ちぎれた輪の行方/GEB



 その答えが返ってきたとき、コウタは目玉がどこかへすっ飛んでいくかと思った。
「ああ、あいつか。金づる?」
 カレルが言うのは、第1部隊隊長・紫苑ハルのことだ。なんか仲いいよな、と振ったらこれだ。柔らかそうな金髪をかきあげる色男には、少しの罪悪感も恥じらいもないようだった。この場にハルがいたら、さすがに回れ右しているのではないだろうか。
 視界の端でアリサがぽかんと口を開けている。
 新人フロアの自販機前には、コウタたち3人しかいない。他のメンバーがいなくてよかったと、心底思った。
「本気で言ってるんですか?」
「さあな」
 カレルの口調にわずかな棘が見え隠れする。アリサは気づいているのかいないのか、不服そうに口を閉ざしただけだった。目元にはあからさまな不快感と、怒気。
 終末捕喰、リンドウ救出――様々な危地を乗り越えては来たものの、どうにもこのふたりの間には荊の峡谷があるように思える。アリサはその存在にいまいち気がついていないようだが、カレルはせっせと丹精していたようだ。
 最初の出撃が尾を引いているのだろう。新兵としてリンドウのチームに配属されたアリサは、リンドウをくさしたばかりか、請われてともに出撃したカレルのこともぼろくそに言ったという。カレルが激怒して大変だったと、しみじみとハルがこぼしていた。
 これでも、ふたりの関係性はかなり改善されたのだ。
 ちびちびと紅茶の缶を傾けるカレルと、膝に乗せた両手でレモネードの缶を包んで動かないアリサと。こんな風に一所で顔を合わせてじっとしていることなど、以前なら考えられなかったことだ。
 もっとも、コウタの神経はぎりぎりと痛めつけられている。
(空気が重い……)
 軟化したとは言え、たやすく雑談が成立するメンバーではない。コーラの缶を手に、コウタは全力でフォローしようと決めた。
「ハルはでかいミッションを率先して受けるもんな。よく誘われるから、それでだろ?」
「まあな」
「なんでカレルさんなんでしょうね」
 空気が凍る。カレルの理性の壁にひびが入る音が、はっきりと聞こえた気がした。秀麗な目元に凍りつくような瞋恚ががある。
 視線を落としているアリサは気がついていない様子だ。不思議そうに首をかしげている。
「だって、狙撃手は他にもいるでしょう? カレルさんは第1部隊でもないし。私、フリーミッションにはあまり誘われないんですよね……」
 ここで、ジーナも一緒に行くことが多いと言うのは地雷だろうか。俺もフリーはあまり一緒には行かないよと告げるのは、ばくちだろうか。それとも、第1部隊を信頼してくれているからこそ、フリーミッションは他のチームと行動を共にしているのだと口添えするのが正解だろうか。
(いやでも、教えるなら自分で言いたいだろうし、俺が勝手に言っちゃうのもなー……)
 カレルは目にかかる前髪をうしろに撫でるようにかき上げた。鋭い眼光がのぞく。
「うるせえ奴が嫌いなんだろ」
 容赦なくたたきつける氷の口調に、アリサが眉をつり上げた。
「それって私のことですか!?」
「そう聞こえたんなら自覚があるんじゃないのか? 見苦しいな」
 状況悪化。カレルとアリサがにらみ合いをはじめてしまう。張りつめた空気にざくざく刺されて、皮膚が真っ赤に腫れ上がりそうだ。
(えーこれどうしよう。ってか、俺がどうにかすべき?)
 もういいかな、逃げても。
 ネガティブ方面へと傾きかけたとき、エレベーターの到着音がのんきに響いた。
 救世主だ!
