか。
 明日は、3チームに分かれての演習がある。魔法は使用禁止。魔法をかけた広大な廃村を戦場に見立て、白虎軍に見立てた魔導傀儡との戦闘を行うことになっている。零組の射手は3人、チームにひとりずつ配されることに決まった。トレイ、ケイト、キングは望む望まないにかかわらずライバルになってしまったが、本人たちは別に気にしてもいないようだった。
 むしろ、自分が誰とチームを組むことになるのか、クラサメの発表を恐々と待っていたようだ。ナインを割り振られたトレイががっくりとうなだれ、ケイトがガッツポーズを作り、キングが密かに胸をなで下ろしたところも見てしまった。
 優勝したチームにはマザーからちょっとしたご褒美があると伝えられ、誰もがやる気に燃えていた矢先のこの騒ぎだ。まさかの射手欠員か。
「お前、もう少し後先考えろよ」
「後先考えてねえのはジャックだろ、コラ」
 この場にいない――しかも、この件にはまったく関係ないジャックを持ち出す意味がわからない。案の定、サイスが怒った。手を離され、ナインはぽいと床に放り出される。
 受け身を取った鼻先に、サイスが指を突きつけた。
「あんたが言えることか! マザーのご褒美だぞ!? ほしくないのか!」
「ほしいに決まってんだろ!」
「じゃあ、よけいなことすんな! こんな馬鹿なことで負けたら錆にしてやる、覚悟しときな!」
「錆止めでもぬっときゃいいじぇねえか」
(真顔で言うことじゃないぞ、ナイン……)
「このアホが!」
 サイスがあそこまでヒートアップするのもめずらしい。
(というか、こんなことで騒ぐより、4人での動きを確認しておいた方がいいんじゃないか……)
 そうは思うものの、武器を取り出さんばかりの勢いで机を殴りまくっている二人に声をかけるのも、なんだか気が引ける。
 クイーンがあきれたようにめがねを押し上げた。
「ほんと、馬鹿ですね」
「馬鹿なのはわかってるが、対策を考えた方がよくないか」
「あっちは放っておいて、わたくしたちだけで考えましょう。どうせ、ナインには理解できませんし」
「聞こえたぞコラ!」
 すかさず声が飛んできた。
「耳は悪くなくてよかったですね。ああ……まさか、こんなことで出鼻をくじかれるなんて」
 ナインがぐっと詰まる。
「そうだな。トレイの矢の飛距離は飛び抜けてる。俺たちが有利だと思ったんだが」
「明日までによくなってくれることを願うしかないですね」
 ナインが先駆け、クイーンがしんがりというのは、どちらにせよ動かないだろう。待ち伏せ時には、狙撃に当たるトレイのサポートにエイトかサイスがつき、残った方がナインたちと一緒に行動するつもりだった。
 だが、射手の援護を受けられないなら、ばらけるのはむしろ危険かも知れない。魔法を使えない以上、高所や遠距離への先制攻撃は完全に封じられることになる。
「いざとなったら、俺かナインが盾になるしかないな」
「頼りはサイスの……あら?」
 裏庭に続く扉の方を見つめ、クイーンが立ち上がった。エイトも振り返る。
 いつの間にそこにいたのか、トンベリがしずしずと歩み寄ってくるところだった。右手にはいつもの包丁を、左手には薄青の封筒を持っている。相も変わらず、なにを考えているのかよくわからない面貌だ。
 扉が開いたことに、誰も気がつかなかった。サイスとナインがぎょっとしたような目を向ける。
 教卓の前で立ち止まったトンベリは、はい手紙、と言わんばかりに左手を差しだした。受け取りに向かったのはクイーンだ。タッチの差でエイトは出遅れた。腕を下ろしたトンベリは、立ち去るでもなく見守るでもなく、ぼんやりとその場に突っ立っている。
「まあ! 明日は5人で参加できそうですよ!」
 手紙を開封し、クイーンが声を弾ませた。
「マザーからか?」
 クイーンは答えず、手紙を差しだした。ナインの手が伸びるよりはやく、エイトは手元に引き寄せる。
 手紙には、優雅な丸みを持つマザーの文字が並んでいた。
「なんだって?」
「口頭で打ち合わせをしておけとある。明日の朝には完全に回復するそうだ」
「そう……命拾いしたな」
「……おう。ちったあ悪いと思ってんだぜ、オイ」
「思ってなかったら大問題だ! あたしが墓地に叩きこんでやる!」
 封筒には手紙がもう1枚入れられていた。今、クイーンはそれを読んでいる。その眉間にびしっとしわが走るのを見て、エイトは嫌な予感にかられた。めがねのブリッジを押し上げると、レンズが鋭く光を跳ね返す。なんとも不吉だ――。
 紫の眼光が、貫く勢いでナインを見据える。
「……なんだよ」
 クイーンはにっこりと笑んだ。
(終わったな)
 エイトは見守ることにした。不穏な空気を感じたらしいサイスが、さりげなく距離を置く。机をこっそり乗り越え、エイトの隣の席に滑りこんだ。
「ナイン、隊長から呼び出しです」
「あぁ? なんで俺なんだ、コラ!?」
「問題を起こしたのがあなただからでしょう」
「エイトも止めなかったぜ、オイ!」
「ひとのせいにするな。止める暇もなかったろ」
 気づいたらトレイが放り出されていたのだ、なにをどう止めろと言うのか。できるなら止めたかった。
 顔を近づけてきたサイスが、こっそり耳打ちしてくる。
「あいつ、今週だけで反省文3つ抱えてるのに、大丈夫かね」
「3つ?」
「ああ。クリスタリウムの椅子を壊したのと、貴重な古文書をばらばらにしたのと、そこの窓割ったのと」
 それは知らなかった。これで4つめか。級友を放り投げるのはやめましょう、なんて、まるで子どもだ。マザーも耳を疑っただろうが、クラサメは自身の正気を疑っただろう。
 少し同情する。
「……明日の演習で優勝すれば、少しはましになるんじゃないか」
 ナインがしぶしぶといった様子で机を降りた。途端、トンベリがのそのそと歩き出す。ついてこいと命じるように、包丁をひとあおりした。
 ナインは威嚇するようにトンベリをねめつける。
「んだてめぇ、やんのかオラ!」
「トンベリにまでケンカを売るのはやめなさい」
 クイーンにぴしゃりと言われ、ナインはあきらめたように歩き出した。そのうしろに、ぴったりとトンベリが張りつく。
 ナインが足を速める、トンベリは離れない。小走りになる、距離は変わらない。駆け足になる、変わらずついて行く。さらに速度を上げる、くっついていく。もっと上げる、間隔は広がらない。全速力、トンベリの快足がうなる。
 トンベリに追い立てられ、ナインの姿はエントランスに消えていった。開かれっぱなしの扉が、ぷらぷらとむなしく揺れている。
「……ナイン、どこへ行くかわかってんのか?」
「知らないと思います」
「そのうち気づくだろ。隊長が呼びに行くか、トンベリが正しく追い立てるか……戻ってくるかはわからないが」
 教室に残された3人は、深い深いため息をつく。
 なんとも不毛なひとときだった。

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 葬送、いらだち、掌に余る――こちらも、シリーズっぽい作りになっています。
 エイトはもっとちゃんとまともなキャラだと思うのですが、少々好戦的になってしまいました。でも、このメンツの中ではいちばん冷静。