彼も海賊 / ゴーカイ



 警告する間もなかった。ジョーが口を開いた瞬間、奇声を上げたハカセの上半身が傾いだ。肘掛けを乗り越え、派手な音を立ててソファから転げ落ちる。
 その手から恐ろしく分厚い本――ジョーには読めもしないような言語で書かれた、手のひらほども厚みのある本だ――がこぼれ落ちた。重たい音を立て、床でページを広げる。頭にぶつかれば頭蓋骨陥没は必至と確信できる重量感だ。読書しつつ鍛えていたのかと、無駄に深読みしたくなる。
 頭を抱えて伸びているハカセがぶつからなかったのは、不幸中の幸いだろう。角が金属で補強された革装丁の本など、凶器以外の何ものでもない。
「危ない、ハカセ」
「……今更言われても」
 ジョーが重々しく告げると、ハカセの手が小さく動いた。マーベラスの豪快ないびきが一瞬だけ途切れた。そのあとは、いつも通りの高いびき。
 サロンの照明は明るいが、廊下の光源はすでにしぼってある。小さな窓から見える空は、真夜中にさしかかろうとしていた。女性陣はすでに部屋に戻り、マーベラスはなにを思ったか定位置に座ったまま、腕を組んで眠りこけている。
 ブランケットを掛けてやったのは、アイムではなく、意外なことにルカ――いわく、「ここで風邪引かれて病院行くとか言いだして、あたしのお宝売られたんじゃたまんないわ」――だった。
 ハカセが起こそうとしたが起きず、起きるまで待つという心優しい彼につきあって、ジョーもまた、サロンで夜を過ごしていた。
 先に戻ると、ハカセが寝落ちしたあとに、フォローできる人間がいなくなる。
 ナビィにはあまり期待できないことだし。
「でも、ありがと」
 唐突な言葉に、一瞬、返答が遅れる。トランプをテーブルに放り出し、ジョーは腕を組んだ。ジョーカーが気まぐれに回りながらテーブルの下へ滑り落ちる。
「次は間に合わせる」
「……うん、ありがとー」
 ナビィに足輪でもつけておくべきだろうか。
 暇をもてあました様子でふらふら飛び回っていたナビィが、一散にハカセの頭に突進するとは考えもしなかった。さほど重量があるわけでもないが、油断しているときに突撃されれば攻撃されたのと変わらないだろう。
 盛大に火花が散ったに違いない。
「お前、なにをしてるんだ」
 ハカセの頭上を飛び回るナビィを睨みつけると、おしゃべり鳥は憤ったようにくちばしを鳴らした。
「なにって、ひどいよジョー!」
「意味がわからん」
 ひどい、ひどいと連呼しながらナビィは背を向けた。定位置へと戻っていく。なにがひどいのか、結局わからなかった。ノリと勢いだけで言っている可能性もある。深く考えないことにした。
 ハカセはよろよろと起き上がった。床であぐらをかき、頭をさすりながらおどおどど視線をさまよわせる。
「なにが起きたの……」
 床のジョーカーに気づき、テーブルに戻してくれる。ついでに本も拾い上げると、ソファの隣に腰を下ろした。
「ナビィがお前の頭に降りた。むしろ落ちた。全力で」
「えぇ!? ひどいなぁ……なんでそんなことするんだよ」
 ナビィはふんっとそっぽを向いてしまう。
「鳥の巣みてえだからだろ」
 不意の声に、ハカセがその場で飛び上がった。ジョーは腕組みをとき、特等席を見やる。
 マーベラスがいつの間にか目を覚ましていたようだ。いかにも眠そうに首を傾け、あごが外れそうな大あくびをしている。ただでさえ跳ね回っている髪が、さらに奔放に遊び回っていた。目つきが一段と悪い。
 おさまったと思ったら、もうひとつ大きなあくび。喉の奥まで見えそうだ。
「えぇ? 鳥の巣……?」
