つながれた手に捧げる祝砲/GEB



 雨宮リンドウと橘サクヤの結婚式のその日、空は美しく晴れ渡っていた。
 大空すらもふたりを祝福するかのように雲ひとつなく、まろやかに風の吹き抜ける大地にはアラガミの足音すらない。激動をくぐり抜けたふたりへの、ささやかなプレゼントだったのだろうか。式は地下で執り行われるため天候の影響はなかったが、空が穏やかに晴れていると聞けば、誰も悪い気はしない。
「いい日になったな」
 そうつぶやいたのは、慈愛深く弟たちを見つめるツバキだったという。
 この日ばかりは、ブレンダンの眉間のしわも緩み、ソーマの仏頂面も淡い笑みへと変わった。アラガミの出現がないことを、誰もが祈っていた。
 結婚を意識できる年齢まで生き延びることのできるゴッドイーターは少ない。ゴッドイーター同士の結婚というのは、その中でも特に稀なことだ。激戦がそうさせてしまうのか、おつきあいをしても長続きしない場合が多いという。やむを得ない別れも少なくない。
 だからこそ、フェンリル極東支部は沸き立った。一部では、道行く一般市民が飛び上がって逃げ出すほどの狂乱ぶりだったという。その場に居合わせなかったコウタは、残念ながらその詳細を知らなかったが、リンドウ救出成功の報が駆け巡ったときと同等かそれ以上の大騒ぎは、少なからず仲間たちを浮き足立たせているようだと得心している。
 なにせ、出撃しっぱなしでなかなか帰ってこない第1部隊隊長・紫苑ハルすらも引っ張り出し――コウタのストーキングまがいの誘いと、アリサの卑怯なまでにかわいらしい泣き落としと、ソーマの物理的な手段によるところが大きかったようだが――会場に放りこむことに成功した。
 力尽くでも引っぱりこまなければ、彼は最初と最後に顔をのぞかせるだけで、あとは哨戒に当たるつもりだったという。リンドウ救出の立役者であるにもかかわらず、本心からそうするつもりだったのだから始末が悪い。
「リンドウさんの神機も、ふたりの幸せを見たがってると思うんだけど、どうかな」
 このような具合で、神機も参列させたいなどと、ハルは訳のわからないことを言い出したが、リンドウ本人がそれはやめてくれと懇願していた。
 確かに、ものすごく異様な光景になりそうだ。着飾った紳士淑女、所狭しと並べられた大盤振る舞いのビュッフェ、壁際にたたずむ神機――ゴッドイーターはともかく、事務方の人たちの熱狂は一瞬で冷めそうな気がする。

 パーティーが立食になったのは、サクヤの配慮によるものかも知れない。
 タツミは「ゴッドイーターの仕事は喰うことだからな!」と朗らかに言い切っているが、事実、その通りだ。お年頃のアリサやカノンでさえ、その細い体のどこに詰めこんでいるのかと目を疑いたくなるほどよく食べる。
「何人分あるんだろう、これ……」
 きれいに装飾された長テーブルに、これでもかと言わんばかりに料理がてんこ盛りにされた光景は圧巻だった。空いたお皿はすぐに交換されるため、空白というものが少ない。ゴッドイーター以外の職員たちも多くが参列していたが、全員の胃袋が満タンになってもまだまだ余裕がありそうだ。
 配給制のこのご時世で、ここまで食材をかき集めるのもそれを料理するのも、どれほどの手間と時間とお金がかかっただろう。
「しかもちゃんとうまいし……すごいよな」
 あちらこちらから手招きする料理を前に、不慣れなスーツの息苦しさも吹っ飛んだ。
 主役たちは一段高いところに座って、入れ替わり立ち替わり祝福を受けている。幸福を絵にしたようなふたりの姿に、あたたかな幸福感がじわじわと胸を満たした。
 そこから足早に戻ってくるハルの姿を見つけ、コウタは大きく手を振る。
「おーい、こっちこっち!」
 声をかける前に気づいていたのだろう。ハルは明るい笑みでコウタに応えると、声をかける職員や神機使いたちをさりげなくかわしながら歩み寄ってきた。
