真夜中の白い虹 2/ダブル 空気のにおいがわずかに変わる。窓に目を向けると、淡い影のような線が上から下へとゆるやかに伝い落ちたところだった。 花冷えの雨だ。 デスクと壁の間でうなだれたまま動かない翔太郎を見下ろし、照井は胸中にため息を落とす。 今日ほど自分の判断ミスを憎く思った日はない。 鳴海探偵事務所には3日と日を開けずに通っていたが――もちろん、そのたびにコーヒーをいれるのも忘れなかった――来る度に迎えてくれるフィリップとは違い、翔太郎と会うのは実に1週間ぶりのことだった。 当然、翔太郎の負傷も知らなかった。知っていれば、子供の方をダブルに任せて、自分がドーパントの方へ向かうことも――警察としては望ましいことではないが――できたのに。 無論、悔いても詮ないことだ。時間は戻らない。ならば、善後策を考え、実行すべきだ。 さっさと頭を切り換える。 「フィリップは本気か」 問いかけると、翔太郎はのろのろと顔を上げた。かみあった視線は少なからぬ傷を含んでいる。口の中で何かつぶやいたようだが、声にはならなかった。ゆっくりと体を引き起こし、椅子に座り直す。 深く腰掛けた姿が、妙に子供じみて見えた。 「たぶん、本気だ」 左手で目元を覆い、翔太郎はつぶやくように答えた。 「あいつは、隠しごとはできても嘘はつけねえ」 「そうか。やはり、お前は行かない方がいいな」 全力で反発してくるだろう。予想しつつも、照井はあえて言う。 「はぁ? なに馬鹿なこと言ってんだ。俺が行かないで、誰が行く!」 あまりにも予想通り過ぎる反応に、むしろ唖然とした。右手でデスクを思いきり叩き、痛がるというリアクション付きだ。 ファングが不満そうに頭をもたげる。 ため息を胸の底でかみつぶした。 「フィリップが言っていたのは……お前が来ればお前は死ぬ、フィリップも死ぬ。そういうことじゃないのか」 「俺は死なねえし、あいつも死なせねえ」 見上げてくる眼光は、強い。 根拠のない自信は、一体どこから沸くのだろう。 フィリップの言葉を真実と言い切ったのは、他ならぬ翔太郎だ。それでも自分は死なないし、相棒も死なせないという。どこかで最悪の事態は考えながらも、それを希望で上塗りできてしまうほどの信念。それが彼を支えているのだということは、よくわかっているつもりだ。 我を失った照井を救ったのは、翔太郎の決死のツインマキシマムだったのだから。 どう伝えたものか、と腕を組む。気遣うことには慣れていない。家族を失って以来、心を復讐に凝らせてきた。狭窄した視野は復讐以外の何者も写しはしなかった。楽しみも、未来も、自分自身の姿さえも。 だから、わからない。 不意に、スタッグフォンが鳴き出した。翔太郎が手を伸ばすよりはやく取り上げ、フリップを開く。俺のメールを読むな、と抗議する声を無視し、メールボックスを開いた。 表示された地名と略図に、わずかな胃痛を覚える。 翔太郎にスタッグフォンを渡す。半ば奪い取るように受け取った翔太郎は、インフォメーションウィンドウを見るなりうめいた。 「大風埠頭!? 戦う気満々ってか」 翔太郎の表情がめまぐるしく変わる。何を考えているのか丸わかりだ。 最大の難関は、照井の協力を求める言葉か。本当は難関でもなんでもないが。照井はフィリップを助ける気でいるし、可能なら、翔太郎を事務所において単独で救助に向かいたいと考えている。 別に、フィリップの相棒の座がほしいわけではない。ふたりの結びつきの強さは、何度となく目の当たりにしてきた。その絆を引き裂きたくない。互いに傷つけあう様は、決して見たくはなかった。 もっとも、この事実を口にしたとしても、翔太郎は絶対におさまらないだろう。 