 眠そうに首筋をほぐしながら、マーベラスはにやりと笑った。ハカセの肩が大きく跳ね、全力で背もたれにへばりついた。どこをどう見ても悪役の笑顔だ。ジョーが同情の一瞥を向けるが、ハカセは気づいた様子もない。
「お前の頭が巣みてえだから、鳥が間違えたんだろ」
「そんなはずないよ。ナビィのAIは高度のプログラミングがされてる。全部は解析できてないから、よくわかんないところもあるけど」
「その『よくわかんないところ』で、巣だと思ったんだろ」
「……気にするな、ハカセ。ねぼすけの戯言だ」
 マーベラスはふん、あごをあげる。悪役笑顔からさらに唇の端をつり上げると、コートの裾を翻した。大きな足音を立ててサロンから出て行く。自分の部屋で眠る気になったらしい。
 さて、とジョーも立ち上がる。ハカセもつられたように腰を上げた。
「あいつが起きた以上、残る意味はないな」
「そうだね。寝るときも豪快なんて、勘弁してほしいよ……叩いても起きないなんて思わなかったよ」
「お前が叩いたことに驚いたな」
 遠慮がちではあるが、軽く拳を作って背もたれを何度か叩いていた。これも勇気のなせる業か。直接マーベラスの肩を揺さぶったジョーに比べれば、かなり優しい。
 それでも起きなかったわけだが。
 ブランケットを回収したハカセは、照れたように頭をかいた。
「風邪引いたら大変でしょ? それにさ、僕たちは地球人と似てるけど……たぶん、体の中はちょっと違うから」
 もしかしたら、全員が少しずつ違うかもね、とつけ足す。出身星の違いを考えれば、その可能性もゼロではない。
 そのせいか、とジョーは内心でつぶやいた。この船の薬箱には包帯や外用薬はそろっているが、内服薬はほとんどない。わずかなストックも、全宇宙で出回っているようなものばかりだった。すべてハカセがそろえたものだ。
 誰にでも効果はある、ただし、気休め程度。
 階段を下りるふたりの背後で、サロンの照明がゆっくりと絞られていく。おやすみーととぼけた声が追いかけてきた。
「あ」
「なんだ」
 ハカセはばさばさとブランケットを広げた。淡い照明の中、舞い上がったほこりがやわらかな金色に輝く。
「これ……僕のだ」
「ルカの奴……」
「あーあ、これ、靴の跡だよねえ……マーベラス、思いっきり踏んでたもんなあ」
「踏んだり蹴ったりだな、お前。今日は一段と頑張ったのにな」
 ぽかんと見返してきたハカセに、ジョーは愕然とする。表面には出なかっただろうが、瞬きはおそらく増えた。内心の動揺が伝わったのだろう。ハカセは狼狽もあらわに視線をさまよわせた。
 とっさに、うまい切り返しを思いつけなかった。ぽん、と肩を叩き、追い抜く。困り切ったような足音は遅れがちについてきた。
 自室の扉を開ける直前、ジョーはハカセを振り返った。ようやく階段を下りきったところだったハカセは、顔色をうかがうような視線を向けてくる。
「お前のお宝が仲間だったおかげで、マーベラスは死なずにすんだ」
 金髪の下で目がまん丸に見開かれる。
「マーベラスのおもり、ご苦労だったな」
 すぐに部屋に入って扉を閉めたから、ハカセの反応はわからない。だが、翌朝、誰よりも早起きしてガレオンの補修に当たるハカセに朝食を持って行ったときには、彼はいつもと変わらない笑顔を見せた。
 ハカセのお宝が仲間なら、仲間たちにとってもそれは同じ。仲間で、お宝で、宇宙一のお宝を探す海賊だ。
 これからもずっと。
 時が許す限り。

*  *  *

 第3話終了後。ドッゴイヤーは勇気振り絞ってものすごく頑張ったけど、本人にはあまりその自覚がなさそうだったので。ほめられて逆にびっくり。
 ジョーとドッゴイヤーをコンビにしやすいのは私だけだったりしますか(´・ω・) うまい具合に釣り合いとれてると思うのです、このふたり。