心配/ゴーカイ



 スーパー戦隊大百科は、宝の持ち腐れとなりつつあるようだった。
 ページをめくり、ハカセは小さなため息をつく。マーベラスやジョー、ルカは予想していたが、アイムすら数日しか手に取らなかったのは意外だった。
 もっとも、彼女の場合は興味をなくしたと言うよりも、時間がなくなったという方が正確だろう。ルカと一緒に衣類の補修を始めたことが原因だ。姫様育ちだけあって針に抵抗はないようだったが、ボタン付けの段階でかなり手間取っている様子だった。
(刺繍はけっこうできるみたいだけど、修繕とは違うからね)
 それでも、修行の合間を縫って一生懸命ルカに教わっている様はけなげだ。応援したくなる。休憩に、とオレンジスコーンを焼いて行ったら、マーベラスに半分近く持って行かれたのは誤算だった。可哀想に、鎧の分がなくなってしまった。ハカセも味見しただけだ。
 ページを繰る。
 めずらしく、ここ数日はなんの騒動もなく平和だった。ザンギャックの襲来もなければ、レジェンド戦隊との遭遇も――もちろん、どこかの誰かみたいに乗りこんでくるものも――ない。マーベラス、ジョー、鎧は甲板に上がって修行中、ルカとアイムは買い物に出かけた。ナビィは見物しに空へと飛んでいったため、サロンにはハカセしかいない。
 機械の発する低い音と振動だけが、静寂を揺らしている。
 ふと時計を見やれば2時も近い。おやつの準備でもするか、と大百科を閉じた。
 足音が聞こえたのはそのときだ。スツールに座ったまま見上げると、足音の主はすぐに現れた。
 鎧だ。
「あっドンさん!」
 汗だくの顔が無邪気にほころぶ。にぎやかに螺旋階段を駆け下りてきた。なんでこんなに慕われているのか、我ながら不思議でならない。
「すごい汗だね。マーベラスとジョーはまだ上?」
「はい。ジョーさんは、暑いときこそ鍛え時だって。そしたら、マーベラスさんも乗り気になっちゃって。今、ふたりで修行してますよ」
「マーベラスが乗り気かあ。めずらしいね」
 ハカセはキッチンに向かい、特製ドリンクをグラスについで戻った。鎧は、ありがとうございます、と元気に受け取って一気に飲み干した。喉仏がせわしなく上下する。気持ちのいい飲みっぷりだ。
 タオルでしきりに顔をぬぐいながら、鎧はソファに腰を下ろした。グラスをテーブルに置く。ことん、と小さな音がした。その瞳が輝いたのは、ハカセが手にするスーパー戦隊大百科を目にしたからだろう。
 一本締めのように大きな音をはじかせ、鎧が両手を組み合わせた。
「読んでくれてるんですね、ドンさんっ!」
「もちろん。知識は多い方がいいからね。また戦ったりするだろうし」
 誰と、とも、なにと、とも言わなかった。眉が少し下がったところから見ても、鎧にもわかったはずだ。だが、口にしたのは別のことだった。
「あの、ドンさん、ちょっと頑張りすぎじゃないですか?」
「頑張ってるのはお前だろ。こんなの作っちゃうなんて、すごいよ」
「そりゃあもう! 皆さんのお役に立ちたくて!」
「ほんと、鎧はすごいよ」
「そんなことないです。ドンさんだってすごいじゃないですか。ていうか、頑張り過ぎなんです」
 これには苦笑をこぼすしかなかった。男性陣が鍛錬しているときに、空調の効いた室内で本を読んでいたのだ。これで頑張り過ぎと言われたら――鎧の性格からはあり得ないが――嫌みと思えてしまう。
「僕はいつも通りだよ」
「でも、戦ったり、ご飯作ったり、ガレオンの整備だってしてますよね。情報収集だってドンさんがやってるでしょ? 頑張り過ぎですって」
「食事は鎧が手伝ってくれてるし、ルカとアイムが服の修繕やってくれるようになったし、前より楽になったよ。それよりさ、おやつの準備! 手伝ってよ」
「それはもちろん! お手伝いしますけど……」
 あ、と鎧は声を上げた。大百科の表紙を、指先で軽くつつく。
「これ、どこまで読みました?」
「次はハリケンジャーだよ」
 本を開く。鎧が無邪気に頭を突き出してきた。自分で作ったものでも、他人が見ていると見たくなるらしい。好意と尊敬が透ける横顔に、思わず笑みがこぼれた。
 ほほえましい。
「僕、こいつと戦ったなあ……もちろん、人形の方だよ」
 びしっと名乗りを決める6人のカラフルな忍者たち。その中でもひときわ目立つ緑の忍者を指し示す。マスクの装飾といい、きんきらきんなアーマーといい、存在感抜群だ。その隣では、マスクの形が違うシュリケンジャーがものすごい勢いでバットを振りかざしていたが、あまりに気にしないでおく。
 よく見ればアーマーもすっきりしているし、別人かも知れない。
 忍者って隠れるの前提なはずなのに、こんなに色とりどりでいいんだろうか――そんなことも思ったが、うまいこと忍べる手段があるのだろう。なんたって彼らはスーパー戦隊なのだから。
 鎧は目をまん丸くしてのけぞった。
「え、シュリケンジャーさんと戦ったんですか!? それで勝っちゃうなんて……!」
「そりゃ強かったよ。負けちゃうんじゃないかって思ったし。でも、中身がない奴なんかに負けてられないからね」