「リンドウさんもサクヤさんもすごく幸せそうだね。よかった」
 穏やかに目を細め幸福そうにつぶやいた。やわらかな面差しと愛情深いまなざしに、本心からの祝福が透けて見える。真っ黒な軍服と赤いネクタイを脱いで、ブラックスーツとシルバーのネクタイに身を包んだ姿はとても新鮮だった。まるで別人だ。
 もともと、軍服と腕輪がなければ、ゴッドイーターであると言われても信じがたいような、物腰の柔らかな少年だ。控えめな顔立ちも、肩口で毛先の跳ねる明るいブラウンの髪も、戦士らしさとはかけ離れている。アラガミをなぎ倒す爆発的な気力がどこに眠っているのか、コウタも不思議でならない。
 一方で、慎ましやかな彼の容姿の中で、ひときわ異彩を放つのがその印象的な瞳だった。青りんごのようにさわやかな、生命力にあふれる緑の虹彩。鮮烈で曇りのない意志的な眼光は、ノヴァと対峙してなおくじけることを知らなかった。
「俺たちも頑張ったし、リーダーも頑張ったからだよな。ほんと、よかったよなー」
 空いているお皿を取って、ハルに押しつける。彼はほとんど食べていないはずだ。主役ふたりに次いで注目を集めていたし、今もちらちらと視線を寄越すものが多い。意図したわけではなかったが、コウタがそばにいることが多少なりとも抑止力になっているようだった。
(番犬って柄じゃないんだけどなー)
 少しでも落ち着けるなら、まあいっか。単純に結論づける。
 手近な料理をハルの皿に載せようとすれば、控えめに皿を下げられてしまった。仕方なく、自分の皿に取る。
「なんだよ、嫌いなのか?」
「嫌いじゃないんだけど、今はあんまりお腹いっぱいにしたくないんだ。少しはもらってるから、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「少しって……なに食ったんだよ?」
 コウタはしばらくハルと一緒にいたが、その間になにかを食べた様子はなかった。職員につかまったハルに促されて、コウタがひとりでリンドウたちのもとへ向かったときに食べたのだろうか。
 ハルの視線がうろうろとさまよったのは、肉のあたりだ。
「えーっと……あのへん、かな?」
 あやしい。思いっきりあやしい。食べたのは事実かも知れないが、それが肉というところが疑わしい。
 ハルはあまり肉を食べなかった。体を損なわないぎりぎりの量だけを口にして、ほかは野菜を食べている。卵やチーズなども好きなようでよく食べているから、菜食主義というわけではなさそうだ。肉や魚を食べない分の栄養を補おうとしてか、激務の多い第一部隊の中でもとりわけ大食漢だ。次から次へと豆や芋を平らげ、ヤギのように野菜を食べ尽くす姿を見るたび、これは本当にハルだろうかと不安になってくる。
 食事中のハルには、なにかよからぬものが取り憑いていそうだ。餓鬼とか。
 でかくてまずいと大絶賛のあのトウモロコシでさえばりばりと食べまくるのだから恐ろしい。反面、嗜好品チケットは余りまくっていて、それ目当てに他のメンバーがミッションに同行したがるのだから、意味がわからない。
 よほど胡乱な目をしていたのだろう、ハルはばつが悪そうに目線をそらした。
「これからなにかやるの? 体力使うようなこと……余興とか?」
「そんな感じ、かな。もしも誰かになにかを聞かれたら、『ハルは余興の準備をしてる』って答えてもらえないかな」
 あっけにとられてハルを見つめた。彼はきまじめに、少し後ろめたそうに言葉を続ける。
「こんなこと、君にしか頼めない。こんなぎりぎりにお願いするなんて申し訳ないんだけど……」
 会場から離れることが前提で、それなりの時間がかかるような口ぶりだ。余興なら声をかけてくれれば喜んでやるのに――コウタが余興をやりたいと言ったら、サクヤに一瞬で却下された。至極残念だ――ハルはひとりでやるつもりのようだ。
