5色の欠片に金景色/キョウリュウ



 さわやかな風が鼻先を駆け抜けて、イアンは眠りこんでいたことを自覚した。不安定に揺れるマシュマロのような眠気を追い払い、重たいまぶたをこじ開ける。
 振り返った瞬間、ゲートが開き、冴ゆる光の中から少年が姿を現した。緑陰を抜ける涼風のようなまなざしがイアンを素通りする。
「あーらら、傷ついちゃうな、その態度」
 きれいさっぱり無視してくれる。凛然とした足運びでテーブルまでやってくると、手にしていた荷物を置いた。初夏特有のさわやかな熱気と、若葉のみずみずしい気配が匂い立つ。
 左耳の上に、淡い赤色がのぞいているのが見えた。絹のようになめらかな印象のカーブを描くそれは、おそらく、なにかの花びらだろう。
「おはよう」
「ああ、おはよ。外はいい天気みたいだねえ。気温もちょうど良さそうだし、デート日和かな」
 スピリットベースは快適な環境が保たれてはいるが、刺激には欠ける。誰もいないときなどはばかばかしいほど安楽で、居心地がいい。ベッドもないしブランケットもないが、ついつい眠ってしまうことも多かった。
 ソウジは合服姿だった。ブレザーの代わりに薄手のベストを着ていたが、その左胸には変わらず校章が縫いつけられている。そういえば、彼の家も通う学校の名も知らないのだと、今更ながらに気がついた。
「これから学校?」
 青葉のような視線が凍る。
「今日は午前だけだ。中間テスト最終日」
(もうそんな時間か)
 ほんの30分程度のつもりだったが、その6倍ほど寝ていたらしい。
 すぐにまなざしが和らいだのは、徹底的な相性の悪さも少しずつ乗り越えて――あるいはダイゴの強引さがぶちこわして――ここまで来たからだろう。信頼とは言い切れないかも知れないが、信用を得ている自信はある。
「ずっとここにいたのか」
 頬やうなじがうっすらと輝く若々しさと、無造作にネクタイを抜く手のルーズな仕草に、まだ十代なのだなとしみじみ思う。薫るような清涼感は実に様になる。本人は無愛想でかわいげもないが。
「今日はまだデーボス軍も出てないしね」
「中間テストだったから、招集かかったらきつかった」
「ふうん。結果は?」
「さあ。いつも通りじゃないかな」
「そう言えるってことは、悪くはない自信があるのか。たいしたもんだね」
 柳の葉のような抑揚の薄い声音だが、たわいもない話が続くことが新鮮でもあり、意外でもあった。他者との糸が薄いように感じていたが、彼も少しずつ変わりつつあるらしい。もっとも、それはイアン自身も同じことだ。
 他者と深く関わることに、ためらいがなくなった。もちろん、ある程度の線引きはしているし、たった一本ではあっても大河のごとく岸を隔てるその境界線を越えられる人間は、ごく限られている。
 ソウジの壁も限りなく薄く透明に近づき、イアンの境界も互いの手が届く距離まで縮まったということだ。この均衡は、風の一吹きでかき消える蝋燭の炎のように儚いものではあるが、それと同じく高熱を放つものだ。互いの関係さえ損なわなければ、再び燃え上がる。
 きらきらと光る小さな欠片が、やわらかなぬくもりを放って胸の中を転げていた。
「まさか、お前とこんな話をするなんてね」
 シャツの袖を折り返す神経質な手が止まった。
「どういう意味だ?」
「少し前までは、お互い、世間話なんかしない間柄だっただろ。他意はないさ」
 笹の葉のように切れ上がったまなじりがわずかに緩んだ。目尻に小じわが寄る。微かな変化だったが、それは確かに笑顔だった。
「確かに、あまりなかったな」
「キョウリュウジャー以外に、共通点もないしねえ」
 性別は同じだが、男だからとそういう話題を膨らませるのは、いろいろとまずいだろう。ソウジは未成年だし、明らかに付き合いの苦手なタイプだ。多少、潔癖のきらいもあるように思う。その方面の話をしたが最後、ソウジの壁はオリンポス山並の高度と裾野を持って、イアンとの間を遮るだろう。ゆるやかな大河の流れではとうてい浸食しきれるものではないし、それほどの時間を生きられるとも思えない。
