お夜食の準備/シンケン



 基本的に、志葉家の食事は和食が中心だった。朝昼夜、ときどきだされるおやつも、黒子たちに頼めば作ってもらえる夜食も、そのほとんどが和のもの。
 家の主でありシンケンジャーを束ねる長でもある丈瑠が、食べ物に言及することはほとんどない。長年彼を支えてきた彦馬も、栄養には気を使うがジャンルにはこだわらない。というか、和食が出てくると信じて疑っていない。和食以外の選択肢があるとは思っていないのかも知れない。
 だが、新しく来た侍たち(一部除く)はそうもいかなかった。鍛錬こそ積んでいたものの、ごくごく普通の生活をしていたのだ。和食だけの生活など、したことがない。
 特に、「木」のモヂカラを持つ青年は。

 千明は浮かない顔で雑誌のページを繰っている。反抗精神いっぱい、出る杭は打たれるが打たれても出る、を地でいっているとしか思えない彼の常にないおとなしさに、同室の流ノ介は釈然としないものを感じていた。
 いつもなら、ちまちまと何やら動き回って、少しもじっとしていないのに。
 読んでいた本をぱたりと閉じ、だらしなく寝そべっている千明を振り返った。
「千明」
 答えない。
「千明、お前、今日はどうしたんだ」
 答えないどころか、顔を上げようともしない。
「ずっと暗い顔ばかりしていては、殿も心配なさる。何か悩みでもあるのか?」
 答えず、顔を上げもせず、ため息をつかれた。それも、これでもかと言わんばかりに盛大な。
 むっとした流ノ介が詰め寄ろうとした瞬間、千明ががばっと顔を上げる。いかにも嫌々、うるさいという内心をこれでもかと前面に押しだした表情で。
「あのな、うざいからそれ」
「何を言っている! わたしは、お前の心配をして……」
「『殿』の心配の間違いだろ。それにな、悩みがあっても、お前には言わねーよ、絶対!」
「あのなあ千明、いい加減に……」
「言や解決してくれんのか? 無理だろ? この辺、コンビニとかないし」
「……コンビニ?」
「あんまん食いたいんだよ、あんまん!」
「あん……まん……?」
 まさか、小腹がすいて元気をなくしていたというのか。恐るべし、若者の胃袋。
 自分も若者であるはずなのに、流ノ介はしみじみとそんなことを思ってしまった。高校を卒業したばかりの青年の燃費は、自分よりもよほど悪いようだ。
 いささか悪すぎやしないか。果たして、自分にもこんな時期などあっただろうか――追想にふけりそうになった流ノ介は、千明のふてくされた視線ではっと我に返った。こんなことをしている場合じゃない。
「では、明日殿にお願いして……」
「お願いしてコンビニ行くのかよ!? しかも明日!?」
「今から黒子の方々にお願いするのは、いくら何でも迷惑だろう!」
「誰も頼むって言ってねーよ! っつーか、近くに作れよコンビニ! そうすりゃ、夜中にこっそり塀でも越えて……あ、やべ」
「まさかお前、そんなことしてたのか!?」
「……してねーよ」
「本当か?」
「家じゃやってたけどな、こっちじゃやってねーよ! 食べたいけどな、あんまん。つーか、いちばん近いコンビニまでどんくらいかかると思ってんだよ! 黒子1ダースもひきつれてく距離じゃねーよ!」
 千明はぷいとそっぽを向いた。
 流ノ介は何とも言えずに腕を組み、深く息をつく。
 どうも、千明とはうまくつきあえない。同じ仲間で、年下の相手。心配するのは当然だし、構うのも当たり前だと思う。だが、千明は干渉を嫌がる。自分のテリトリーの内側に人を入れることを、嫌がっているそぶりさえある。そのわりには人に構いたがるし――よくわからない。
 一人っ子の流ノ介としては、弟ができたようで嬉しくもあるのだが。
 未だに、口論以外の話をまともにしたこともないというのも、おかしな状況だった。それでいて、部屋は同じなのだから、さらにわけがわからない。
 志葉家はすっかり静まりかえっている。皆就寝前の一時をゆっくり過ごしているのだろう。
 薄い月光がさしている。
 障子の向こうで、わずかな人影が動いた。
 流ノ介は反射的に動いた。ショドウフォンを引き抜き、障子を開け放す。
 左右に長く延びた廊下には、誰の姿もなかった。庭にも誰もいない。のんびりと立ち上がった千明は、面倒くさそうに頭をかきながら、流ノ介を押しのけ、廊下に出た。床はひんやりと冷えている。
「誰もいねーな」
「まさか……くせ者!?」
「違うだろ。黒子じゃねーの?」
「もし違ったらどうする!」
「違わねーよ、たぶん」
「たぶん!? たぶんとはなんだ、たぶんとは!」
「黒子たくさんいるし、俺たちだっていんのに、くせ者なんか入ってくるかよ! 入った瞬間袋のネズミだろ!」
 そこに、ひとりの黒子がやってきた。睨みあう流ノ介と千明の間にさっと割って入ると、ぺこりと頭を下げる。
 流ノ介は不思議そうに、千明はうろんなものを見る目で、それぞれその黒子を眺めた。
 背の高さはふたりとさほど変わらない。だが、肉体的な特徴は、お仕着せとも言える黒装束に隠れてほとんど見て取れなかった。おそらく男性なのだろうと、身長と、やや節の目立つ指の長い手から判断する。
「どうされました?」
 流ノ介の言葉に、黒子はもう1度ぺこりと頭を下げ、何やら身振りで示し始めた。
 情けないことに、流ノ介は彼らのボディランゲージがいまいちよく理解できない。心配ない、と言われているような気がするのだが、自信はなかった。こんなことでは殿のお役に立てない――流ノ介は自身の修行不足があまりにも情けなくて、涙が出そうになった。
 一方の千明は、何やらふんふんとうなずいている。黒子の言っていることが分かるのか――と流ノ介は一瞬気が遠くなったが、千明は小さく首を傾げたあと、ふーんと気のない声でつぶやいた。どうやら、流ノ介と同じ程度らしい。たぶんそうだ。
 黒子が立ち去ったあと、ふたりはそっと顔を見合わせた。
「心配ない、と教えに来てくれたのか……」
「ってゆーか、あれだろ? ここにいたの黒子だって言ってたんだろ?」
 えっそうなの?
 聞き返すこともできずに、部屋に戻っていく千明の背を流ノ介は見送った。ぴしゃりとふすまが閉められ、我に返る。
 夜空に登る吐息は白い。