「いやいや待てって。なんの話かもわからないのに……」
 ハルが軽く手を挙げた。押しとどめるような視線に、コウタは口を閉ざす。ごめん、と唇だけで言って、こちらに背を向けてしまった。
「……はい」
 ささやくような声。誰かから通信が入ったようだ。腕輪ではなく、個人の通信端末に。こんな時に、一体誰だろう。
「了解。協力を感謝します」
 音を立てて血の気が引いていく。耳元で心臓が脈打った。
 アラガミだ。ハルはひとりで行く気だ。
 振り返った瞳には、圧倒されるほどの決意の光がみなぎっている。
「おい、ハル……」
「ここは頼んだ。可能な限り食い止める」
 凛々しく強い「隊長」の口調で彼は言った。研ぎ澄ませた刃のひらめきを秘めた瞳は、ミッション中と同じ光輝を放っている。
 なにも返せないまま立ち尽くす。ぽんと肩を叩かれた。ひっそりと身を翻すハルを、呆然と見送るしかできなかった。一緒に行くと言いたかったのに、あとを追いかけたかったのに、頭も言葉もなにも追いつかなかった。
 産声を上げる理不尽な火種から、必死に目を逸らした。ハルに対して腹を立てるのは、間違ってる。
「コウタさん」
 その声がなければ、手にしていたお皿の中身をこぼしていたかも知れない。
 我に返ったコウタは、密かに深呼吸してから振り向いた。ドレスの裾をふわふわと揺らして、アリサが歩み寄ってくる。
「今、リーダーと一緒にいませんでした?」
「いや、なんか……余興の準備だってさ」
 アリサの目が見開かれた。きれいな桜色に色づいた唇が、わずかにとがる。コウタは慌ててつけ加えた。
「それと、秘密だから他の人には知らせないでって」
「……わかりました」
 アリサはしぶしぶうなずいた。唇は不満そうにとがったままだ。ハルの「余興」を手伝いたかったのだろう。むしろ、一緒にやりたかったのか――まさか、コウタだけが知らされていたことが面白くなかったということではあるまい。そう思いたい。
 詳細も知らないのに証言を手伝って、しかも、うっかり付け足しまでしてしまった。
(なんにも知らないのに片棒担ぐってどうよ……)
 人波の向こうにグラスを持ったソーマの姿が見えた。明らかにコウタたちを目指して歩いてきている。
 面倒なことになりそうだ。
(ちゃんと無事に帰ってきてくれよな)
 ため息をなんとかかみ殺し、コウタはひらひらと手を振って見せた。


 神機を手に、ハルは外部居住区を駆ける。
「博士、ご協力感謝します」
『お礼ならリッカ君とヒバリ君にもね』
「ええ、彼女たちにも改めて。ここまでして頂いたんです、可能な限り時間を稼ぎます」
 うなりを上げて通り過ぎる風が生臭い。腐りかけの死体が発する悪臭によく似ている。それは本当の臭気ではなく幻嗅だ。精密検査を受けて、それがわかった。ハルの感覚器は他者とは少しずれているらしい。それが致命的なずれなのか、たいしたことはないのかはわからなかった。あえて誰にも訊いていない。
 不穏な気配が皮膚を刺す。嫌な感じだ。地を蹴るたび、つま先に熱を帯びた衝撃が走る、気がする。
(近いな……)
 住民の避難は完了していないとヒバリは言っていた。多くの住民たちが立てこもっているのは、大型アラガミの前足の一振りであっけなく吹き飛びそうな家屋だ。ひとたびアラガミ装甲が破られれば、たとえそれがオウガテイルであっても、おびただしい数の死者が地を埋め尽くすだろう。踏みしめた大地は重たく湿り、血なまぐさく粘つく。
 数え切れない犠牲者の群れ、引きも切らぬアラガミ、血臭の中であえぎながら戦うゴッドイーター――そんな光景は、もう2度と見たくない。
 轟音を上げ、大地が震えた。装甲に業火が着弾し、激しく揺るがすのが見える。鼻腔を刺すのは空気を焦がす悪臭。アラガミ装甲の上部に大きな亀裂が走るのが見えた。不吉な音が響く。