 第一、そうなったら面倒くさい。ソウジとの関係も、ダイゴたちとのやりとりも。放っておいてくれる人間など、キョウリュウジャーの中には存在しないのだから。最悪の場合、トリンまで出てくる。
 よって、お子様にはお子様向きの話題がふさわしい。
「ところで、なんで頭に花咲かせてるんだ?」
 刀袋を取り上げた手が止まった。眉間に小さな谷ができる。イアンが立ち上がると、刀袋ごと木刀が持ち上げられた。
(そこまで警戒するか……)
 特になにかしたこともないのに。
 両手を挙げてみせる。これだけでは警戒されるだろうと指をひらひらさせてみれば、訝しげながらも刀袋はテーブルに戻された。左手側で足を止めて、頭に手を伸ばす。髪をかき上げた瞬間、不思議な香気が触れた。
 指先に花びらを絡めて離れれば、香りは薄くなる。疑問には思ったが、訊くのはやめておいた。口にした直後に、脳天をかち割られそうな気がする。
「ほら、これ」
 受け取ったソウジは、ああ、とわずかに口元をほころばせた。
 縁のゆるやかに巻き上がったほのかな赤色、女性的な豊かさを思わせるなだらかなライン――薔薇の花びらだ。大きさからして、掌で包めるくらいのふくよかな花だろう。残り香は月を思わせた。
「なぜ薔薇なんかくっつけてるんだ? 花とは縁遠そうに見えるね」
 そばの椅子へと座りこんだイアンを、鏡のようによく映す黒曜石の瞳が追いかけてくる。内心はよくわからないが、表情は変わらなかった。
「近所にたくさん咲いてる」
「へえ、バラ園でもあるのか?」
「バラ園……」
 考えこむような間がある。
「バラ園というよりは、オープンガーデンが近い」
「ふうん、通りがかっただけ?」
「寄っていけって言われて断れると思うか? 昔から可愛がってくれるご近所さんだ」
 そういうものか。
 イアンから見て、ソウジには構いたくなるような要素はほとんどない。キョウリュウジャーにダイゴがいなければ、こんな他愛ない会話を交わすことすらなかった確信がある。
(すごいもんだな、ご近所さんってのも)
 ふとソウジが背後を振り返った。つられて目を向けた瞬間、ゲートが輝きを灯す。
 新緑の風が渦巻く中、現れたのはノブハルだった。スチールウールのような頭にはナズナが引っかかっていた。途中で転んだのだろうか。なんでも屋には衣替えはないらしい。いつもと同じ作業服姿だ。イアンに手を上げて挨拶すると、ソウジへと歩み寄る。
「作業終わったよ。ありがとうね、ソウジ君」
 どこか不安そうにノブハルは言った。雨でしょぼしょぼする大型犬を連想する。よっこいしょー、と手近な椅子に腰を下ろした。そんな歳でもないのに大仰なかけ声を口にするのは、幼い姪っ子がおもしろがってくれるからだろうか――いや、ただの口癖だろう。
「でもさ、あんなにお代頂いちゃってよかったのかな」
「ふた月近くかかりきりだっただろ。父さんも喜んでた」
「材料を用意してくれたのも、ほとんどソウジ君のところだろ? 僕は作業しただけなのに、経費込みどころかご飯までごちそうになっちゃって。優子と理香まで。ほんとによかったのかなあ」
 子犬の目ですがられたソウジが、必死に言葉を探しているのがわかった。
(助け船を出しますか)
「スマートじゃないな、ノッさん」
「えっ」
 なにを勘違いしたか、ノブハルはお腹周りをしきりと気にしだした。意外そうな視線を向けてくるソウジにウインクを飛ばして――即座に目を逸らされた――困り顔のノブハルの肩を叩く。ぽろりとナズナが落ちた。
「そういうときはお礼を言って、ありがたく受けとけばいいのさ」
 ふと立ち上る香りに、軽く瞠目する。ソウジから薫るやわらかな匂いと同じものだ。イアンの様子に気がついたか、ソウジが首を傾ける。
「うちで作業してもらってたんだ、香の匂いくらいつくさ」
「えっほんと? ついてる?」
 ノブハルは袖口に鼻を近づけた。犬のように小鼻をひくつかせる。愛嬌たっぷりの目がせわしなくまばたきした。
「あっほんとだ、いい匂いする」
「作業ってなにしてたんだ? 庭仕事じゃなさそうだが」
