守り火 / ダブル



 飾り気のない真っ白な包装紙に、あざやかな緑のリボンを結んで。かさのように繁る葉は、上端の数枚を残して取り除いた。
 帽子をかぶり直す。ハードボイルダーのうしろに積んでいた花束をそっと手に取り歩き出すと、冴えたオレンジに色づいたほおずきの実が気まぐれに揺れた。
 木陰に止めた愛車を離れ、花束を手に森へと足を踏み入れる。うだるようなというのも生ぬるい酷暑に蝉たちが大騒ぎしているというのに、ほの青い靄が時折流れていく森は、不思議な静けさに満ちていた。
 汗が引いていく。ネクタイを片手で直しながら、翔太郎は無言で歩を進めた。
 ダブルドライバーが機能を失い、ロストドライバーを使うようになって、はやいもので2週間が過ぎようとしている。探偵業は相変わらずで、ガイアメモリ関係は一向に落ち着く様子を見せない。
 ばらまいていたミュージアムが消えたのだ、少しは減っても良さそうなものなのに。逆に、重しが失われたかのようだ。
 照井は未だに車椅子だが、超常犯罪捜査課の課長として忙しい日々を送っているようだ。事務所に来る頻度が少し減ったが、その分、亜樹子とは外で会っているらしい。その亜樹子も探偵業にいっそう打ちこみ、一向に大阪へ帰ろうとしない。その理由を、翔太郎は聞かなかった。
 ざわ、と木々が鳴る。吹き抜ける風が枝を揺らし、まだらに降りそそぐまばゆい陽光を揺らめかせた。まばゆい光に目を背ける。一瞬の空白――視線を戻すと、そこにシュラウドがいた。数メートルの距離をおいてうつむき加減でたたずんでいる。
 翔太郎はその場で足を止める。喉の奥に小骨が刺さったような感覚。フィリップの消滅を信じられずにわめいたあの日から、一度も来ていない。
「シュラウド……」
「なにをしに来たの、左翔太郎」
 あまりに素っ気ない声音に、翔太郎は苦笑した。帽子のつばを軽くなでる。彼女なりに気を使ってくれたのかも知れない。
「なに、って言われてもな。園咲冴子のことが、ちょっと気になっただけさ」
「…………」
「連れてったの、あんたなんだろ」
 シュラウドはうつむいた。肩から髪がすべり落ちて頼りなげに揺れる。
 フィリップとの別れをすませた翔太郎が、せめて弔ってやろうと園咲冴子の元に向かったときには、彼女の遺体はすでにその場にはなかった。倒れた草、折れ曲がった細い茎に、人が倒れていた痕跡が残っているだけだった。
 心当たりは、ひとりしかなかった。
「亜樹子が言ってたぜ。いちばん辛いのは母親だってな」
「来人は……」
「……笑顔、だった」
「嘘ね、左翔太郎」
「やっぱりばれるか。ま、笑顔ってのも嘘じゃないぜ。はじめは笑ってた」
「そう」
 シュラウドは小さく首を振った。感情はうかがえない。
「若菜には……」
「伝えてない。あいつが言ったんだ。姉さんには言わないでくれってさ」
「……優しい子。データの体になってしまっても、変わらない」
「ビギンズナイトじゃ、何にも知らない悪魔みたいなガキだったけどな」
「それを変えたのがお前たちでしょう」
 翔太郎は目を丸くする。シュラウドは空を仰ぎ、長いため息をつくように肩を落とした。
「来人を人間にしたのは、お前たちよ」
 帽子の縁をなで、軽く頭を下げた。どう反応したらいいのか、よくわからなかった。サングラスの縁のあたりの包帯が、わずかにくすんでいる。
 翔太郎は礼儀正しく目をそらした。花束を肩に載せる。
「この地球がなくならない限り……」
 わずかに肩を揺らし、シュラウドは顔を上げた。サングラスと包帯に隠された素顔は、きっと、涙に濡れているのだろう。
「フィリップは……俺の永遠の相棒、だとさ」
「そうね。来人の家族は、園咲ではなくお前たち」
「あんたも家族だろ、シュラウド。俺たちとは他人でも、あんたは間違いなくフィリップの母親だ。それに」
 花束を差し出す。ほおずきが歌うように揺れた。教会の鐘の音が聞こえる気がした。夕暮れに響き渡る挽歌と、歌い上げる弔鐘。
「若菜姫の母親だし……園咲冴子の母親だ」
 戸惑うような手に、半ばむりやり押しつける。
「何のつもりなの」
「迷わないように……」
 いや、と首を振る。
「無事に親父さんたちの所へ行けるように、お守りだ」
「左翔太郎……」
「俺は、あんたがどこに冴子さんを埋めたか知らない。だから、俺たちの代わりに、あんたが届けてやってくれ」
 園咲の屋敷の片隅に生き残っていたほおずきを。闇に灯る小さな光を。
 冴子が目にとめたことがあるかも知れない。使用人の誰かが飾ったことがあったかも知れない。誰も気づいていなくても、風都の風が実を揺らして、あざやかなオレンジのそよ風を届けたかも知れないから。
 幼子を抱くように、シュラウドは花束を胸に抱いた。
「届けよう。必ず」
 ざわざわと木々が鳴る。下草を激しく揺さぶり、一陣の風が駆け抜けた。空を仰げば、引っ掻いたように淡く細い雲が、不穏な軌跡を描いている。
「照井の追ってるドーパントのお出ましらしいな……」
「行きなさい」
 その声は、どこか優しい。
 翔太郎は不敵に笑んだ。乱れた髪をさっと整え、帽子をかぶり直す。
「風都は俺の庭だ。相棒が愛した街で、仲間がいて……大切な、俺たちの街だ」
 懐からロストドライバーを取り出す。細い陽光に、鈍く輝きをはじいた。
「ドーパントの好きにはさせねえ」
 不意に吹きすさぶ風、そこに炎が混じっていたように思えたのは気のせいか。顔をかばい、一歩下がる。
 おさまる風に灼けたにおいが混じる。
 目を開けたときには、シュラウドの姿はなかった。あいかわらず神出鬼没だ。以前ほど嫌われてはいないようだが、やはり、受け入れがたいものがあるのか。
 消滅スイッチを押したのは――決断したのは翔太郎だ。覚悟はできていても、無傷とは思えない。
 左手にドライバーを提げたまま踵を返そうとして、その色彩に気づいた。
 円の形に細く焼けこげた草。その中央に、ほおずきの実がひとつだけ残されていた。シュラウドからの贈り物だと言わんばかりに、鮮烈なオレンジ色が輝いている。
 そっと拾い上げ、帽子に入れて歩き出す。
 ベルトのあたりでスタッグフォンが騒ぎ出した。おそらく照井からだろう。
「……今、行くぜ」
 グローブをはめ、メットをつける。
 木陰に隠れるようにたたずむシュラウドが、遠ざかるハードボイルダーを物憂げに見つめる。花束にそっと指を絡めた。
 祈るように。

*  *  *

 いよいよ、明日。
 お姉様の死に書かずにはいられませんでした。