 かつかつと小さな音が聞こえる。本から顔を上げ、ちらりと千明を見やると、彼は雑誌の紙面を指先で叩いていた。
 かつかつ、かつかつ。
 そこに何かあるのだろうか。流ノ介が顔を上げると、千明は警戒するように壁を背にしてしまった。布団に投げ出された足が、引き寄せられてあぐらをかく。
 不意に廊下がきしんだ。振り返ると、障子に人影が映っている。黒子のひとりだった。
 声を返すと、障子が音もなくすっと開いた。
 お盆を手に、黒子が入ってくる。先ほどとは違う黒子だ。背が低く、指は細くて爪が縦長をしていた。おそらく女性だ。ことはと似たような背格好だろう。
 女性の黒子がいることを、今初めて知った。茉子やことはがいるのだから、女性の黒子が世話をしているのだろうというのは、少し考えれば思いつくのだが――姿を見たことは1度もなかった。
 黒子がふたりの前に膝をつき、うやうやしくお盆を差し出す。朱塗りの菓子器に載せられていたのは、ふかふかと白い湯気をたてるあんまんだった。
 流ノ介は目を見はり――千明はばさりと雑誌を閉じる。
「もしかして、さっきのあんた?」
 黒子はうなずいた。どうぞ、と言いたげにお盆を指先でそっと押しだす。
 お行儀よく載せられた片方を、礼とともに流ノ介は受け取った。火傷しないようそっとふたつに割ると、あんのふんわりと甘い香りに混じって、香ばしい匂いが立ちのぼる。
 見ると、白ゴマが入っていた。一口かじると、あんの上品な甘みとゴマの食感がはじける。ふわりと香ったのは胡桃だった。
「これは……おいしい、とてもおいしいです!」
 黒子は少し首を傾げ、ぺこりと頭を下げた。
 千明は警戒するように流ノ介に並ぶと、受け取ったあんまんに顔を近づけ、ふんふんと匂いを嗅いだ。
「あんた作ったの?」
 黒子はうなずく。ふうん、と鼻を鳴らし、千明はあんまんにかぶりついた。はふはふと熱そうに口をすぼめながら、大急ぎで咀嚼し、飲みこむ。
 その顔が満足そうに笑みを作った。
「こんなうまいの初めて食った」
 覆面の向こうで、黒子が微笑んだ気がした。

 茉子が覗きこんだ台所に、なぜか千明の後ろ姿があった。腰を曲げてコンロの火加減を見ている。
「千明? めずらしいじゃん」
「ああ、ねえさんか」
「なにしてんの?」
「やー、お礼? 昨日、うまいあんまんもらってさ」
「あんまん? 誰に?」
「小さい黒子」
「……小さい?」
 振り返ると、茉子にくっついてきたはずの黒子の姿が消えている。
 彼女の名は知らないが、ことはとこっそり喋っているところを見たことがある。年齢も近いようだし、何かと反発しがちな千明とも波長があったらしい。
 茉子は小さく苦笑を浮かべ、千明がいじくっているフライパンを覗きこんだ。お好み焼きとも何とも言えない白いすべすべしたおもちのようなものが、こんがりきつね色に色づいている。
「これ……おいも?」
「じゃがいももち」
「……なんで?」
「うまいんだよこれ」
 茉子は千明との会話をあきらめた。
 フライ返しが引っかかっただけで、じゃがいももちの表面がへこむ。かなりやわらかそうだ。だが、千明は意外と器用だった。ちまちまと8個もある小さなもちを、くずすことなくお皿に載せていく。
 文字は力強いが形はあまり良くないし、流ノ介や丈瑠ともいつもぶつかってばかりだから、根っからそういう性質なのかもと思っていたが。
 醤油と水と砂糖を火にかけながら、千明はうきうきと言った。
「ねえさんも食う?」
「うん、もらおうかな」
 ふと振り返ると、いつの間にかお茶が用意されている。気配も悟らせずにいれて行ったのは誰だろう。
 あの黒子だろうか。
 できあがったたれをかけて口に入れたじゃがいももちは、ふんわりと甘くて、どこか懐かしい味をしていた。

*  *  *

 参考にしたのは銀座アスターのあんまん。伯母にごちそうしてもらいました(冷凍あんまんを)。じゃがいももちは自分で作ったものを参考に。焦げてくずれて大変なことになりました……。