黒子に徹さず/シンケン



 志葉家ではたくさんの黒子が働いている。どの黒子が何という名前なのか、あるいは、どのような姿をしているのか、すべてを知るものは少ない。
 丈瑠や彦馬もすべてを把握してはいないだろう。
 黒子たちもまた、互いをよく知っているとは言いがたかった。部署が違えば、顔すらわからない。そんなことが多々ある。

 志葉家の裏庭、侍たちはもちろん黒子たちすらほとんど訪れないスペースがある。今は使われていない、古びた蔵の裏だ。
 つぶされた井戸に大きく張りだす枝に、仲間内で「鶸〔ひわ〕」と呼ばれる黒子が座っている。木に寄りかかっているのが背の高い鏑〔かぶら〕、井戸に腰掛けているのが朝影、岩に座っているのが吉野といった。
「丈瑠様が兜折神を支配下におかれた」
 鏑の声は若い男のものだが、歳不相応に重々しい。
「それはようございました」
 穏やかに言うのは鶸。鏑と同じく若い男のだが、その声はやわらかく、同年代とは思えないほど温度差があった。
 目の前に下がるユリノキの枝をなで、ため息をつくように言葉をつぐ。
 芽吹く気配はない。
「他のディスクも見つかるとよいですね」
「ディスクもそうだけど、ちょっと不釣り合いなのが気になるかな」
 考え考え言ったのは朝影だった。やわらかな女の声をしている。流ノ介と千明にあんまんを持って行ったのは彼女だ。
 四人の中で一番若い。
「なれ合いは不必要だけれど、信頼は必要よね、どう考えても」
 上品な女声が答えた。吉野だ。
「殿は彼らを見ているわ。フィルタもなんにもない、素通しの目で。まあ、少し辛口ではあるけれど」
 口調は素っ気ない。だが、感情は決して浅くない。丈瑠の、時に言葉が足りない性質をよくわかっているから、歯がゆく思うこともある。音にして初めて意味があるものも、決して少なくはないのに。
 ある意味では聡すぎ、若すぎるのだ。
 幼くして重責を負うことになった丈瑠には、どうしても埋められない欠けた部分がある。幼少時よりそばで見てきた――ともに育ってきた――吉野には、その欠落こそが弱点になりうるとわかっている。
「茉子さんはとても察しの良い方で。若殿が気を張っていることに気づいてらっしゃる様子。ことはさんはとても純粋で……何と言うかな、みなさん仲がよいと信じてらっしゃる様子で」
「千明殿は、技術は劣るようですが、意外と鋭いですね。よくまわりをみていらっしゃる。流ノ介殿は……もしかしたら、いちばん心の広い方かも知れません」
「はっきり言っちゃえば? いちばん幸せな人かも、って」
 身も蓋もない朝影の声に、苦笑するように鶸は首を傾けた。流ノ介は侍としての使命ばかりが先に立ち、仲間たちのことがよく見えていない部分がある。
 それは丈瑠へ向ける感情にも表れている。尊敬が理解になるとは限らない。むしろ、妨げにさえなる。
 自身のことも、自分で思うほどには見えていないかも知れない。
「一般市民への被害がとみに増えている」
 不意に鏑が言った。
 覆面ごしにもわかる鋭い眼光。旗手として戦場にはせ参じる鏑だが、彼は人々を逃がすことしか許されていない。苦痛にかきむしられる声が、表情が――震えるような怒りに直結する。
 自らも刀を手に取り、戦いたいのだろう。少なくとも、ナナシ連中から人々を守るくらいはできる。
「ディスクの捜索に力を入れるべきと考える。少しでも多い方がいいはずだ。戦うための力は」
「……彦馬殿がそうおっしゃったのなら、しましょう。それまでは、今のままで」
「四家の若侍が強くなるのを待つ、と?」
 わずかに棘の混じる鏑の声音を受け、鶸が穏やかに語りかけた。
「我々はあくまで黒子ですからね……表に出るわけには参りませんよ。多少歯がゆくはありますが」
「滋養のつくものでも作ってあげるとかどうかな」
「……私が?」
 きしむような鏑の声に、全員が沈黙する。
 正直、台所でせっせと料理をする鏑の姿は、思い描きにくい。刀でも研いでいる方がどれだけ似つかわしいか。
 ここにいる4人は、互いの姿形はもちろん、氏素性も知っている。尚のこと想像したくなかった。
「包丁研ぎまくるとかどうだろー」
「……私、が?」
 落ちた沈黙が重い。
 包丁がいつの間にか刀に変わっていそうで嫌だ。柳刃包丁がシンケンマルに七変化しそうで怖い。
「……お料理の件、あたしから料理番に言っておくわ」
「もちょっとバリエーション増やすようにも言ってほしいな。和食ばっかりだと飽きちゃうみたい。特に千明さんが」
「彦馬殿にもお願いしてみるわ。殿はずっとああだったから慣れてるみたいだけど、他の侍たちは、なかなかむずかしいみたいだし」
 食事のたびに千明が「和食には飽きた」とぶつぶつ言いはじめ、聞きつけた流ノ介が説教をはじめ、丈瑠にうるさがられる、という構図がすっかり定着している。
 茉子やことはが文句を付けたことはないが、朝影から、ふたりが雑誌のスイーツショップをチェックしているようだ、という話は聞いている。ことはは何も言わないが、茉子はときどき「家庭の味」という言葉を口にするようだから、和食一色には飽いているのかも知れない。
