ラストナイト/ダブル これで、決まりだ――。 破片をまき散らし、床を転がるかけら。たった今メモリブレイクしたそれが、最後のメモリだった。 「……終わったな」 翔太郎はつぶやいた。2年間をかけて、ミュージアムが流通させたすべてのメモリを葬り去った。ようやく、風都に平和が戻ろうとしているのだ。長い戦いが、終わる。だが、変身を解除しようとした翔太郎を、フィリップのつぶやきが止めた。 ――いや、まだ残っている ジョーカーメモリを抜こうとした手が止まった。 激戦に入る直前、あのメモリを破壊すればすべて終わらせられるとフィリップは言ったはず。 見上げた天井の暗さよりもどす黒い予感が、翔太郎の胸中を過ぎった。 「まだいんのか、ドーパント」 ――僕の体を持って、今から指示する場所に行ってくれないか 「俺は宅配便か」 ――頼んだよ 意識の波がフィリップのヴィジョンを映し出す。 柱の影で見守っていた亜樹子からフィリップを受け取ると、刃野たちの対応を彼女に任せることにして、地底に埋もれた博物館を歩き出した。 戦闘の余波でところどころ壊れてはいるが、崩落の兆しはない。さすがと言うべきか。 柱が林立する薄暗い博物館は気味が悪かった。足音が無数の残響を重ねて聴覚を跳ね回り、瞳の揺らぎがいもしない敵の姿を暗がりに結ぼうとする。こんなところに長くいたら気が狂いそうだ。 翔太郎たちがメモリを破壊し尽くした今となっては管理するものもなく、得体の知れない展示物――本当にそうなのだろうか――が、がらんとした空間に無造作に陳列されているだけ。もうしばらくすれば、亜樹子の連絡を受けて、警察が駆けつけるだろう。 それまでに、まだ残っているというガイアメモリを破壊できればいいのだが。 隠された階段を登っていくと、広い空間に出た。そこは、ガラス張りの大きな踊り場だった。青い夜闇が空一面を覆い尽くし、くすんだ雲間から氷の欠片のような星屑があふれている。 しばし見入ったのは、翔太郎か、フィリップか。 やがて、フィリップが静かに言った。 ――ここでいい。下ろしてくれないか 「ああ、わかったよ」 フィリップを床に横たえ、変身を解除する。数秒の間をおいて目覚めたフィリップは、なぜか小さなため息をついた。 「寒いな」 「そうか? こっちはさっきまでドンパチやってたんだ。暑いくらいだぜ」 帽子をかぶり直しながら翔太郎は言う。 その間にフィリップは立ち上がり、周囲を確認するように視線を走らせた。何も言わずに階段を登りはじめる。 翔太郎は肩をすくめ、相棒を追った。毛足の長い絨毯に革靴が埋まる。博物館につながっているが、この階段は一体何のために使われていたのだろう。階段を登り切り、長い廊下を進み、大きな扉を開けたその先にあるものは何なのか。 フィリップはちらりと振り返ったが、何も言わなかった。足早に階段を登り、重厚な扉の並ぶ廊下を進んでいく。左右に鎮座する扉の向こうは静まりかえっていて、人の気配は全くない。扉と扉の合間に、思い出したかのように時折かかっている絵画は、何を描いたのかもわからない、よどんだ色彩の抽象画だった。 気分が悪くなりそうだ。 無意識にネクタイをゆるめる。先を歩くフィリップはずいぶんと急ぎ足だが、この異様な雰囲気を何とも思っていないのだろうか。 やがて、廊下いっぱいに広がる大きな扉が見えてきた。それは、年降りた木々を思わせる暗い木材を切り出して作られた、両開きの扉だった。中央には金の光を撓める一対のドアノブが取りつけられていて、それは幼い天使の姿をしている。 「おいフィリップ。何なんだ、ここは」 「……はじまりの場所」 「なんだって?」 扉の前でフィリップは足を止める。 振り返った彼の言葉は、翔太郎が期待していたものとはまったく違っていた。 「亜樹ちゃんに伝えておいてくれないか」 「はぁ? 何を」 「君が作ってくれたたこ焼きは最高だった」 「そんなの……自分で言やいいだろ」 「言う機会がないから言ってるのさ。君ならちゃんと伝えてくれるだろう、翔太郎」 背筋が粟立つ。胸の底が凍りつくような感覚があった。静寂にうねる耳鳴りが、その音を増す。 「どういうことだ、相棒」 低く問いかける。 フィリップは答えなかった。ドアノブに手をかけ――何のためらいもなく押し開く。 蝶番がきしみ、鼓膜に不快な音を突き立てた。扉の隙間から淡い光が忍びこむ。扉の向こうは真っ暗闇で、何も見えなかった。風が動く。だがそれは、ほんの微かな揺らぎでしかなかった。 