モネ、低気圧 / ゴセイ



 ウォースターの出現もない、平和な昼下がり。細く開けられた窓からは、やわらかな風が気まぐれに舞いこむ。木目のあざやかな床にはあたたかな陽射しがわだかまっていた。
 迷いこんだ桜の花びらが、スリープモードのデータスの頭に引っかかっているのが、何だかおかしい。
 こんな穏やかな時間が、望は好きだった。たとえ、あまり好きではない算数ドリルと睨みあっていても。
 少し前までは考えられないほどの人数が暮らしていて、ほとんどの人間――人間?――が同じ場所にそろっているのに、静けさがある。この、血の通ったあたたかな静寂は、悪くない。
 ふと、エリが本から顔を上げた。
「なーんか、喉かわいたなー」
 ソファに寝そべっったままつぶやく。
 窓辺に座るアラタが顔を上げた。スケッチブックとクレヨンをテーブルに置いて立ち上がる。その拍子に、書き殴られた大変な絵が見えて、望は反射的に目をそらした。直視したら何かが憑いて回るような気がした。
 一瞬見えたそれには、アグリのような気もするがアグリではないような気もする――むしろ、アグリが見たら家出しかねず、モネが見たらスケッチブックを丸ごと引き裂きかねない――何かが描かれている。
 アグリだと思ったのは、単に色遣いからだ。先日はエリ――らしきもの――を描いていたし、もしかしたら、全員制覇するつもりなのかも知れない。
「じゃあ、俺、ココアでも入れてくるよ」
 なんでこのあたたかさでココア、と思わなくもないが、エリはとびきりの笑みに顔をほころばせた。気まぐれな幼なじみの好みを、ちゃんと把握しているらしい。
 荒々しい足音が響いたのはその直後だった。激しい音をたて、扉が開かれる。血相を変えて飛びこんできたのは、髪を振り乱したモネだった。扉は壁に当たって跳ね返り、自動ドアのように閉まった。
 アラタを押し退ける勢いで室内に視線を走らせるが、目的のものは見つからなかったらしい。側にいたアラタに、物凄い剣幕で詰め寄った。
「お兄ちゃんは!?」
 思わず、といった様子でハンズアップしたアラタが、ことんと首を傾げた。
「アグリ? さっき出かけたよ。ちなみに俺は、ココアいれにいくところ」
「出かけた!? ハイドは!?」
「ああ、ハイドなら……」
 エリがのそのそと起き上がる。モネの視線がエリに向いた隙に、アラタはこっそり部屋を出ていった。なんでもないような顔をしていても、やはり怖かったらしい。
「さっき、アグリ連れて出てったわよ。今日の買い出し&お料理当番に任命したの。あのふたりだと、ご飯がおいしいのよねー」
 エリはうっとりと天井を見上げた。
 そりゃそうだよ、と、望は胸中でつぶやいた。
 知識豊富で技術もそれなりにともなうハイドと、意外と料理上手でお兄ちゃんの威信にかけて妹においしい料理を食べさせてやりたいアグリのコンビだ。まずいシロモノなど作るわけがない。
 とにかくやってみる、の精神で摩訶不思議な味を作り出すことも多いアラタや、なんとかなるなる、の心意気で殺人的な食材の山を築く危険性の高いエリとはレベルが違う。
 モネも料理はそこそこできるようだが、世話好きふたりがいる関係で、あまり当番が回ってこない。理不尽なまでにジャンケンが強いせいもあるだろう。その点、アグリはいつも負けっ放しだ。
 モネがテーブルに両手をついた。毛先が不穏に震えている。
「やられた……まさか、またハイドに負けるなんて!」
「負ける? なんのこと?」
 問いかけて、望は後悔した。殺気立ったモネが、眼光鋭く振り返る。思わず謝りそうになった。
「買い物! お兄ちゃんに付き合ってもらおうと思ってたのにー!」
「買い物って、なんの?」
「服よ!」
 それにお兄ちゃんを付き合わせるのは、正直どうだろう。まあ、何だかんだ言いつつも、最初から最後までしっかりつきあって、荷物持ちもしてくれそうだが。
「なんで、ハイドはお兄ちゃんばっかり連れてくのよ! アラタだっていいじゃない!」
 なんだか、アラタがババのような扱いだ。
「僕も、そう思ってハイドに聞いてみたんだけど……」
 至極もっともな理由ばかりで逆に困った。
 曰く。
 アラタはハイドの話など頭からまるっと聞かずに、使わない食材や不要なものまでカゴに入れようとする。値段だってあまり気にしない。
