ダブル+1/ダブル 右半身が引きちぎられる――フィリップの意識がもぎ取られていく。翔太郎は絶叫した。引き離されまいとするフィリップの抵抗は、何の効果ももたらさなかった。反射的に伸ばしたジョーカーの手ははじかれ、サイクロンのメモリがむりやり抜き取られる。 悲鳴にも似た息づかいが遠のく。共有していた視界が鮮明な光を失い、不明瞭な暗がりに支配された。 「フィリップ!」 血を吐くような声がほとばしる。だが、遙か遠くで微かな声が返った瞬間、つながりは完全に絶たれる。風が巻き起こり、サイクロンの力が砕け散った。引きずられるようにジョーカーの鎧も消え、翔太郎はその場に膝をつく。 全身が瘧のように震えていた。 フィリップは体に戻れなかった――そして、翔太郎の内側にもいない。 目の前に無造作に放り投げられるジョーカーのメモリ。アスファルトに跳ね返り、乾いた音をたてた。激しくちらつく右目を押さえ、翔太郎は顔を上げる。 ドーパントの左手には、サイクロンのメモリが握られていた。指先ではなく、掌に握りこむようにして。意図するところを悟り、全身の血が沸騰した。 「……返せ!」 そこにないはずの傷を抑え、意識をそぎ落とそうとする疼痛を抑えこみ、翔太郎は素早く右手を伸ばす。だが、サイクロンのメモリはあっさりと手の届かないところへ持ち去られた。強烈な打撃が右腕を痺れさせる。 あの中には、まだフィリップがいる。奥歯が折れんばかりの歯ぎしり。 ドーパントは、翔太郎に見せつけるようにメモリを握りしめた手を高く上げる。 「見たところ」 ささやくようにドーパントは言う。 「ふたりでなければ、変身はできないようだ」 「……何が言いたい」 「どちらかが欠ければ、邪魔するものはいなくなる」 メモリがみちりと嫌な音をたてる。 ドーパントが選んだのは、生身の人間である翔太郎を消すことではなかった。サイクロンのメモリにつながれた、魂だけのフィリップだった。人間を殺める重さよりも、ただの道具を壊す気楽さを選んだのだ。 舌が凍りついたように動かない。いや、声などどうでもいい。 手負いの獣のようなうなり声を上げ、翔太郎はドーパントに飛びかかる。ドーパントは腕を大きく引いて遠ざけたが、狙いはそこにはない。左腕ですがるように腰にぶつかり、足を払う。バランスがわずかに崩れたところを、全体重をかけて突き飛ばす。 だが、ドーパントは踏みとどまった。長大な尾で体を支え、翔太郎を振り払う。 「くそ!」 触れれば即死する拳を避け、翔太郎はやむなく距離をおいた。拳がかすめた脇腹の布地が裂け、命の熱が流れ落ちる。生身ではまったく勝ち目がない。 右腕は未だ動かなかった。 ドーパントは勝ち誇ったようにメモリをかざす。 「ふたりでひとりの仮面ライダーとやらの……最後だ」 サイクロンメモリに、小さなひびが走る。差しこむ陽光が、傷を鮮明に照らし出した。 (ダメだ……砕かれる) 相棒が失われようとしているのに、翔太郎は動けなかった。なすすべもなく見ているしかなかった。 まばたきすらできない乾いた視界――緑色が素早く片隅を過ぎった。 「ふざけんなーっ!」 ぱこんっと間の抜けた音と共に、怒声が降る。 翔太郎は目をしばたたかせる。状況がいまいち理解できない。 今までサイクロンのメモリとドーパントしか存在しなかった視界に、亜樹子がいた。かすんだ目が、何か気の迷いで亜樹子の姿を映したのかと思ったが、目をこすってみても、まばたきを繰り返しても、彼女は確かにそこにいた。 愛用のスリッパをドーパントに突きつけ、胸を反らして仁王立ちになっている。 「ああぁぁあ亜樹子!?」 「なんだお前は!?」 「いい加減に離しなさいよ!」 あまりの事態に慌てる男ふたりをよそに、亜樹子はもう一度スリッパを振りかぶる。