自分が同じ立場に置かれたら、絶対に納得しない自信がある。妙に強情なところのある翔太郎なら、なおさらだ。 「何か言いたそうだな、照井」 腹の上で指を組み、翔太郎が言う。本当は今すぐ飛んでいきたいだろうに。切り出す機会をうかがっている。 どのように切り崩す気でいるのか――興味がわいた。もちろん、すでに行く気であることはおくびにも出さない。 「お前が言いたいんじゃないのか」 翔太郎はそっぽを向いた。行儀悪く頬杖をつく。 「……あいつはな、俺がいないとダメなんだよ」 がくんと脱力しそうになり、デスクでさりげなく体を支えた。 なんだ、その共依存のような物言いは。むしろ、自由奔放すぎる相方を心配する恋人のような言葉は。 突然飛び出したあまりにも予想外の言葉に、緻密ながらも飛ばすべきところは数段とばしにする交通のいい思考が、一瞬、ものすごい渋滞を起こした。あちこちで交通事故が起きる。 (……のろけか?) この場に亜樹子がいたら、ものすごい勢いでスリッパ乱舞が襲いかかってきただろうが、翔太郎はもちろん、照井も気づいてない。 正直、聞き返すのは怖かった。だが、訊かねばなるまい。 「聞き間違いか……?」 翔太郎は目をつり上げる。胸元に指を突きつけてきた。 「お前、耳掃除ちゃんとしてんだろうな」 「してないわけがないだろう。半月に1回はしている」 「それで、何で俺の言葉が聞こえねえんだよ!」 「お前が意味のわからないことを言うからだろう!」 「ちゃんと日本語で言ったろ! 何度も同じことを言わせんな! 夢想耳かきとかじゃねえだろうな……ほんとにしてんのか!?」 なんだ、夢想耳かきって。 「俺に質問するな!」 「ほら、やーっぱしてねえんじゃねえか!」 「くだらん質問につきあってられんというだけだ!」 「はぁ!? 下らない? どこが下らないんだよ! 健康上大切な問題だろ!」 「今はもっと大切な問題について話しているだろう!」 「あ」 ずーんと落ちこむ翔太郎につられて、照井もまた落ちこんだ。 こんな低レベルきわまりない――耳かきが重要なのは認めるが――言い争いをしている暇など1秒たりともないというのに。 まったく、読めない男だ。 わしゃわしゃと頭をかきむしり、翔太郎は背もたれに勢いよく体を預けた。 「ていうか、なんで俺たち耳かきの話してんだ……」 「お前が始めたんだろう」 「……悪い」 「いや」 窓辺で小さな雨音が弾ける。雨足もだいぶ強くなってきたようだ。淡い銀の光が斜めに窓を横切り、力尽きたようにすべり落ちていく。 その行く先を見つめ、照井はつぶやくように問いかけた。 「戦えもしないのに行ってどうするつもりだ」 「そりゃあ……そりゃ……」 翔太郎は足下に視線をさまよわせる。 「なんとかすんだよ」 「なんとかってなんだ。相手はドーパントだぞ。ファングジョーカーを下すような相手に生身で挑んで、どうにかなると思っているのか」 「うるせえなあ……お前だって協力するんだろ、照井? 何とかなるし、何とかするさ」 当然のように言われて、本気で胃のあたりが痛くなり始めた。今、このタイミングでそれを言うのか。 眉間のしわが増えるのを感じる。 「協力はする。だが、お守りはしない」 「お、お守りだと!?」 「違うか? 戦えもしない、変身さえできない。お前を連れて行ったところで、足手まといになるだけだ」 翔太郎は忌々しげに舌打ちする。 「俺が行く。お前はここで待っていろ」 フィリップのためにも、それが望ましい。 だが、翔太郎は左手でデスクを叩いた。驚いたようにファングが帽子の中に顔を突っこみ、恐る恐ると言った体でセンサーアイをのぞかせる。 「相棒がピンチって時にじっとしてなんかられねえ!」 