(ボルグ・カムランじゃなさそうだな)
 ヒバリの分析はボルグ・カムランかクアドリガ。センサーの反応が悪くて確実ではないし、違っている可能性もあると前置きされたが、それでもここまで絞ってくれた。彼女の有能さには頭が下がるばかりだ。
 前者ではなさそうだから、必然的に後者となる。最悪の場合ハンニバルの可能性もあるとは言われたが、逆鱗も割れていないのにあんなすさまじい炎を噴き出すハンニバルなど、さすがにまだいないだろう。
(ボルグ・カムランよりはクアドリガの方がまだやりやすいかな。どっちにしても……装甲は死守しないと)
 今日はハレの日だ。リンドウとサクヤの幸せに水を差すような真似は、絶対にさせたくない。だから、ひっそりと単独で抜け出してきたのだ。ペイラー博士にヒバリ、リッカの3人に、入念な根回しをした上で。
 誰かがハルの不在に気がつくかも知れないが、それは式の終了間際になってからのはずだ。伝言をコウタにお願いしてきたから、さほど問題にはならないだろう。
 低い家屋の並ぶ通りを駆け抜け、角を曲がる。修復が間に合わないのか、大きく削り取られて半透明になってしまったアラガミ装甲の向こうに、見上げんばかりの巨体が見えた。
 くすんだ緑色をした、戦車のような巨躯。日輪をかたどったようなミサイルポッドと、そこだけ生き物じみた骸骨に似た突出部、そして、胸部を覆う邪想の面――テスカトリポカだ。不気味な駆動音とともにミサイルポッドが開かれた。
 笑いじみた吐息がこぼれる。
「テスカトリポカか、ちょうどいい」
 いい花火を上げられそうだ。足止めにはかなり骨が折れるが。相性の悪い相手だし、無傷ではすまないのは確実だ。
 足を止めないまま、神機をアサルト型へと切り替える。
「行くぞ!」
 見るものすべてをすりつぶすような、圧倒的な視線が押し寄せる。テスカトリポカがこちらを視認したのを確認した瞬間、巨体の脇をすり抜けるようにしてアラガミ装甲を抜けた。向き直るより早く、腹部へと神属性の連射弾を叩きこむ。
 ひるんだ隙にショートブレードへと切り替えた。鉄乙女の無慈悲な切っ先が、わずかに金色を含む大空を映して白くあざやかに輝く。暴れ回る巨体をかいくぐり、前面装甲に狙いを定めた。両足を軽く開き、地面をかかとでこじるようにして、ななめに刃を走らせる。
 鈍い衝撃がはじけ、腕に痺れが走った。神機を取り落としそうになった。
「異常に硬いな……異常進化個体か」
 装甲に刻まれたのは、ごく浅い傷。再び斬りつけるが、嫌な音を立てて切っ先がはじかれた。
「刃が通らないなら、銃弾も推して知るべし、か? いや、離れるのは危ないな……」
 ミサイルの連射で動きがとれなくなる可能性がある。
 異常進化個体は、無尽蔵の生命力と戦慄すら生ぬるい攻撃性能を備える、厄介な相手だ。共犯者を作らなかったのは失敗だったかも知れない。だが、後悔などする気はない。侵入さえ食い止めればいいのだ。異常進化個体がいるうちは、他のアラガミの接近はないと確信できる。それを逆手にとって、時間を稼ぐ。
 そう、ハルが成すべきは、あくまでも時間稼ぎだ。
 後肢へのダメージでダウンを狙うか、このまま切り続けて破壊を試みるか――考えるいとまはなかった。テスカトリポカが不穏なうなりを上げた。地獄から涌きあがるような黒い噴煙が、ガスにも似た音を立ててあふれ出す。
 即座に離脱した。
 大地が紫の光炎に染まる。追いかけてくる光柱をかわし、光が消えた瞬間、一気に距離を詰めた。後肢へと刃を叩きこむ。不快な衝撃が手首を蝕むが、テスカトリポカが次の行動を起こす前に、可能な限り斬りつけた。
 巨体が地響きをあげて振り返る。自らを鼓舞するように前足を挙げ、大地を踏みしめた。衝撃に足下が揺らぐ。ミサイルポッドが不吉な音を立てて開いた。
(どっちだ、誘導? 集中?)