何の迷いもなく手首をひっ叩き、わずかに手が緩んだ隙をついて、あっさりとサイクロンのメモリを奪いった。 ドーパントが腕を伸ばすが、届かない。亜樹子は全速力で翔太郎の元へ駆け寄ってきた。投げなかったのは、これ以上メモリにダメージを与えないためか。 亜樹子を追いかけようとするドーパントをバットが阻む。どうやら、亜樹子はバットに様子をうかがわせて、劣勢と見るや駆けつけてきたようだ。この行動力と思い切りの良さは、翔太郎でも敵わないかも知れない。 差し出されたメモリを恐る恐る受け取る。大きな損傷はないようだ。わずかな傷が入っているが、これくらいなら直せるだろう。 「もー、何やってるのよ! メモリ取られちゃうなんて!」 両肩を掴まれ、がくがくと揺さぶられた。失血した視界がくらりとゆがみ、駆け上る激痛に意識が遠のきかける。感覚のない右腕が無防備に揺れ、体に当たって痛覚を締めつけた。 「好きで取られたんじゃねえよ!」 礼を言おうとすればすぐこれだ。亜樹子の手を振り払い――翔太郎は目を見開いた。 亜樹子の袖口が大きく引き裂かれている。ドーパントの装甲に引っかけたのか、あるいは、ドーパントが伸ばした指先に裂かれたのか。手首に走る傷口から、決して少なくはない出血がある。 翔太郎の視線に気づいたのだろう。亜樹子は小さく舌を出した。慣れた手つきでハンカチを巻きつけると、大丈夫、と明るく告げる。 「お前、なんでこんな無茶……」 「あたしは所長よ。部下を守るのは当たり前じゃない」 喉がつまる。 その口調があまりにも自然で、何の気負いもなかったから――何一つ取り繕ったところのない、本心からの言葉だとわかったから。 亜樹子は笑顔だった。とん、と軽く背を押される。 翔太郎は立ち上がった。震える手でジョーカーのメモリを指先にはさむ。だが、右腕は持ち上がりもしなかった。かろうじて掌にあるサイクロンのメモリも、いつ落とすかわからない。 「……亜樹子」 「なに?」 距離をおこうとする亜樹子に、サイクロンのメモリを取るよう促す。 「右手が動かねえ。それ、差してくれ」 「あたしが? いいの?」 「お前だって仲間だろ」 バットを振り払い、ドーパントが咆吼する。こちらのダメージが深刻だとわかっているのだろう、ためらいなく突進してくる。 「はやく!」 「わ、わかった」 いつも間近で変身を見ているからだろう。亜樹子の構えは、なかなか様になっていた。そんな場合ではないのに、笑みがこみ上げてくる。翔太郎の視線に気づいたか、亜樹子は得意げに笑って見せた。 『サイクロン』 きれいな指先がスイッチを押しこむ。凛とした横顔は、殺到するドーパントを恐れもせずに見据えていた。 『ジョーカー』 「――変身」 差しこまれるサイクロンメモリ――間近にフィリップの息吹が甦る。 ――亜樹ちゃんを使うとは、考えたね ――俺たちの所長だからな 冗談めいたやりとりは一瞬。疾風の壁を突き破り、サイクロンジョーカーが顕現する。 カウンターキックをまともに食らい、ドーパントは吹っ飛んでいった。 「さあ、お前の罪を数えろ」 痛覚を引き受け、まともに働かない神経を肩代わりするフィリップの苦痛を少しでも和らげるため、右手はなるべく使わない。メモリブレイクの衝撃は我慢してもらうしかないが――。 ダブルが走る。右半身に無秩序の知性を、左半身に情熱的な切り札を、その背に仲間を愛する強さを負って。 ――走る。 * * * ガイアメモリって、使用者の情報を記憶してその人しか使えないようにロックされる、と読んだので。フィリップが入っている状態(?)のメモリを操作させてみました。絶対無理な状況(きっぱり)だけど。 これ書いた理由が、かっこいい亜樹子を書きたかったから、とかだと怒られますか。 |