あとしまつ/シンケン



 梅盛源太の元気すぎる悲鳴が、志葉家の屋敷に轟いた。その裏でささやかな女の悲鳴が上がったことに気づいたものは少なかっただろう。
 それを発したのは黒子のひとりだった。台所に立ちつくし、覆面の上から口元を抑えている。
「どうしました、朝影」
 周囲に誰もいないことを確認し、声を掛けたのは黒子の鶸。頭ひとつほど小さな朝影の肩越しに台所を覗きこみ――息を呑む。
 卓の上のものとがっちり目があった。
「……猫!?」
 鶸は、彼らしくもなく素っ頓狂な声を上げる。
 屋敷で飼っていないはずの猫がいる。我が物顔で卓に陣取り、胡乱な目で鶸たちを振り返っていた。足下には、シャリだけになったお寿司が残されている。傍らに転がっているのは、引き出された状態で放り出されたラップ。
「鏑……君って男は……」
 がっくりとうなだれる。
 外道衆出現でスイッチが切り替わり、寿司ネタ=梅盛源太というのをすっかり忘れて飛び出してしまったらしい。まさにご臨終一歩手前だったようだ。
 不安そうに見上げてくる朝影の肩を軽く叩く。
「源太殿なら大丈夫ですよ。元気な悲鳴、聞こえたでしょう?」
「うん、そうなんだけど……」
 不安そうな朝影に、内心首を傾げる。
「猫ちゃん……わさび大丈夫なのかな。それに……源太さんもトラウマになってないといいんだけど」
「…………」
 懸命にも沈黙を保つ。
 鶸の沈黙を非難と勘違いしたのか、可愛らしい猫は迷惑そうに睨んできた。
 廊下の向こうからばたばたと大きな足音が近づいてくる。猫はしっぽを一振りし、逃げるように走り去っていった。
 反射的に礼をとろうとして、間近までやってきた気配が仲間のものであることに気づく。ついでに言うならば、同じ黒子の中でも深いつながりのあるものであることにも。
 覆面を跳ねあげんばかりの勢いで突っ走ってきたのは、谷千明、花織ことはの出陣に際して、旗手として出撃していた鏑だった。どうやら、梅盛源太入りの寿司を放置していたことを思い出し、慌てて駆けつけてきたらしい。
 いろいろな意味で手遅れだが。
「無事かっ!?」
 気配を確認することなく飛びこんできた鏑は、先客ふたりを押しのけて卓に駆け寄る。シャリだけになった皿を見て明らかにひるんだ。救いを求めるように鶸と朝影を振り返る。
 ことんと小動物のように首を傾げ、心底困ったような声音で言う。
「……ネタだけ冷蔵庫?」
 朝影が噴きだした。お腹を抱え、扉にもたれるようにして笑いをかみつぶそうとする。
 頭巾の向こう側でむっとする鏑の顔が簡単に想像できて、鶸は苦笑した。
「千明殿たちの戦い、見ていらしたんでしょう?」
「現場では、間に合ったかどうかまではわからん。間に合ったと……信じてはいるが」
 やや歯切れが悪いのは、疑うようなことを口にした自分を叱咤しているからに違いない。
 気づけば、梅盛源太の奇っ怪な悲鳴も絶えている。朝影を丈瑠たちのフォローに向かわせ、鶸は同僚の肩を軽く叩いて慰めた。
「大丈夫、ちゃんと間に合いましたよ」
「謝罪を……」
「おやめになったほうが良いかと」
 お茶の準備を始める。鏑はしばらくその場にたたずんでいたが、梅盛源太の抜け殻――と言っていいのだろうか――の後かたづけを始めた。
「謝られたところで癒えるわけでもありません」
「……ひどいのか」
「朝影が心配しておりました。あの子の勘は当たりますから……」
 猫と同列でしたが、とは言わないでおいた。
「自身で侍を志した方です。一時は落ちこむことがあっても、じきに立ち直られるでしょう。型破りなお方ですから」
「のんきな奴だな。まあ……そこがお前の長所か」
 鶸は笑む。覆面に隔てられていても気配が伝わったのだろう。鏑は居心地悪そうにそっぽを向いた。
「よく言われます」
「お前と谷千明、似ていると思ったことはないが……そうでもないのかもな」
「あなたとことは殿は、一見、まったく似ていないように思われますが……まっすぐなところは、怖いくらいに似ていらっしゃる」
「……言ってろ」
 すっかり準備を整え、ふたりは廊下へと向かう。
 吉野が切った命の期限まで、あと約半年。
「同じ『代わり』ならば、守って絶えたい」
「同感だ」
 廊下に出れば、私語は許されない。いや、本来なら、黒子たちの私的な場以外で言葉を交わすことは許されていない。侍たちにその身元を知られてはならないからだ。
 本当ならば、丈瑠にさえも。
「同じ時代に生きることできてよかった」
 ぽつりと落としたつぶやきは、重く、暗い。
 それが誰に対して、何に対して向けられたものは、鶸にはわからない。侍たちへ向けられた愛情か、丈瑠に向けられた信頼か、死への階梯を登る仲間への友情か。

 若き侍たちの身代わりとなって死したのち、この遺骸を彼らに晒すことだけはしたくない。
 我が身の内に閉ざされた哀れな蝶。この命尽きたそのときには、内側から滅ぼしてほしい。塵ひとつ残さず。
 堕ちる隙などないように。

*  *  *

 お寿司食べちゃった猫ちゃん、可愛かったですねえ。
 夜中に見直していて、ああー書こうかなあ、と思い立ち、朝の5時頃に書いていたお話。なんかいろいろ大変なことに。