屋内であることだけは確かだ。生き物の気配もない。 絨毯が途切れ、やわらかく濁った石が敷きつめられた床へと歩み出す。フィリップが数歩を進むと、待ちわびていたかのようにうっすらと灯りがともった。四方の壁の角から、上方へ向かって光の列が伸びる。高い天井にたどり着くと、左右へ広がった。 そこは、広大な吹き抜けのホールになっていた。中央を貫き、気が遠くなるほど長い螺旋階段が遙か頭上へと伸びている。 一段目に足をかけ、フィリップは振り返った。 「この先もついてくるつもりかい?」 「ああ。俺がいなきゃ、ダブルにはなれないだろ。何か他に考えでもあるのか?」 「心配しなくても、戦闘にはならないよ。ドーパントはいないんだから」 「どういう……ことだ?」 フィリップは手を差し出す。その意味がわからず、さしのべられた手とフィリップの顔に視線を往復させた。 「すべてのメモリを破壊する。君の持つボディメモリを、僕に」 これから、ひとりでボディメモリとソウルメモリを破壊しにいくつもりなのか。この階段を登り切った先に、これらを無力化できる装置か何かがあるのだ。 内ポケットからすべてのメモリを取り出し、フィリップに渡す。フィリップはそれを、無造作にポケットにしまいこんだ。背を向けようとする相棒へ、翔太郎は呼びかける。 「最後の瞬間くらい立ち会わせろよ、相棒」 「……看取ってくれるのかい?」 息を呑む。 2年を共にしたボディメモリとソウルメモリ。そのデータを壊し、2度と使えないようにする――それは最後の瞬間といえるはずだ。立ち会いたいと願うことも、おかしくないと思う。 だが、フィリップの言葉には、あまりに大きな違和感があった。 無機物を「看取る」と言ったのが引っかかった。 思考がめまぐるしく動き出す。 擬似メモリをのぞけば、残されているガイアメモリは翔太郎とフィリップが持つものだけのはずだ。ドーパントはいないと言った――つまりはそういうことだろう。だが、なぜ、フィリップから亜樹子への伝言を頼まれ、看取ってくれるのかなどと意外そうに言われるのか。 (……まさか) 翔太郎の顔色が変わったことに気づいたのだろう。フィリップは微かな笑みを浮かべた。 「気づいたね、翔太郎。最後のメモリは、僕自身」 言うなり、階段を駆け上がる。翔太郎はすぐにあとを追った。 「馬鹿言うな!」 腕を捕まえる。フィリップはバランスを崩したが、手すりにすがりつくようにして立ち止まる。勢いよく振り返った。その顔には、空恐ろしいほど晴れ晴れとした笑みがある。 耳元で心音が騒ぎ出した。呑まれそうになりながらも、叫ぶように言う。 「そんなこと、絶対させねえ!」 「なぜ? これですべて終わるんだ。ガイアメモリが作られることは2度とない。ミュージアムは解体され、風都に平和が戻る。大団円だ」 君もそれを望んでいるだろう、と言われて、否定できなかった。風都を愛している。誰ひとりとして泣いてほしくない――。それには、すべてのガイアメモリを抹殺するのが絶対条件だ。 「……だけどな、そこにお前がいなかったら意味ないだろ、フィリップ!」 「僕は元々いなかった」 「そんなことねえ! 俺は……俺たちは……ふたりでひとりの探偵で、仮面ライダーだろ! いなかったとか、そんなこと……言うな」 フィリップの手が伸ばされた。強く腕をつかんだ指を、そっと外される。一段を下りたフィリップは、翔太郎を覗きこむようにして、ひとことずつ区切るように言った。 「あの日……君と初めて相乗りした夜に言っただろう? 僕は君に保護を求めたわけじゃない。すべてのガイアメモリを破壊する手助けがほしかった。僕にはボディメモリが使えないからね」 もちろん覚えている。思い出したくもないあの日。すべての歯車がきしみを上げ、あらぬ方向へと回り出した夜。そして、変わってしまったそのすべてから大切な者を守る力を手に入れた。 フィリップの手をつかむ。 「けどな、お前だって被害者だろ!」 「僕を元にガイアメモリが作られた。それは事実だ」 手を払われる。フィリップは頑是ない子供に言い聞かせるように、静かに告げた。 「地球の本棚と僕は切り離せない。だから、ガイアメモリの製造を防ぐには、これしかない」 「お前はメモリを作らない!」 「僕を利用して作ろうとする人間はいる」 「俺は認めない!」 フィリップは笑った。おそろしく透きとおった笑顔だった。 「君には感謝しているよ。これで……僕の贖罪は終わる」 「……本気で言ってんのか」 肩に衝撃が走る。