 足場が悪すぎる。この距離ではかわすのは難しい。
 腹を決め、キング・リアを展開した。放たれた4つの光輝に奥歯をかみしめる。集中型ミサイルだ。シールドでは確実に削り取られるが、無謀な回避を狙うよりは幾分かマシなはずだ。あごを引き、腰を落とし、大きく足を開いて着弾に備えた。
 せめて5発目までは止めたい。最後の1発はまともに食らうだろうが、戦えるだけの体力が残れば、それでいい。
 激しいめまいと錯覚するような重たい衝撃が、全身を荒々しく揺さぶった。シールドを支える腕からは、瞬時に感覚が失われる。二度目、三度目――予想以上の苛烈さに、目がくらむ。轟音が遠のき、刺すような耳鳴りが席巻した。土埃と焦げる風の悪臭に、気管が悲鳴を上げる。平衡感覚がおかしくなってくる。
 四度目の着弾と同時に、ついに膝が折れた。膝を突き上げる衝撃と、重力に負けて開いた上半身へとぶつかる激烈な熱波。
 なぎ倒されそうな高熱に耐え、かろうじて目を上げる。彗星のごとく長く尾を引く4つのミサイルが、えぐるような軌跡を描いて宙高く舞い上がった。
(弾数が多い……しくじったな)
 このまま動かずにいたら、間違いなく上半身を食いつぶされるだろう。シールドを支えきれると確信できるだけの腕力は、もう残ってはいなかった。
 アサルトへの変形は、かろうじて間に合った。間近に迫った5発目をめがけ、連射弾を放つ。破片と炎を散らし、ミサイルは爆散した。爆風に負け、倒れそうになる。
 6発目への対応が、間に合わない。
(せめて、動けるくらいは残ってくれよ……)
 テスカトリポカの醜い嗤いが聞こえた気がした。手を伸ばせば届きそうなところまで、ミサイルは迫っている。
(普通の異常進化個体じゃない、か)
 視界の端で鋭い輝きが瞬いた。
 鈍い聴覚をこじ開けるようにして、引き裂かれる風の悲鳴が聞こえる。その閃光は、ハルの背後から飛来した。ミサイルへと次々と突き刺さり、四散させる。爆発の衝撃は、予測したより遙かに小さなものだった。
 吹き上がる炎熱の向こうで、テスカトリポカが躍り上がる。同時に、軽い衝撃が背を押した。
 あたたかな命の息吹を感じる。傷ついた体に活力が戻るのを感じた。飛びかかってくる巨体の下から抜け出して、開いた前面装甲の内側へと弾丸を連射する。背後から放たれた弾丸が、ハルの弾道と同じ軌跡をなぞり、閉ざされようとした装甲の内側へと滑りこんだ。
 地を転がって跳ね起きたハルの目の前で、前面装甲が崩壊していく。
「かっこつけてひとりで出てってその様か?」
 長く尾を引くくぐもった悲鳴に被さるように、シニカルな声が放たれた。神機をショートブレードへと変換したハルは、大きく息をつき、ゆっくりと立ち上がった。幸い、身体機能は損なわれてはいないようだ。
 耳が遠くなっている気はするが、戦闘中ならめずらしいことでもない。背後を振り返れば、アサルト型神機を手に飛び降りてきた男がいる。
「カレル、回復弾も君が?」
 普段は携行さえしていないのに。
 隣に並んだカレルは、ラフに着崩したブラックスーツ姿――いや、この言い方は正しくない。なぜなら、上着はどこをどうしたのか豪快に袖がまくり上げられていたし、ネクタイは結び目が消えて風になびいていたから――でにやりと笑った。
「まあ、たまにはな。ツケとくぜ」
「ありがとう、助かった。でも、なぜ君がここに?」
 銃口が持ち上がった。愉快そうに眉尻が跳ね上がる。
「いい金稼げそうだからに決まってんだろ」
「協力してくれるのか」
「あんたが考えてる時間までに、こいつをきっちり倒してやるよ。その代わり、ギャラの半分は寄越せよ」
「助かる。あと十分で倒したいが、頼めるか?」
「今度、ハンニバルにつれて行けよ」