 そろそろ、千明にお膳のひとつもひっくり返されそうな気もする。
「健康管理にも、さらに力を入れねばなりませんね。流ノ介殿は稽古で無理をしがちですし、千明殿は夜更かしが多いですから……」
「女の子たちは早寝早起きでしっかりしてるけどね。ことはさんが夜中に稽古しようとしたら、茉子さんがさっときて連れ戻してるから」
「殿に関しては心配いらないわ、一応。無理は多少してるけど、しなきゃなんない無茶だもの」
 ふっと沈黙がおりた。季節外れの淡い翠色をした蝶が、ユリノキの枝に羽を休める。鶸が手を伸ばすと、ついとその指先に移った。
 鏑は腕を組み、むっつりと黙りこんでいる。
 不意に朝影が顔を上げた。
「あ」
「どうした?」
「若殿がこっち来てる」
 その瞬間、鏑と鶸が木立の奥へと消えた。朝影は立ち上がり、音もなく母屋の方へと駆け出す。
 ひらひらと羽をはためかせ、蝶がゆっくりと鶸のあとを追う。あざやかな色が枯れた木立の向こうにまぎれるのを待って、吉野は立てかけてあった箒を手にする。
 そのまま、何事もなかったかのように、丈瑠の微かな気配の揺らめく方へと歩きだした。
 蔵の向こうから、丈瑠が歩いてくる。びしっと背を伸ばした隙のない身のこなしは、まさに侍そのものだ。
 ただし、彼には余裕がない。臣下を受け入れることが、うまくできないでいるのだろう。
 誰も傷つけさせたくないのだ、本当は。
 吉野がさっと頭を下げると、丈瑠は目礼をよこした。すれ違うかと思いきや、数歩ののちに歩みを止める。
「さっき、誰かここにいなかったか」
 問いかけに、首を振ることで答える。
 丈瑠の視線が、常より心なしか冷たい気がする。ばれているのだろうかとちょっと心配になった。ばれていたところで、まぎれてしまえばわからない、とは思う。
 うっかりばれてしまっても、身体的に明らかな特徴があるのは、小柄な朝影だけだ。何とかなるだろう。
 何ともできずに解雇でもされれば、吉野は実家に帰るしかない。
 どの面下げて帰れるというのか。この間の里帰りで、ざっと5個ほどつぼを割ったのは、ある意味いい思い出だ。うっかり実家帰りするはめになったとしても、父親は、家の敷居をそう簡単にはまたがせないだろう。へたをすれば、その場で決闘だ。
 嫌すぎる。
「そうだ、ちょうどいい」
 首を傾げてみせると、丈瑠はとん、と竹刀で肩を叩いた。
「お前、かなりやるだろう」
 反射的に下がる。竹箒を目前にかざし、投げつけるように手放した。うなりを上げた竹刀が柄を打ち据え、吉野の目前から奪い去る。あんなもの、まともに受けたら箒が折れる。備品を壊したら、怒られるのは丈瑠ではなく吉野だ。
 前垂れ越しに目があった。
 意志的な漆黒の瞳が、おそろしいほど清冽な眼光を叩きこんでくる。
 頭巾を押さえる左手を狙う切っ先をかわし、すれ違いざまに延びる腕をかろうじてさばく。
 だが、それが限界だった。
 いや、黒子としての限度ぎりぎりだった。
 頭巾がユリノキの枝にかかる。ふわりと広がった黒髪に、丈瑠は目をみはった。
(女……?)
 広げた左手で目元を覆い隠してはいるが、やわらかな頬のラインや上品に整った唇を見れば、間違いようがない。
 よく見れば、背は茉子より多少高い程度だ。
 丈瑠は、その黒子を男だと思っていた。丈瑠の身の回りの世話をする黒子のうちのひとりで、彦馬の信頼も篤い。身のこなしからかなりの武道の使い手とわかっていたし、何より、気配が侍と似ていた。
 らしくもなく動揺する丈瑠へ、吉野は笑みを向けた。
「あたしはただの黒子ですわ。お相手などつとまりません」
「……喋らないんじゃなかったのか」
 吉野は笑みを深めた。小さく一礼すると、拾った竹箒を投げつけ、覆面を取り返す。
 風のように立ち去った吉野を見送り、丈瑠は唇をねじ曲げた。
 もしかして、自分は今、かなり理不尽なことをしてしまったのではないだろうか。らしくもないことをした気がする。

 そんなやりとりを影からこっそり見ていた鏑は、丈瑠が立ち去った後、小さくため息をついた。
(もしや)
 丈瑠は、全力で打ち合える相手を探しているのではないか。
 2倍になったモヂカラ。その力を撃ちこめる――磨きあえる相手を探していたのではないか。敵ではなく、仲間内で。対等とまでは行かないものの、あまり目線に差のないものと、鍛錬したかったのではないか。
 ふむ、と腹の中でつぶやきをもらす。
 これは、とっとと他の侍たちに強くなってもらわねばなるまい。器用な吉野や朝影、力加減の絶妙な鶸と違い、鏑はしっかり反撃してしまいそうだ。
 とりあえず、打ちこみの回数について、彦馬と話をしてみよう。モヂカラの修行についても、相談してみるか。

 翌日から増やされた稽古に、流ノ介は歓喜の声を上げたという。

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 黒子4人組の名前と背景にちょっと悩んだのは秘密です。
 メイン5人のうち、ことはだけがまだいないのは……京都弁が難しいからですorz;;