 たとえそれがツバキでも助けを求める、絶対に、必ず、断じて――きりりと決意して振り返れば、出てきたリッカと目があった。3人の視線の集中砲火に、気まずそうなひるんだような様子を見せる。
 無言で回れ右するのを、慌てて止めた。ここで逃してなるものか。
「よう、リッカ。ここまで上がってくるってめずらしいよな。なんかあった?」
 少し明るすぎたかも知れない。リッカは苦笑じみた表情を浮かべて歩み寄ってきた。
「エントランスにも訓練場にも誰もいなかったから。ヒバリも知らないって言ってたし」
「知らない? なんのことですか?」
 アリサの声がリッカに飛んだ。リッカは懸念めいたまなざしで奥のふたりを見やってから、なにかを握っていた右手を開く。白っぽい輝きが、人工の光の下で無機質な光を跳ね返した。
「これ、神機保管庫に落ちてたんだけど、誰のものか知らない?」
 リッカの掌でさらさらと音を立てたのは、細かな鎖だった。ネックレスだ――おそらく。ひとつひとつの穴が針で突いたような小さな楕円を連ねた、繊細な作り。一般的なものより、長めに作られているように感じる。白みを帯びた上品な銀色は、コウタの目にも高級な品物と映った。
 残念なことに、モチーフは失われている。その代わりなのだろうか、鎖の先端が複雑に絡み合ったまま放置されている。周囲にわずかながら汚れが残っているのが、ずっと絡まったままほどかれていない証左だった。
「ごめん、わかんないや」
 コウタが言えば、アリサも首を振る。
「私も見たことありません。こんなきれいなのに、切れたままってもったいないですね」
「これ、なんだろうな? 銀?」
「プラチナだな」
 コウタたちのように覗きこむことはせず、冷めた視線でカレルが言う。
「よくわかりますね」
「本人がたぶんプラチナだって言ってたしな」
「え、本人ですか?」
 アリサの声が高くなる。カレルは迷惑そうに眉をひそめ、視線で下階を示した。
「ハルが持ってた」
「えっ、これ、リーダーのなんですか? 私、見たことありませんけど……」
「ていうか、こういうの持ってるってことも初耳。俺、結構部屋に遊びに行ったりしてたんだけどなー」
 密かにショックだ。アリサも同じだろう。唇の両端に濃い影が刻まれている。同じチームのメンバーすら知らないことをカレルが知っているというのは、少し面白くない。本当に、少しだけれど。胸の底を、小さな火で炙られた気がした。
 でも、これはきっと考えすぎだ。
「考えてみたら、私、リーダーのプライベートとか知らないです」
「知ってどうする? 言わないってことは詮索されたくねえってことだろ。ほっといてやれよ」
「っていうかさ、ハルは休みも日でもミッション受けまくってるよ。だから、プライベートとか、たぶんあんまりない」
「本人は軽いミッションだって言ってたがな」
「軽いって、サリエルが?」
 リッカの眉尻が下がっている。
 そうか、休日のハルは、サリエルを狩って回っているのか。それすら知らなかった。考えてみれば、装甲もサリエルの素材を多く使うシールドを選んでいる。
「俺がうしろから守ってんだ、滅多なことじゃお前らのリーダーはやらせねえよ」
 カレルは淡々と言う。こういうときのカレルは冷然として、ひどく落ち着かない気分にさせられる。血の色の透けるような瞳が、夕暮れの一瞬の静寂を焼き付けたような、命の眠る瞬間のような、目を逸らしてはいけないような感覚を残すのだ。まばたきの刹那に、目の前にいた人間が血煙を上げて崩れ落ちる――そんな錯覚。
 考えすぎだ。
 アリサが少し唇をとがらせる。
「そうですね。私たちのリーダーのうしろに隠れっぱなしじゃ困ります」
「まあまあアリサちゃん、そういう言い方はよくないって。カレルもさ……そんな怖い顔やめてくんない? ほんとまじで」
「これ、どうしたらいいかな」
 不毛なにらみ合いを断ち切るように、リッカが繊細な鎖を揺らす。コウタとアリサが同時にカレルを見やったのは偶然だ。だが、カレルはそうは思わなかったようで、あのな、と不本意そうに口を開く。
「そういうのはお前らでやれよ。俺はチームも違うんだ、お門違いにもほどがあるぜ」
「でも、知らないはずの私たちが持って行くのは……」
「あのなあ、なんでお前らが知らないと思うんだ?」
 あきれかえった声に、アリサが唇を引き結ぶのがわかった。どこからどうフォローしたらいいのかわからない。
「ハルがお前らに知られたくないから知らないんだろ」
「……信用されてないってことですか?」
「心にもないこというなよ、めんどくさい。かっこつけたいんだろ、見栄張りたいんだよ。リーダーだし、男だからな」
 その言葉は、コウタの心の中にすとんと落ちて、きれいに収まった。
「そっか……」
 アリサの目がまん丸に見開かれる。
「コウタはわかったんですか!?」
「わかったっていうか、わかる気がするっていうか」
 だって、男だから。
 ともにおもむくミッションは、どれも激戦だ。携行品を使い切ることだってめずらしくないし、互いをリンクエイドしながらなんとか支え合って戦場を駆け抜けることだってある。戦いが終われば、疲弊しきったコウタやアリサは、その場に座りこんだり、血潮の燃え上がる体を少しでも冷やそうと服を緩めたりする。ソーマでさえそうだ。