「交渉成立、だね」
 ハルはショートブレードを手に、カレルはアサルト型神機を構え、無様にちぎれた前面装甲を晒すテスカトリポカを見上げた。
「ショータイムの始まりだな」
 カレルの手が引き金を引くと同時に、ハルは地を蹴った。


 コウタの苦難は終わらない。アリサの詰問にも、ソーマの鋭い眼光にも、ハルの不在に気づいた主役ふたりの質問にも、ただひたすら耐えている。
 そもそも、問い詰められたところで、コウタだって詳細を知らないのだ。答えようがないのに。
(早く帰ってきてくれ……)
 ハルが会場を飛びだしてから、すでに1時間近くが経過している。そんなにも手こずる相手と戦っているのだろうか。となると、今からでも行った方がいいのか。最初からついて行けなかったことが悔しくてならない。信頼されていないわけではないと知っているから、なおさらだ。
 コウタのまわりに人垣を築くのは、ハルがいないことに気がついた人たちだ。様々な色の視線にざくざくと突き刺されて、居心地が悪いどころの話ではない。
 抜け出したことを気がつかれないと、本心から思っているらしいところがなんとも笑えない。極東支部でもっとも注目を集めているのは、リンドウたちの結婚と、ハルなのに。
(なんか、あいつは自分が裏方だと思ってるとこあるよな)
 ハルはなにかとリンドウを立てる。一歩どころか二歩も三歩も下がろうとする。どうやら、ハルが第1部隊隊長となったことで、リンドウの居場所を奪ってしまったと考えているようだ。どうにかして「過分」な立場を返上したいらしい――もっとも、「隊長」を放り出すような無責任なこともできず、山盛り大サービスで現れる強力なアラガミ退治には次々とかり出され、リンドウは遊撃隊になってしまうしで、その試みは少しも成功する気配がないが。
 いい加減、紫苑ハルという人間が極東支部に与えた影響の責任をとるべきだと、コウタは思う。ハルがいなければ、リンドウのMIAを受けたフェンリル極東支部はがたがたになっていただろう。ストイックにひたすらアラガミを狩り続ける姿に、皆が少なからず救われたのだ。
 帰投までのわずかな時間を捜索に当てていたことは、誰もが知っている。
 というわけで、コウタのこともそろそろ救ってくれないだろうか。可及的速やかにお願いしたい。胃に穴が空きそうだ。
 どこかに上着を脱ぎ捨ててきたシュンが、口のまわりをソースで汚したままきょろきょろと周囲を見回した。
「あれ? カレルのアホもいなくね? どこ行った?」
 シュンが言えば、あきれたようにジーナが頭を振った。真珠の首飾りが、柔らかな光を灯して甘く輝いている。
「知らないわ」
「便所にしちゃ長えし……」
「もしかして、リーダーの余興に一役買っているんじゃ?」
 アリサが同意を求めるように視線を向けてくるが、コウタにはどうなんだろうねとしか言えない。カレルが姿を消したのにも気がつかなかった。
『やあ、紳士淑女の皆様。お待たせしたね』
 ペイラー・サカキ博士のひょうひょうとした声が会場に響き渡る。その声はいつもよりも浮かれて聞こえる。ひょうひょうと風の鳴る音が聞こえるから、屋外だろう。人垣が一気に仰向いた。コウタは密かにため息をつく。
(やっと解放された……)
 心の底から疲れた。
『ハル君から、新郎新婦への小さなプレゼント……おっと、これはハル君自身が言ったんだよ、僕じゃない。とにかく、プレゼントの用意ができたようだよ。表まで出てきてくれ』
 天井をうろうろしていた視線が、一気にコウタに戻ってきた。様子をうかがうような、あるいは決定を促すような目線の群れに、苦笑いするしかない。
「行くしかないんじゃない?」
「そりゃ行きますけど……余興じゃなかったんですか?」