そうと気づいた瞬間には、視界には天井と螺旋階段だけがあった。フィリップに突き飛ばされたのだ。 受け身をとる間もなく全身を打ちつけ、翔太郎はうめく。頭を打たなかったのは幸運だった。階段がわずかに揺れ、硬い足音が遠ざかっていく。翔太郎は腰をさすりながら起きあがった。 まだ5段程度だから良かったようなものの、もっと高かったらさすがにすぐには動けなかった。 関節がきしむ。戦闘の残滓と階段から落とされた衝撃が、翔太郎の意識を食い始めた。 「行かせねえ」 階段を駆け上がる。だいぶ後れを取ってしまったが、事務所にいることが多かったフィリップと、年がら年中外をかけずり回り、戦闘もこなしてきた翔太郎では肉体的なレベルが圧倒的に違う。 だからすぐに追いつけるはずだ。 だが、翔太郎が荒い息を転がしながら階段を登り切ったとき、そこにフィリップの姿はなかった。短い廊下の先に、無愛想な扉が立ちふさがっている。 飾り気のないドアノブに手をかける。動かしてみたが、ビクともしなかった。 「あいつ、鍵かけやがった……!」 扉を叩いたところで、鍵を開けてくれたりはしないだろう。 軽くノックしてみる。金属でできているようだが、さほど分厚くはないようだ。これならば、何とか破れるかも知れない。 幸い、手元にはスタッグフォンがある。擬似メモリを差しこんでライブモードへと切り替え、扉を攻撃させる。何度か繰り返すうち、少しずつ亀裂が広がり始めた。 長い時間が過ぎる。実際には、ほんの5分程度だっただろうが、翔太郎には10年にも感じられた。少しの遅れが、取り返しの着かない結果を招く。あせっても何一つとして事態が好転しないことはわかっていた。努めて冷静を心がける。何度も自らに言い聞かせた。 何とか通り抜けられそうな穴が開いた。手元に戻ってきたスタッグをねぎらい、迷うことなく穴へと体をねじこむ。切り裂かれた金属の先端が引っかかり、頬を、腕を掻いたが、その痛みもまったく気にならなかった。 扉を抜けた先は、薄暗い空間だった。実験室のような奇妙な部屋だ。そんな印象を受けたのは、用途がまったくわからない機器が壁にそって並べられているからか。 「フィリップ?」 室内に、相棒の姿はない。 部屋の最奥に、小窓のある金属の扉がはめこまれていた。駆け寄り、窓をのぞく。 その奥に、フィリップの姿があった。かつて閉ざされていたあの機械に似た装置が、小さめの体育館ほどの空間に詰めこまれている。 フィリップは、正面の真っ白な炉のような装置の真下で、キーボードを叩いていた。検索しながらなのか、こめかみを叩きながら、右手だけで素早く文字を打ちこんでいく。翔太郎が扉の前にたどり着いていることには気づいていないようだった。 扉を開ける。思いの外大きな音がしてぎょっとしたが、フィリップは振り返らなかった。 「邪魔しないでくれる」 「そういうわけにはいかねえんだよ。わかってんだろ、相棒」 空気の抜けるような音と共に、フィリップの傍らに設置されたボックスのふたが開いた。ずらりと並ぶ差しこみ口に、1本ずつメモリを差しこんでいく。 翔太郎は強く床を蹴った。だが、翔太郎の手が届くよりはやく、ふたが閉められる。がちん、と硬く金属の咬みあう音がして、鍵がかけられたのだと悟った。 「フィリップ!」 相棒を捕まえようとしたが、すでに彼は、パソコン台の奥に設置された細いはしごを登りはじめていた。あとを追うが、登り切ったフィリップは、レバーのようなものを操作して、はしごを外してしまう。 はしごごと後ろに倒れそうになり、翔太郎は慌てて床に飛び降りた。 フィリップは消えることを望んでいる。それをとどめようとするのは、ある意味では翔太郎のエゴだ。わかっている。それでも、あきらめられない。この先の時間には、フィリップが普通の少年らしく暮らせる未来があるかも知れないのだ。 すべてをあきらめ、むりやり課せられた罪を背負って消える必要など、絶対にない。 (亜樹子を泣かせるわけにはいかねえんだよ) スパイダーショックに擬似メモリを差しこむ。ボタンを押し、装置の上部へと絡ませた。 「ほんと、何かに夢中になったお前は、迷惑以外の何ものでもねえよな! 検索ならともかく……自殺なんかに夢中になるな!」 スパイダーの力を借り、突起を利用して装置へとよじ登る。 フィリップは、純白の光を放つ炉の前に立っていた。あざやかな微笑みで、登り切った翔太郎を迎える。 