 エリはアラタに輪をかけてフリーダムで、パスタにしよう、ううんやっぱりカレー、ラーメン、それとも麻婆豆腐、煮こみハンバーグもいいかも、などとメニューが七転八倒――なぜか、ハイドはこう表現した――して、買い物どころではない。しかも、途中でどこかに行ってしまうことも多々ある。
 モネは3軒目のスーパーに行こうとすると怒り出し、なんでもいいじゃない、と適当に食材を詰めこもうとする。消費期限や賞味期限も気にしない。何より、ハイドから財布を奪って勝手に会計を済ませ、先に帰ってしまうこともある。
 望は小学生だし、護星天使たちに比べれば体格も小さいから、大量の荷物を持たせるわけにはいかない。それに、親御さんのことも考えるとあまり連れ歩くのも申し訳ない――。
 そうなると、どれほど不満を口にしようとも、ハイドのやり方にあわせて最後までつきあってくれるアグリがいちばん都合がいいらしい。
「何よそれ! 消去法でお兄ちゃんなんて、許せない!」
 ゴミ捨て当番みたいじゃないの、と叫ぶ。護星天使は、護星界でどんな生活をしてるんだろう――今度ハイドに訊いてみよう、と頭の中のメモに書きつける。
「まあまあ、落ち着きなさいよ、モネ」
「落ち着いてなんかいられないわ! 断固抗議よ!」
 言って、両拳を握りしめる。何だか、ハイドが帰ってきた瞬間に、全力で殴りかかりそうで怖い。
 エリは止めてくれるだろうか。
 ちらりと視線を向けるが、仕方のない子ね、と言いたげに笑っているだけだった。殴り倒されたハイドに手を貸すくらいしかしない気がする。いちおう、彼女にも責任はあるはずだが。アラタも、仲良しだね、と見守る方向だろう。
 ことことと足音が近づいてきて、扉が開いた。アラタが戻ってきたのだ。手にしたお盆には、マグカップが4つ。モネと望のぶんもいれてくれたらしい。
 鼻息の荒いモネに、はい、とカップを手渡す。
「これでも飲んで落ち着きなよ」
 カップを受け取ったモネは、口を付けようとして止まった。信じられないものでも見るような目つきで、カップとアラタを交互に見る。
「……ねえ」
「ん?」
「ココアいれにいくところって言ってなかった?」
「うん、言ったね」
「じゃあ、何でカップの中身が黒豆茶なのー!?」
 そんな馬鹿な。
 モネの悲鳴など、アラタは1ミリたりとも気にする様子がなかった。笑顔で差し出されたカップを、望は恐る恐る受け取る。
 顔を近づけた瞬間、がっくりとうなだれた。
「……うわあ」
 甘さなど欠片もない、どこか郷愁にも似た感覚をかきおこす香ばしい匂いは、まぎれもなく黒豆茶のものだ。何をどうしたらココアが黒豆茶になるのか、さっぱりわからない。
 だが、疑問を抱いたのはモネと望だけだったようだ。エリはにこにことカップに口をつける。
「黒豆茶だっていいじゃない。おいしいわよ」
「そうじゃなくてー!」
 おいしいよね、ね、と平和に笑顔をかわすアラタとエリ。
 モネはがっくりと膝をついた。
 いったい、どこの誰が想像するだろう。ココアをいれてくる、と出ていったはずなのに、黒豆茶がだされるなんて。
 もはや、間違えたとかいうレベルではない。ココアがほうじ茶になるのと、どちらがましだろう。黒豆茶をすすりながら考えてみるが、答えは出なかった。そもそも、ココアをいれてくると出て行ったのに、ココアじゃないものが来る方がおかしいのだ。
 いれておいてもらって文句を言うのも悪いが。
 望が窓辺のソファに向かうと、アラタはエリの傍らに腰を下ろした。何だかんだでふたりは仲がいい。
 ふたりの会話で、やはり先日のあの絵はエリを描いたもので、今は彼女のベッドの脇に飾られていると知って、なんだかもう、どうでも良くなってきた。スカイック族はどうにも自由すぎる。
 それが悪いとは思わないが――。
(ココアならココア、黒豆茶なら黒豆茶、にしてほしいなー……)
 不機嫌そうにテーブルについたモネは、望が使っていた鉛筆を手に取り、適当な裏紙に何やら落書きを始める。何を書いているのかは怖くて見られなかった。
 窓の外から話し声が近づいてくる。振り返って見下ろしてみれば、大量の荷物を抱えたアグリと、スマートに荷物を提げたハイドだった。明らかに不公平な荷物配分だが、たぶん、ハイドがお財布を出す際にそれまでの荷物を引き受けて、うっかりここまで持ち帰ってきたのだろう。