「その手足では戦えないだろう。フィリップも……すぐに戦えるとはかぎらん」 リプレイスドーパントによる洗脳は、記憶を強制的にヤスリで削り落とし、そこにねじ曲げた都合のいい記憶を縫いこむような方法だ。傷口は巧妙に繕われ、たとえ見つけ出したとしても分離は容易ではない。 しかも、元の記憶は破壊されているのだ。いくらフィリップでも、侵蝕が進めばどうなるのか、予想がつかなかった。 「そりゃ……そうかも知れねえけど」 「俺がひとりで行く。ここで待っていろ、左」 翔太郎が死に、フィリップも失われる。これほど無駄なことはない。しかも、照井の予想通りなら――翔太郎は、フィリップがひた隠しにしようとした事実に気づいていない。 「……何度も言わせんな。俺も行く。絶対にな。お前が、俺をこの椅子に縛りつけて箱に詰めて鍵をかけていったって、俺は必ず追いつく。追いついて、相棒を助け出す。必ずな」 案の定、だ。 説得が下手な自覚はある。じっくり話すことには向いていない。威圧することでどうにかなるならともかく、相手は翔太郎だ。しかも、彼には意見を曲げる気など毛頭ない。なおのこと説得などできようはずもなかった。 嫌な風向きは、ずっと変わらないままだ。 「あいつは俺の相棒だ。ふたりでひとりの仮面ライダーなんだよ」 今更のように悟った。フィリップが普段あれほど自由気ままに振る舞っていても、いざというとき、心酔という言葉さえふさわしく思えるほどに翔太郎に信頼を向けるのは、左翔太郎という人間の、軸のぶれない強さに常に包まれているからなのだ、と。 時には一方通行に見えがちなふたりの絆は、どちらが欠けても脆くも壊れてしまうほど危うい均衡の上に成り立つ、この上もなく強固な関係性だ。 互いに寄りかかりすぎず盲目的になることもなく、しかし、誰よりも近く深い結びつき。やはり、誰にも壊させたくない。 だからこそ、あえて告げなければならなかった。最悪の選択をさせないために。 「なぜ、ドーパントがお前を呼んだと思う」 翔太郎は訝しげに眉を寄せる。指先でデスクを叩き、落ち着かない様子で室内を見回した。 「俺を始末するためだ。違うか?」 「……お前を、フィリップに殺させるためだろう」 「ふーん……」 さほど意外そうなそぶりも見せない。むしろ、納得した様子でネクタイのほこりをつまんでいる。 その反応には、むしろ照井が虚をつかれた。 「驚かないのか」 「それくらい考えるんだな、ドーパントも」 「……それだけか」 「今更驚いたって仕方ねえだろ。俺は向こうに行きたくて、向こうも俺を呼びたがってんなら、まあ……悪くない」 「相棒に……お前を殺すかも知れない恐怖を味わわせるつもりか!」 空気が変わった。うつむいた翔太郎の肩がわずかに揺れる。 「照井。ひとつ言っておくぜ」 顔を上げたとき、その面差しは、神懸かりの笑みに彩られていた。あくまで眼光はきつく、瞳には柔和な色など一切ない。だが、ほころんだ口元は、本物の笑顔としか思えないほど穏やかだった。 胸の奥で、心臓が大きく脈打つ。その気配に圧倒された。 「あいつがそんな下らねえこと心配してんなら、殴ってでも目を覚まさせてやる。あいつが俺を殺すって? ドーパントがそれを狙ってもな、絶対に無理だ」 これは、畏怖だ。 「俺はあいつを守ると誓った。体だけじゃない、心もな。俺が死んだら、あいつは……」 翔太郎は続く言葉を言わなかった。外された視線が窓辺に向けられる。遙か遠方を見はるかすようなまなざしに、刹那、喪失の痛みをかいま見た気がした。 翔太郎はふっと息をつく。斜めに見上げてくる視線は強い。 「理屈じゃねえ。あいつは俺を殺さないし、俺はあいつを死なせねえ。