刃に果てなき万緑を/キョウリュウ



 ソウジの呼吸が普段よりも荒い。イアンは密かに舌打ちした。
 3メートル以上の高さのある竪穴の底に、ふたりはいた。刀袋を手にしたソウジは、力なく足を投げ出して座りこんでいる。左腿はすでに真っ赤だ。
(お互い、ガブリボルバーはない……その上、ソウジは足を負傷。ジャンプして手が届く高さでもないし、上れるような壁でもない。参ったな)
 土に汚れたソウジが、わずかに青ざめた顔を上方へと向けている。そろそろ桜も咲く頃なのに、ステンドグラスのように空を割る枝は、生気を失ったように白い。
 もうすぐ夕暮れだ。
「本当に圏外?」
 問いかければ、無言で携帯電話を投げつけられた。勝手に見ろということだろう。
「確かに。これは困ったな」
 やわらかな土は、手をかけても崩れ落ちるばかりだ。よじ登るのは不可能。
 ネクタイに棒を噛ませ、傷口よりも上できつく縛り上げてはいたが、ソウジの出血は収まらなかった。ペンで書いた時間と時計を見比べ、ソウジが棒を回して緩める。途端、音を立てて真紅が広がる。
「収まらないな」
 イアンがそばに膝をつくと、ソウジは淡々と言う。
「動脈は無事だよ」
「静脈でも、傷は縦方向だろ。太ももだし、その出血じゃあと何時間ともたない」
「寒くてよかった」
「その分、体力消耗をする。暑くても同じだがな」
「立てるうちに、あんたは脱出してよ」
 傷口をしばり直す手に迷いはない。真摯な光を秘めて見上げてくるまなざしに、イアンはため息をかみ殺した。殴らないのも、怒鳴りつけないのも、自分のポリシーに反するから――それだけだ。目の前がちかちかする。
 見殺しにしろと言うのか。友を失ったことのあるイアンに、こんな、7歳も下の子どもを。声を荒げないのが精一杯だった。
 嫌みたらしくソウジの髪をなでれば、さも嫌そうに顔を背けてくれる。
「先に脱出するのは子どもだって、相場は決まってるのさ。知らないわけないよな?」
「船じゃないんだ、沈まない。それ持って行って。使い方はわかるだろ。待ってるから」
 パスワードはザクトルと、イアンが持ったままの携帯電話を目線で示す。日本用の機種はまだ購入していないと言ったこと、覚えていたらしい。
 刀と木の根を支えにして、ソウジはゆっくりと立ち上がった。足下がふらつき、大きく体勢を崩した。土の壁に顔から突っこみそうになるのを、襟首をつかんで引き留める。ばつの悪そうな顔さえしないのだから、かわいげがない。
 口ごもるようなお礼がなければ、わざわざ顔の土を払ってやったりはしなかった。
(よろよろして、生まれたての子鹿みたいなのに)
 口にすれば確実に殴られるだろう。絶対零度すら突き抜けたまなざしが返ることは必至だから、声に出すつもりもないが。
「そんなで、ほんっとに俺の踏み台になるつもりか? まあ、上れない壁だから、どっちかが土台になるしかないんだけど。お前が行ったら?」
「言っただろ、待ってるって」
 イアンの足下までやって来て、その場にしゃがみこむ。底光りのするまなざしが、薄暗がりを切り裂くように鮮烈な印象を刻んだ。
「チャンスは1回きりだから。失敗しないでよ」
「失敗? 誰に言ってるんだい。あり得ないよ。1回で登って、すぐに呼んでくるから。お子様は安心して待ってるんだね」
 なにか悪い結果を引き寄せてしまうような予感がして、それまで無事でいてくれとは、どうしても言えなかった。