「んー、実は、俺も詳しくは聞いてないんだよね。その前に行っちゃったし」
『みなさん、なるべくお急ぎを。ハル君とカレル君がお待ちかねだ』
 博士の声はうきうきと明るい。
 コウタたちがフェンリル正門前広場へ着いたときには、空は微かな赤みを帯びていた。そろそろ夕方と呼べる時間帯に入りつつある。風も幾分か涼しくなって、空の彼方に薄い月影が浮かんでいた。きりりと引き絞られる、上弦の月。
 極東支部の地上部分の周囲には、強固な装甲が築かれている。周囲よりも高く盛り上がり、バリケードが一定の間隔を置いてめぐらされた広場の中央に、ぽつんと博士が立っていた。
 ハルとカレルの姿はない。
「あれ? ハルは?」
 コウタが問いかければ、博士はにっこりと笑った。
「君が協力してくれたそうだね。いつの間にかカレル君も協力してたみたいだし、なかなかいい出来になりそうだよ」
「いい出来?」
 博士は応えてくれなかった。意味ありげに首を傾け、インカムへと手を当てる。
「ハル君、カレル君。いいよ」
 なんのことかもわからずに、隣のアリサと顔を見合わせた。
 ミサイルを放つような、空気を裂くような音が天高く舞い上がった。反射的に身構えるゴッドイーターたちをあざ笑うように、一条の光はどんどん上昇していく。
 軽い破裂音。
 花が、咲いた。
 夕暮れへと傾く空に、あざやかな炎の花が咲いた。次いでもうひとつ。今度はサクヤをイメージしたものか、涼やかな緑を基調とした美しい花火だった。
 ぽかんと口を開けて、見入る。
「これが……花火がプレゼントか……!」
 花火なんて初めて見た。いや、バガラリーでなら何度となく見ているが、本物を見るのは生まれてこれがはじめてだ。大気の震動、鮮烈な光、火薬のにおい。戦いの中でいくらでも体験する現象が、胸を高鳴らせるほどに新鮮だった。
「僕やリッカ君も少しだけお手伝いさせてもらったよ。ヒバリ君もね」
 ヒバリは参列を固辞して――モニターで見てはいたらしいが――受付に残ってくれていた。リッカも同様だ。
 タツミが風を切る音が聞こえそうな速さで振り返った。
「ヒバリちゃんも!?」
「アラガミが出現したらこっそり教えてもらってね。あの花火にはアラガミ素材を混ぜてるんだ」
 だから、明るい空の下でも、あんなにも力強く華やかに輝くのか。恐ろしい化物でしかないアラガミも、無力化した破片を花火に混ぜれば、こんなにも美しく映るものなのか。母や妹も、花開く大輪を見上げているだろう。
 リンドウとサクヤも、むつまじく寄り添って空を仰いでいる。きらきらと輝く花火の光が映りこんで、息を呑むほど美しい。
 アリサが不審そうな目を博士に向ける。
「ずいぶん都合よくアラガミが現れてくれましたね」
「誤解しないでくれ。アラガミの出現の可能性は五分五分だった。運良く……いや運悪くなのかな、外部居住区のすぐそばに現れてね。ハル君と、僕を脅して居場所を聞き出したカレル君が撃退したんだ」
 シュンが盛大にため息をつく。付ける薬もないと言わんばかりに頭を振った。
「……なにやってんだあのアホ」
「お前よりアホかもな」
「そもそも、昨日のストック分を使う予定だったんだ。もしもアラガミが現れたら、彼がひとりで食い止める、そういうことになってたんだよ。テスカトリポカの素材で豪華になったのは事実だけどね」
「だから、ヴァジュラで喜んでいたんだな」
 ブレンダンがしみじみとつぶやく。
 ヴァジュラの素材を使えば、確かに派手な花火が上げられそうだ。


 額の汗を袖口で無造作にぬぐい、カレルはハルを盗み見る。あちらこちら傷だらけで、黒い軍服が暗く変色している部分も少なくはない。そのうちのひとつは、手を広げたよりも大きな範囲に及んでいた。回復錠である程度は治癒されたとはいえ、失血量はそれなりだろう。