 プライドの高いアグリが言い出せるはずもなく、意外と鈍いところのあるハイドは、アグリが言い出さなければ気づくはずもない。
 アグリはややよろよろと、ハイドはお手本のような無駄のない姿勢でさっさと歩きながら、何やら野菜について会話を交わしている。大地と水の観点から、何かを議論しているようだ。何かまでは聞き取れないが。
 別に聞きたくもないが。
「あ、帰ってきたー」
 アラタの声に、何かがものすごい勢いで動く音がした。振り返ると、憤然と立ち上がったモネが、待ちかまえるように扉に向かう後ろ姿が見える。
 果たして、怒られるのはハイドか、アグリか。
 それから数分と経たずに扉が開いた。扉を開けたハイドが、目の前で仁王立ちしているモネに目を丸くした。足を止めたその背にアグリが思い切りぶつかるが、揺るぎもしない。
「なんだよ、いきなり止まんなよな……」
「何をしてるんだ、モネ」
 モネはハイドを押しのけた。さすが怪力、ランディック族。男ひとりをどかすのに左腕一本で事足りた。モネは荷物を取り落とすまいとするアグリに近づき、その腕からエコバックを奪い取る。
 アグリは目をしばたたいた。
「どうした、モネ?」
 モネは答えない。次々とアグリの腕から荷物を引っぺがすと――ハイドには目もくれなかった――テーブルの上に積み上げていく。ハイドも荷物を差し出したが、完全に無視されている。
 モネはアグリの荷物を全て積み上げると、ほこりをはたくように手を叩いた。風を切る音が聞こえそうな勢いで振り返り、ハイドの眼前に指を突きつける。
「お兄ちゃんを連れて買い出しに行くのは、しばらく禁止します!」
 まったく事情を飲みこめないようで、ハイドは困惑も露わに首を傾げた。あんまりにもきょとんとした仕草が気にくわなかったのが、モネは勢いよく足を踏み鳴らした。
「とーにーかく! ハイドはお兄ちゃんを連れ回しすぎなの!」
「なんだ……やきもちならそう言えばいい」
 空気が凍りつく。なんで、このタイミングで――しかも、おそろしいほどの真顔でそんなことを言えるのだろう。ハイドの図太さに、むしろ感心した。
 アラタが参ったなと言いたげに視線を天井に逃がし、エリの笑みは強ばった。アグリはと見れば、不穏な空気に顔をやや引きつらせ、モネとハイドをちらちらと見やっている。
 モネの顔が見えないのは運が良かった。望は心底そう思う。
 ハイドは周囲の沈黙を不思議そうに見やる。モネの背が震えた。だが、彼女が爆発するより一瞬はやくアグリが動いた。素早くモネのうしろに回ると、強く肩を叩く。
「それで? どこに行きたいんだ」
 兄を見上げるモネの横顔は、悔しげに歪んでいる。両拳をで握りしめ、叫んだ。
「買い物! 服買う!」
「おーそっか、服か……」
 兄ちゃん疲れてんだけどな、とアグリは小さくつぶやいたが、苦笑はすぐに微笑に変わった。モネの頭を軽くつつく。
「わかった、つきあうよ」
「ほんと!?」
「そうと決まったらとっとと行こうぜ。夕飯前には帰らないとな」
「そんなの……」
「あ、俺がやるよ」
 アラタが元気に挙手する。アグリが感謝するように笑みを向けると、気にするなと言わんばかりに小さく合図した。
 モネに引きずられるようにして出て行ったアグリを見送り――部屋に安堵の空気が満ちる。ひとりだけ何も気づいていない様子のハイドは、放り出された荷物をせっせと集め、きっちりと収納し始めた。
 モネの不機嫌の根源だというのに、少しも気がつく様子がない。きっと、虫の居所が悪かった、くらいにしか考えてないだろう。
「……危機は脱した、かな?」
 エリが小さくつぶやいた。望は精一杯うなずいてみせる。あのままモネが暴れ出していたら、どうなっていたことか。
 窓辺から見下ろすと、アグリは妹に半ば引きずられるようにして歩いていた。モネは兄の肘のあたりをつかみ、戦場に向かう戦士のように勇ましく突き進んでいく。
 望は思う。
 ゴセイジャーでいちばん苦労しているのは、アグリかも知れない。

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 ゴセイ初小説は、フリーダム過ぎるスカイック族、真面目すぎて鈍いハイドさん、予定を狂わされて怒り狂うモネと、苦労性お兄ちゃんでお送りしました。
 ハイドさん書きにくいですorz 意外と書きやすいスカイック族にびっくり。