「それでも勝っちゃうんですから。それは、すごいことなんです」
 鎧は腕を組んだ。重々しくうなずく。面差しの深刻さに背筋がぞわぞわした。
 彼は迷うようにあごを引いたが、すぐに口を開いた。とんでもないことを言われる気がして、逃げたくなってくる。
「念のため訊きますけど、どっちでした?」
 どっち、ということは、ふたりの緑は同一人物なのだろう。きりっとポーズを決めるシュリケンジャーと、鬼の形相――何となくそんな気がした――でバットをびしっと突きつけるシュリケンジャーと。
 カラフル6人組の中の緑を示す。
「……これ」
「ファイヤーモードの方じゃないんですね」
 どこか安堵した口ぶりに、こめかみのあたりが熱を帯びた。侮られた、気がする。
 それを素直に言うのも業腹だったが、こみ上げたむかつきを悟られずに消化するには距離が近すぎた。
 鎧ははっとしたように顔を上げた。慌てた様子で両手を振る。
「えっと、ノーマルのシュリケンジャーさんを倒すってことだけでも、ものすごいことなんです。本当です!」
「でも、僕じゃファイヤーモードのシュリケンジャーには勝てないんだろ?」
 口にして、胸が痛んだ。こんな自虐はみっともない。いや、もっとひどい。自身を貶めていると見せて、本当は鎧を責めているのだから。
「違うんです。聞いてください」
 睨みつけた鎧の顔は真摯だった。
「シュリケンジャーさんはワンマンアーミーなんです。ハリケンジャーさんとゴウライジャーさんが力を合わせたよりも、もっと強いんです」
「ふーん」
「でも、ファイヤーモードにチェンジすると、もっともっと強くなるんです」
 胃のあたりが痛くなってきた。思わず手を当てる。なにも知らなかった自分が怖い。そんなとんでもない戦士が相手だったとは、つゆほども思わなかった。
 知っていたら逃げ出していたかも知れない。
「ドンさんなら、ファイヤーモードのシュリケンジャーさんにも勝ったと思います」
「…………」
「でも、たくさんケガをすると思います。骨折だってしたかも知れない。そしたら……そんなこと知ったら、本当のシュリケンジャーさんが悲しみます」
 ハカセはぽかんと口を開けた。
「だから、ノーマルの方で良かったと思ったんです」
「なんだよそれ……」
 ハカセは頭を抱えこんだ。目を合わせたくなくて、そのままテーブルに突っ伏す。天板は冷たかった。羞恥にほてった頬に心地いい。
 鎧が慌てて立ち上がるのがわかった。
「あ、あの、ドンさん?」
「むかついた僕がバカみたいじゃないか」
「ドンさんがバカなんてこと、絶対にないです!」
 力説する鎧にちょっと意地悪を言ってみる。
「僕がシュリケンジャーに勝てたのも、バスコじゃ真の力を引き出せてなかったってだけだと思うけど。ファイヤーモードじゃなかったのもそのせいかもね」
「ドンさーん……そんなこと、言わないでくださいよー」
 顔を上げる。あんまりにも情けない顔は見せたくないが、ちゃんと言わなくては。
「鎧、怒ったりしてごめん」
 頭を下げると、鎧は飛び上がった。
「いえいえそんな全然! 俺が、はじめにちゃんと言ってればよかったんです」
 そこでふと気がついた。
 時計の針は、すでに2時半を回っている。
「あああまずい!」
「ええっどうしたんですか、ドンさん!?」
「もうすぐおやつの時間だ! 今日は作るって約束しちゃったんだよ……どうしよう」
「任せてください!」
 鎧がびしっとサムズアップを決める。自信満々の笑顔に、ハカセは目をしばたたいた。
「冷蔵庫に、パンの耳が残ってたはずです」
 朝食に作ったのはサンドイッチだった。切り落とした耳はボウルに入れ、ラップをかけてとってある。
「揚げてかりんとうを作りましょうよ! 俺、けっこう好きなんですよね」
「かりんとうか……うん、いいかも」
 手軽で時間もかからないし、一気に量も使える。6人分ともなれば、結構な量だ。2人分食べても物足りなそうなマーベラスに追加も作ったから、大きなボウルにぎゅうぎゅう詰めになっている。
 あの山をいかに消費するか、悩んでもいたし。クルトン用に少し残して、あとはおやつに使おう。
「それなら、フライパンでやろうか」
 立ち上がり、キッチンへ向かう。グラスを手にした鎧もついてきた。
「その方が油っぽくならないし。女の子もいるからね」
「なるほど……女子への気遣いもできるとは、さすがドンさんです!」
 ルカの教育のたまものだとは言いづらい。
 ふたりは早速とりかかった。もうすぐ、マーベラスの荒々しい足音と、ジョーの静かな気配が降りてくるだろう。もしかしたら、ルカとアイムの華やかな声も、すぐに戻るかも知れない。
 たっぷりのバターの香りがキッチンにあふれる。温度は十分、試しに落としたパンのひとかけらは、小気味いい音を立てて細かな泡に包まれた。

*  *  *

 鎧加入&ハカセ和解後のお話。
 当初の予定とは違う方向に話が走り出したあげく、ドッゴイヤーが突然拗ね出したので、書いている私がどうしたらいいかわからなくなりました。
 鎧が意外と書きやすいことに気がつきました。