(倒れたりしないよな)
 おまけに、頭の先からつま先までほこりまみれの硝煙まみれだ。至近距離から受けた砲撃や爆発で、火薬もたっぷりと浴びている。
 花火の火が引火しそうで少し怖い。
 さっさと手当てしろと言ったが、もう時間がないからとあっさり押し切られた。半分ほどがテスカトリポカからカレルをかばって受けた傷だから、あまり強くも言えない。
 点火役を代わりたかったが、クリップボードに挟まれた書類を見ても、カレルにはいまいち意味がわからなかった。蜂に牡丹、スターマイン――なにを示すのかさっぱりだ。そのため、バレット打ち上げ係におとなしくおさまっている。
 近くには浅い川もあるから、万が一引火したら、即座に突き落とせばいい。手が間に合わなければアラガミバレットを撃ちこんででも消火すると腹を決めた。
「これでいくつだ?」
 問いかければ、傷だらけの指先で書類をめくる。なにをどうやっても読めない数列と、ハルの手によるものらしい端整なメモ書きがびっしりと並んでいた。
「工程7だね。次はスターマインだよ。ブロック2〜8の素材を詰めこんで、合図したら撃ってくれるかな」
「高さは揃えるのか?」
「花火を先に上げるから、的に見立てて中心を撃ち抜いてほしいんだ。君なら得意でしょう?」
 信頼に満ちた笑顔に、カレルも笑ってみせる。
「一発も外さねえよ」
 テスカトリポカの素材をこれでもかと詰めこまれた愛機は、ともすればもてあましそうなほど重たい。カレルの神機以上に素材を貪り食ったハルの神機は、さらに重たいはずだ。神機が白旗を揚げてもおかしくない。ハルの神機は、台座に固定された状態で素材の供給機になっている。
 さぞや不服だろう。せっかく飲んだ素材はカレルに引っ張り出されるし、自分自身は動けないし――もっとも、神機にはそんな自我もないだろうが。
「それで? スターマインってなんだ」
「面白い花火だから楽しみにしててよ。バガラリーで見て、絶対に上げたいと思ったんだ。博士にわがまま言っちゃった」
「撃つのは俺だがな」
「君が撃ち抜いてくれるんだ、すごく立派で素敵な花火になるよ」
 そう言われて、悪い気はしない。
 無数の破裂音――甲高い音を彗星の尾のようになびかせて、大空高く光が舞い上がる。
「たーまやー」
 笑い声にも聞こえる明るい声が響いた。その語尾に重ねるようにして、打ち上げられた百近い玉を次々に撃ち抜いていく。
 まばゆく閃光がはじけた。世界中のありとあらゆる緑を詰めこんだようなあでやかなグリーンの光が、軽快な音色を奏でながら空いっぱいに広がっていく。白を経て青色へと変化しながら、長く尾を引いて楽しげに落ちていった。
「かーぎやー! ってなんだか知らんけどな!」
「博士が言ってたんだけど、花火を上げるときのお作法らしいよ」
「……だまされてる気がする」
 ふと、ハルが目を細めた。インカムに手を当て、柔和に微笑む。それはもう、嬉しそうに、幸せそうに――満ち足りたように。
「みんな喜んでくれてるって。……リンドウさんも、サクヤさんも」
 あどけなさすら感じるくらい、邪気のない笑顔だった。
 無数の氷の粒が胸郭の内側で跳ねた。虚ろな音が反響する。その正体もつかめぬまま、カレルはただ呆然とハルの横顔を眺めていた。
 なにか、とてつもなく、嫌な予感がした。


*  *  *


 GEB第2弾。これっていちおうオールキャラになるのだろうか。
 極東支部の構成はてきとーですorz
 男主人公(ハル)はずば抜けて戦闘力が高いわけではないですが、そこにいるだけで支えになるようなあたたかい人間性の持ち主、という設定。感覚の鋭さが最大の武器。