 だが、ハルは少しも乱さない。お疲れ、なんて明るく声をかけながら、コアを回収し、もう一度とどめを刺し、撤収命令があるまで周囲を警戒している。
 袖をまくることはおろか、ネクタイを緩めもしない。いつもそうだ。衛生兵の真っ黒な制服に身を包み、背筋をまっすぐに伸ばしている。だから、ネックレスの存在が目に触れなかっただけだ。
 穏やかな誇りの燃え上がる緑の瞳が仰ぐのは、コウタには見えない遙かな高みばかりではないということか。
「シュンが一緒だと、暑苦しいってひんむかれてるな」
「えっそれってセク……」
「だいたいはジーナが撃って止めてるから、大丈夫だろ」
「いや、当たり所悪いとすぐリンクエイドだよね? 十分大事だよね?」
「ジーナの腕はすげえよ。何回かしか当ててねえぜ」
「当たってるんだ……ていうか、神機をそんな風に使わないでほしいんだけど」
「ジーナに言えよ。俺は撃ってないぜ。はやし立てはするけどな」
 割とたちが悪い気がする。カレルが無責任にあおり、シュンがますます調子に乗って、ジーナがさらに冷静に狙いを定めて、ハルがなんとか事態を収拾しようとじりじりしている構図が容易に思い起こせる。
 その場にはあんまりいたくない。
「あーもう、面倒な奴らだな」
 カレルが腕を伸ばし、もぎ取るようにネックレスを受け取った。
「こんな金にもならんことやってられるか! 高額ミッションにつきあわせねえと割に合わねえよ……」
 コウタたちを押しのけるようにして、さっさとエレベーターに向かってしまう。
 緊急警報が鳴り渡ったのは、コウタがカレルの進路を急いで塞いだ瞬間だった。鈍い音を立てて閉ざされた扉の前で、4人は天井を見上げる。
『緊急事態、外部居住区のアラガミ装甲に、サリエルの集団が群がっています。総数七!』
 切り裂くような鋭いサイレンと、切羽詰まったヒバリの声に身が凍った。七体ものサリエルが同時に現れるなど、聞いたことがない。明らかな異常事態だ。
 数秒の間を置いて、エレベーターが下の階に向けて動き出す音がする。その震動が、迫るアラガミの足音に聞こえた。
「まずいよ……今、動けるゴッドイーターはほとんどいないんだ」
「私たちでやるしかありませんね……」
「外部居住区にはブレンダンとジーナがいる。あいつらと合流した方が良さそうだな」
 到着音が鳴り渡る。無機質な音色を響かせ、扉が開く。コウタたちは凍りついたように、ただエレベーターを見つめていた。
 開いた扉の向こう、4人が乗りこんでもまだ余裕のあるかごの中央に、ひとりの少年がたたずんでいた。衛生兵の真っ黒な制服、襟足の跳ね上がる明るい茶色の髪、青りんごのようなさわやかな緑の瞳――第1部隊隊長、紫苑ハルだ。
 ハルはエレベーターを降り、コウタたちを見渡した。その眼光は、晴れ渡る光炎を宿したように燦然と輝いている。
 身を焼くような焦燥が穏やかに凪いでいくのを感じ、コウタは知らずため息をこぼした。
「今、ブレンダンとジーナがサリエル群へと向かっている」
 なぜ、この階でエレベーターを止めたのだろう。コウタたちがいることなど知らないはずなのに。アナグラ内のゴッドイーターへの即時出撃を依頼しますと、ヒバリの声は告げた。わざわざ新人フロアで止める理由などない。
「彼らに一番近いのは、アナグラにいる俺たちだ」
 思えば、いつもそうだった。ありとあらゆる危機的状況をひっくり返してきたのは、常人離れした鋭い勘と、並外れた行動力だ。コウタたちの存在を確信できるなにかがあったのだろう。
 もしかしたら、押し間違えただけかも知れないが。
「現場の指揮を任された。サリエルを迎撃する!」
 頼もしく響く、揺るぎない声。彼の存在感は圧倒的だ。
 平時であれば、背も低めで体格も未熟な、どこにでもいる普通の少年としか見えない。だが、その思考が戦いへとシフトした瞬間、戦意の烈風に彩られ、アラガミから生命を勝ち取ろうとする果敢な戦士となる。
「みんな、力を貸してくれ!」
 その言葉にうなずかぬ者はいなかった。
「ああ、もちろん! 今いない奴らの分も、俺たちで頑張ろうぜ!」
「なんとか食い止めましょう!」
「報酬は上乗せしてくれるだろうな。七体なんて割に合わないぜ……」
 ハルは声を上げて笑う。切迫した状況など吹き飛ばすような、明るい声だった。
「嗜好品チケット、3枚譲渡で手を打たない?」
「プラス、俺のミッションにつきあってもらうぜ。7回な」
「がめついなー」
 コウタのつぶやきは、聞こえないふりで流される。互いの視線がかみあい、全員同時にうなずいた。ハルが状況を見守っていたリッカを振り返る。
「リッカさん、神機をお願いします」
 悲しげに、だが力強くリッカは笑んだ。
「いつでも出撃できるよ」
 缶を捨て、5人でエレベーターに乗りこむ。
 かごが上昇するたび、時が1秒でも進むたび、確実に戦場へと近づいていく。保管庫から神機を受け取れば、激戦地はすぐ目の前だ。

 切れたプラチナのネックレスのことは、すっかり飛んでしまっていた。


*  *  *


 GEBにはまりましたので、ちまちまと書き始めました。傾向としてはカレルひいき、視点はコウタ多めになりそう。
 アナグラや嗜好のデータがないので、わりと適当です……。
 男主人公(ハル)はショートブレード/アサルト/シールドの神機使いで、コウタと同い年の設定。