「金継ぎ」
 聞いたこともない言葉だ。黙りこんでいると、すぐにノブハルが察して説明してくれる。曰く、欠けた焼き物を漆と金で継いで修復する技術だ、と。
 欠けた器を金で修復しても、壊れた事実はなかったことにはならないだろう。評価も下がりそうなものだが、日本では価値が上がることさえあるらしい。修復の跡となる金線さえ景色として楽しむ、あるいは愛でるという感覚は、正直、理解しがたかった。
 だが、ソウジもノブハルも、その感覚に違和感はないようだった。
(壊れたらそれまでだろ。直したとしても、元々の価値には及ばない)
 命と同じだと、イアンなどは思うのだが。
 あ、とノブハルが声を上げた。
「金継ぎってさ、僕らにも当てはまるよ。ちょっとむりやりだけど」
 こちらの気力を奪ってくれる気かと――ギャグを飛ばしてくる気かと身構えたが、違ったようだ。とは言え、彼が言い出したことの意味がわからない。
「はぁ? 焼き物となんの関係が……」
「キングか」
「そうそう。キングが僕らを継いだんだ!」
 ばらばらに集まった欠片たちが、桐生ダイゴという接着剤でつながって、奔放な金線に彩られた器を作り出した。ダイゴ自身の欠片も、もっとも重要な底の部分を支えている。なんの共通点も接点もない、境遇すら違う5人なのに、キョウリュウジャーというつながりを得て、イアンたちはひとつの器となった。本人にその気があるのかはわからないが、結果的に、キョウリュウジャーをまとめ上げたのはダイゴだ。
 ダイゴが人と人の心を継いだのだと、そう言いたいらしい。
(わからない、とは言いたくないな)
 不意に疑問が脳裏をかすめた。
 ソウジの性格を考えると、立風館家で作業をしているノブハルをおいて外出するというのは、らしくない気がする。歳は離れているが、ふたりは意外と仲がいい。隣で作業を見ていたり、終わるまで敷地内で修行に励んでいても良さそうなものだ。
 木刀を振りはじめたソウジをこっそりと横目で見やる。
 この距離じゃ意味ないだろうなあと内心でつぶやきながら、テーブルに突っ伏すノブハルの方へ身を寄せた。
「先にここへ来たって知ってたのか?」
 ノブハルは眠たげに目をこすりながら、不明瞭にうなずいた。ますます大型犬じみている。バーニーズか、ニューフィか。
「しばらく手を離せなくなるから、遅れたらごめんって言っといた」
「なるほどね」
 会話は聞こえているだろうに、ソウジは一瞥もくれない。
 作業してくれているノブハルの邪魔をさせたくなくて、なにかあったらいち早く現場に駆けつけるつもりで、スピリットベースに来たのだろう。期せずしてイアンがいたわけだが、ソウジの目的は変わらなかった。
「意外と可愛いとこあるんだな」
 たっぷりとからかいをこめて言うが、やはりソウジは振り返らない。ノブハルがあきれたようにため息をついた。
「そんなおじさんみたいなこと言って」
「へー、ノッさんがそれ言う?」
「おっさんって言ったら、下からドーンするから覚悟よろしく」
 なにも言わなかった、なにも聞こえなかったふりをして、イアンは椅子に座り直した。
 沈黙の降りたスピリットベースに、木刀を振る濁りのない音が響く。ノブハルは眠ってしまったし、ソウジはまったく相手をしてくれないが、たまには、こんな日も悪くない。
 イアンも眠ることにした。テーブルを背もたれ代わりに、ひとつあくびをして目を閉じる。
「おやすみー」
「なにかあったらおいてくよ」
 苦みの強い柑橘を搾ったような声に背を押され、イアンも眠りの雲の中へと沈んでいった。

*  *  *

 色々とこだわった結果、ノッさんの描写が非常に少なくなってしまったorz
 時期的には5月半ば過ぎ。なんでも屋さんなら金継ぎできるかなーとか、立風館家なら金継ぎしてでも残す器があるだろうなーとか、色々と空想。
 オープンガーデンは地域ネタかも知れない。ロケ地そばの、薔薇を丹精していらっしゃる方のお庭にお邪魔させて頂いたことがあります。今年も行ってみようかな……。