絶対な」 「なぜ言い切れる」 かろうじてそれだけを問い返す。すると、それまでの圧倒的な気配が嘘のように、翔太郎は乱暴に髪をかき回した。幾度となくそれを繰り返したせいで、毎朝セットに時間をかけているだろう明るい色合いの髪は、すっかりぐしゃぐしゃになっている。 迷うようにしきりに口元に触れていたが、やがて、諦めたように両腕を広げる。 「俺は知ってる。それだけだ」 もう、何も言う気にはなれなかった。 こんなよくわからない理屈に巻きこまれるとは思わなかった。理解はできないが、納得させられている。翔太郎がそう言うのならば何とかなるのだろうと、思わされてしまった。 胸の底で小さな炎が踊っている。悪い気分ではなかった。 「言ったとおり、俺はお守りはしない。どうにかできるのか」 話題を変える。 「あー……まあ、何とかなるだろ。要するに、フィリップを助けて、ドーパントをメモリブレイクすりゃいい」 「ずいぶんと簡単に言う……」 「今はフィリップも落ち着いてる。さっきよりはな」 ぽん、とダブルドライバーを軽く叩く。どうやら意識のつながりは絶たれたらしい、と推測する。それ以上考えるのはやめた。何をしたって、良くない方向へ思考が転がり落ちていくのは止められない。 「それに……あいつがファングを使って暴走したときも、俺が止めた。俺なら、あいつが洗脳されてても……止められる」 たぶんな、と小さくつけ加えられたのは、聞かなかったことにした。 スタッグフォンを見つめているが、まさか、リボルギャリーを使う気でいるのか。フィリップの回収には――そして、万が一のための監禁場所としても――重宝するが、どんなに頑張っても隠密行動は不可能だ。数キロ先から気づかれかねない。 まだ小ぶりなガンナーAに乗せていくことも考えたが、ガンナー自身が嫌がるだろう。どのみち目立つ。 「俺がドーパントを引きつけて……可能ならメモリブレイクする」 「なんだ、可能ならって。ずいぶん弱気だな、照井警視?」 嫌味の混じった口調だったが、不思議と嫌な気分にはならなかった。強気な口調にまぎれた、わずかな不安を感じ取ったからかも知れない。 何せ、ファングジョーカーを戦闘不能に至らしめた相手だ。アクセルでも、長時間とどめておくのは厳しいかも知れない。 フィリップの侵蝕の具合で、取れる行動もずいぶん変わる。もし、元の人格を完全に破壊されていたとしたら、リボルギャリーにでも閉じこめておくしかない。プログラム変更されたらそれで終わりだが――。 何にしても、アクセルが引きつけ、その隙に翔太郎が助け出す。仮面ライダーがひとりしかいない以上、その作戦を採るしかない。 まさか、所長を要員としてかり出すわけにもいかない。警察官でさえ――いや、ファングジョーカーでさえ敵わないドーパントだ。どれほど肝が据わっているといっても、一般人である鳴海亜樹子は絶対に巻きこめない。 「メモリブレイクできるのは、フィリップを保護したあとだ」 「……だな。目の前でメモリブレイクするのは危ない」 進度によっては、ドーパントをかばって飛び出してくる可能性もある。 ふと、翔太郎は天井を仰いだ。何かを引っ張るような仕草をする。何事かと見守る前で、大渋滞を起こしていた翔太郎の眉間がぱっと晴れた。そうだ、と左手でデスクを叩く。 あまりにも弾けたその声に、照井は反射的にあごを引いた。何だか、とんでもないことを言い出しそうな気がする。 翔太郎はベストに手を突っこんだ。取り出したのは、クワガタの姿が描かれた擬似メモリ。 擬似メモリを軽く放り投げ、キャッチする。翔太郎は、とっておきを思いついたマジシャンのような笑みを浮かべていた。 