「楽しかったよ、翔太郎」 「馬鹿! お前、少しは俺の話を……」 「ありがとう」 パーカーの裾を翻し、フィリップは炉の奥へと迷うことなく飛びこんでいった。金属のこすれあう音がして、炉の入口が閉まる。 とっさにダブルドライバーを装着した。 白い闇をかき分け、黄色い光に導かれるように、幼い少年が駆けていく。砂浜を歩く家族が振り返った。父親と、日傘を差した母親と、ふたりの姉――彼らの慈愛に満ちた輪の中へ、すべてを奪われた少年は飛びこんでいく。 思考にねじこまれるヴィジョンをはねのけ、翔太郎は走った。 幸せそうな家族の笑顔――これを認めたら、相棒は永遠に失われる。 母親の両腕に抱きしめられた少年、その腕をつかみ、むりやり引き寄せた。母親の腕が離れる。抵抗する幼い手が翔太郎を打つが、そんなもの、痛くもかゆくもない。 ――俺たちを置いていくな、相棒 子供が振り返る。 ――君たちが僕をおいていく ――んなこたねえよ。2度とひとりにゃさせねえ。また一緒に探偵やろうぜ 逃げようとする少年を両腕に閉じこめ、翔太郎はささやいた。 「初めてまともに礼を言われるのが自殺直前ってのは、寝覚め悪すぎるだろ」 弱まる抵抗――翔太郎は幼いフィリップを捕まえたまま、ダブルドライバーを解除した。 金属がひしゃげ、ガラスの割れるような音が幾重にも絡まり、聴覚を席巻する。視界が純白の光に包まれ、翔太郎の意識はかき消された。 気がつくと、灰色の素っ気ない天井が広がっていた。 全身が痛い。ついでに、息苦しい。 起きあがろうとした翔太郎は、胸の上に相棒が倒れているのを見つけてげんなりした。なんで、目覚めの第一歩が美女ではなく、こんなかわいげの欠片もない相棒なんだ。 無事に取り戻した安堵から、胸中でとりとめもない悪態をつく。 「おーい、起きろよフィリップ」 左手でフィリップを揺さぶる。ごろりと落ちて痺れた右腕に思い切り頭をぶつけてくれた相棒は、どうやらそれで目を覚ましたらしい。勢いよく飛び起きる。 周囲を見回し、翔太郎を見下ろし、絶望したようにため息をついた。 「君はあきらめが悪いな。情に流されない鉄の男、それがハードボイルドでしょう」 「知ってんだろ。俺はハーフボイルドなんだよ」 にやりと笑ってみせると、あきらめたようにフィリップも笑った。 「僕を元に、またガイアメモリが作られるかも知れない」 上半身を起こした翔太郎は、小さく肩をすくめて見せた。 「そうならないように、俺たちがお前を守ってやりゃいいんだろ」 「無理だよ、翔太郎」 「俺たちはふたりでひとりだろ。不可能なんかないぜ。亜樹子もいるしな」 騒がしい声が扉の向こうから近づいてくる。どうやら、警察ご一行様が到着したらしい。先導しているのは亜樹子だろうか。にぎやかな女の声が聞こえる。 フィリップもそれに気づいたのだろう。扉の方へと顔を向ける。震えるような緊張をはらんだ目元が、わずかに緩んだ。ほこりを払い、立ち上がる。 「なぜ君は、無力化したはずのダブルドライバーを使えたんだい?」 「さあな。何にしても……」 翔太郎も立ち上がる。機械に入れられたボディメモリとソウルメモリが完全に破壊されているのを確認してから、ふたりは並んで歩き出した。 「今日が終わりの夜……そして、はじまりの夜だ」 扉の隙間から亜樹子が飛びこんできた。まっすぐに駆け寄ってきた彼女は、翔太郎とフィリップの首に飛びつく。 泣きじゃくる彼女をなだめながら、翔太郎は装置を振り返った。 飲みこむべき命を失った巨大な機械は、途方に暮れたように沈黙している。 「帰るか。俺たちの事務所に」 「ああ」 「そうね! もう、いっぱい泣いたらお腹空いちゃった。ね、風麺食べに行こうよ!」 「よーし、今日は俺のおごりだ!」 「やったー!」 亜樹子が歓声を上げ、フィリップの手をつかんで走り出す。半ば引きずられるようにして、フィリップもそれにならった。 ふたりの後ろ姿を見つめ、翔太郎は思う。 (仮面ライダーは今日で廃業だな) 明日からは、ごく普通の探偵事務所として動き始めることだろう。にぎやかな所長と、有能な探偵助手と、ハーフボイルド探偵が所属する、風都を愛する探偵事務所として。 戦いは終わったのだ。 * * * 捏造満載ラストナイト。終わりのLAST、続くLAST、どちらの意味もこめて。 本当は、これ(連れ戻す話)を亜樹子とフィリップで書きたかったんですが、出番を彼女にあげちゃうとあまりにも左が可哀想(相棒として)なので、やはり彼に頑張ってもらいました。 |