 ノブハルとアミィは、奪われたガブリボルバーを追うと言ってくれた。ダイゴだけを連れ、イアンは森へと戻った。幹に刻んだ数字と矢印をたどり、目的地へとひた走る。
「奴ら、来てるな」
 ダイゴが跳んだ。木の陰から飛び出してきたゾーリ魔の顔面に、刈るように跳ね上がった足がクリーンヒットする。脳震盪を起こしたように倒れた一体につまずき、あとから現れた一体が転ぶ。その脳天を、容赦ない銃撃が撃ち抜いた。
 ゾーリ魔は粘つく体液を残し、煙を上げて消えていった。ガブリボルバーをホルスターに収めたダイゴのまなざしは鋭い。
「奴ら、鼻がいい」
「急いだ方がいいな。俺は武器はないから、相手はよろしく」
「ああ、任せとけって。ま、あんま心配なさそうだけどな」
 ダイゴの言うとおり、それ以降はゾーリ魔はしばらく現れなかった。
 再び見かけたのは、1番の木を通り過ぎて、竪穴の間近まで来たときだった。穴のすぐそばに立ち、覗きこむようにして微動だにしない。
 心臓が冷えた。
 ダイゴがガブリボルバーに手をやった。だが、その引き金が引かれることはなかった。ホルスターから引き抜きもしなかった。
「ダイゴ?」
「当たったらさすがにまずいだろ」
 火花のような血を吹き上げ、ゾーリ魔の顔が仰向いた。頭の重みに負けたように背が大きくしなる。重力の腕に引かれ、そのまま背後に倒れこんだ。ぴくりともしない右腰から左肩にかけてを、粘度の高い血をこぼす傷がななめに走っている。
 その向こうに立っていたのはソウジだった。逆光で表情はよく見えない。左足をかばう不自然な体勢ではあったが、刀を一振りして体液を払い、懐紙でぬぐってから鞘に収める所作にはよどみがない。
「それ見ろ、自力で出てやがる。ブレイブだぜ」
 ダイゴは愉快そうに語尾を弾ませた。
「今頃来たの」
「急いできたのにその言い草……傷つくな」
 傷の具合だけでも見ようと、イアンはソウジに歩み寄った。近づいて、ぎょっとする。
 ソウジは血まみれだった――自身の赤ではなく、ゾーリ魔の透明な血液で全身が汚れていた。イアンは躊躇したが、ダイゴは迷うことなく手を伸ばした。どこからともなく引っ張り出したタオルで、ソウジの顔をぬぐおうとする。
「いいよ、自分でできる」
「けが人はおとなしく世話を焼かれるもんだろ」
 じゃれるふたりから離れて、イアンは竪穴へと向かった。落ちないよう十分な距離をとり、穴を覗きこむ。
(どういうことだ……)
 頬のあたりを、鳥肌に似た感覚がなぞる。イアンが登ろうとして突き崩した一角も、ソウジが支え代わりにした木の根も見えない。
 そこはもはや竪穴ではなかった。
 不完全な姿の巨大ゾーリ魔が、底面を押し隠していた。上半身の一部がまだらに形成され、穴を塞いでいる。ゾーリ魔の大半が元の姿を残したまま、腕や体の一部が溶けたようにつながり、いびつにもつれ、絡み合って融合している光景は、決して気分のいいものではなかった。
 しかも、彼らはわずかに動いている。ひとつの肉体として不完全な巨大ゾーリ魔を動かすことはできないようだが、数体が筋肉としての役目を果たそうとしてか、ゆるゆると身じろぎしていた。抜け出そうとしている個体もいる。弱りすぎていて、互いを切り離すこともできないようだ。
 個と群があべこべに入りまじったせいで、どちらの状態も維持できないのだろう。羽ばたくこともできずに地を這う虫のようで、哀れを誘う。
(なんでこんな中途半端なんだ)
 重みに耐えかねたように、血液を長く引いて落ちた一体を見て、すべてを悟った。腰のあたりに、深い創傷が見える。刀傷だ。すべての個体に確認できたわけではないが、見える範囲のゾーリ魔の大半に、冴え渡るような傷が刻まれている。
 ダイゴにもみくちゃにされるソウジを横目に見やる。早々に抵抗はあきらめたらしく、おとなしくその場に座りこんでいた。その指が、微かに震えている。
(なーるほど、ね)
 瀕死のゾーリ魔、互いに溶け合って巨大ゾーリ魔となる特性、不完全な肢体――それらをつなぎ合わせれば、導き出せる回答はごく単純なものだ。ただし、度胸と、良心をねじ伏せられる理性と、確実に成し遂げられる腕前は必要不可欠となる。
 ソウジには、すべてがそろっていたということだ。あるいは、むりやりにでもそろえたのか。
 おそらく、後者だろう。
 イアンは歩み寄り、ソウジの肩を叩いた。うさんくさそうな目を向けてくる少年に、にっこりと笑いかける。
「待ち受けがザクトルなんて、意外と可愛いな」
 手渡そうとすれば、ダイゴが横合いから取り上げてしまう。ほんとだ、とよくわからない歓声を上げた。
「なんでザクトルなんだ。ガブティラにしろよ。あいつ可愛いぜ」
「馬鹿言わないでよ」
 自分を撮ろうとするダイゴと、なんとか取り返そうとするソウジと。イアンが止めに入らない――早々に見守る体勢になった――こともあって、ノブハルたちが駆けつけ、アミィに止められるまで、ふたりのじゃれ合いは続いた。
 貧血を起こしたソウジはすぐに病院に運ばれていったが、携帯電話はダイゴの下に残された。

 結局、待ち受け画面は、5体そろい踏みの獣電竜の写真にするすることで決着がついた。
 ソウジの待ち受けはさぞやにぎやかでカラフルだろう。

*  *  *

 携帯電話と書いていますが、スマホのイメージ。ソウジの一人称を使わずに書くのも限界になってきました。明日の放映が待ち遠しい! あと、イアンのしゃべりとか性格とかもまだよくわかりません\(^o^)/
 巨大ゾーリ魔≒エイリアンな考えで、だらだらしてるもの=血液と同じ組成のもの、かなと。