「照井、ビートルフォンは持ってきてるよな」 小さくうなずいてみせる。 「擬似メモリは?」 「……ああ。何をするつもりだ?」 「まあ、見てのお楽しみ……ってやつだな。たぶんいけると思うぜ」 よくわからないが、その自信に賭けてみるのも悪くないように思えた。自分の相棒のことだ、翔太郎自身がいちばん必死だろう。 「下から擬似メモリを全部持ってきてくれ」 腑に落ちた。照井は小さく笑みをこぼし、それを隠すためにわずかにうつむいた。 「ならば、俺にも考えがある」 「ふん、聞かせてもらおうじゃねえか」 「向こうに着いてからだ。今、メモリを持ってくる」 と、ファングが不意に動き出した。弱々しくデスクの表面を掻いていたが、小さな足を踏ん張り、よろよろと立ち上がる。ピンと立ったしっぽを一振り、ついてこいと言わんばかりに吠えた。 翔太郎を視線で制し、デスクから飛び降りようとするファングをひょいとつまみ上げる。 急に腕に抱きこまれたファングは驚いたように仰向いたが、照井が歩き出すと、感謝するように小さく鳴いた。 「おい……」 戸惑ったような声に振り返りもせず、ファングの示すまま玄関へと向かう。 「左」 扉を閉める直前、少しだけ振り返る。いらだったように髪をぐしゃぐしゃにしていた翔太郎は、虚をつかれたように目を丸くした。 「おう」 「リボルギャリーは必要ない。置いていけ」 「……は? あいついないで、どうやって相棒を回収すんだよ」 「メモリブレイクできる。おそらくな」 返事も待たずに扉を閉めた。 階段を下り、外に出る。潮騒を思わせる雨音が、ひとけのない通りに満ちていた。まるで、ひとり取り残されたような灰色の空を見上げ、照井は白い息を吐く。懐に抱いた小さな熱は、はやくしろと言いたげに、腹に頭を押しつけてきた。 なだめるように揺すり上げ、ファングの示すまま2台並んで停まっているバイクの方へと向かう。水たまりは屋根の下にも広がり、しぶきが散るたび不安定に揺らいでいた。ハードボイルダーもディアブロッサにも雨粒が散っている。 ファングはハードボイルダーの前で一声吠えた。後足でしきりに腕を引っ掻いてくる。ハードボイルダーの座席に下ろしてやると、危なっかしい足取りで後方へ向かった。何かを確かめるようにしきりに下方を覗きこんだ後、座席の下の丸いハッチをしっぽの先で叩く。 センサーアイが赤く瞬いた。 「開けろ、ということか」 小さく鳴く。ファングはバランスを崩して転がり落ちた。地につく直前で、何とかすくい上げる。 その場に膝をつき、ブーストジョイントハッチを開けた。窮屈そうにしまいこまれていたものを目の当たりにし、照井は目を見開く。 「これは……」 そこに隠されていたのは、3本のソウルメモリだった。ひとつとして欠けることなく、破壊されることもなくそろっている。 傷ついた体をおして、ファングがここまで持ち帰って隠したのだろう。どのようにして持ち帰ってきたのか――そもそも、持ち帰る隙をどうやって作り出したのかはわからない。 事務所まで持って行かなかったのは、体力がもたなかったからか――。 「これを……知らせたかったのか」 センサーアイの瞬きが停まる。ファングの動きが止まった。 完全に沈黙した小さな戦士を懐へしまい、ソウルメモリを手にした照井は立ち上がった。 細い糸を撒くように、銀の雨が降っている。 嘆きの雨が歓喜の涙に変わることを信じて、照井は事務所へ続く扉を開いた。 * * * 何度目かの目覚めも、フィリップに希望をもたらしはしなかった。遙か頭上では固い雨音が弾け、切れかけた蛍光灯がただでさえ弱った意識を痛めつける。条件反射のように、不揃いな雨音の規則性を探り出そうとする頭が、今は憎い。 |