真夜中の白い虹 4 / ダブル



 エンジンブレードの切っ先がコンテナを切り裂く。はじけ飛ぶ金属片をかいくぐり、アクセルはリプレイスドーパントの眼前に踏み出した。
 足下で不快な音が鳴る。錆びた金属が砕ける感触。
 振り抜いたエンジンブレードに、鈍い衝撃がはじけた。リプレイスドーパントは小さくうめく。返す刃は空を切った。
「意外だな」
 メモリスロットを展開する。
「意外、ねえ?」
 転がるように斬撃をかわしたリプレイスドーパントは、ゆっくりと身を起こす。外見はほとんど変わらないが、蓄積ダメージはかなりのはずだ。光の弾幕も間遠になり、エンジンブレードがその体を捕らえる頻度もだいぶ増えている。
 喉元から足首のあたりまで伸びる2本の光の輝きも、だいぶ弱くなっていた。
 ふと、彼女の動きが止まる。何かに衝かれたように、淡い灰色を帯びた体が一瞬だけ硬直した。だが、すぐに体勢を立て直す。
 アクセルはエンジンブレードを構えなおした。
「ここまでやるとは思わなかった」
『エレクトリック』
 イグニッショントリガーを押しこむ。青白い放電がガイアブレードを包みこんだ。
 強く踏み切る。リプレイスドーパントの反応が、わずかに遅れた。横には逃げられない。背がコンテナに突き当たった。アクセルは頭上に刃を振りかぶり、一気に振り下ろす。だが、返る感触は思ったよりも浅かった。
 コンテナを光弾で破壊し、振り下ろされる刃をを逃れたのだ。リプレイスドーパントの腕に、大きな裂傷が口を開いている。わずかに放電しているのは、逃がしきれなかったダメージか。
 目に見えて動きが悪くなっている。頃合いだ。
「お前をメモリブレイクすれば、子供たちは元に戻るんだったな」
 不審な点はいくつかある。だが、優先すべきは、子供たちの安全確保だ。
 スロットを展開、エンジンメモリをインサートする。
『エンジン、マキシマムドライブ』
 点火するパワー、ガイアブレードが灼熱の輝きを宿す。
 不意に、場違いに明るい音色が響き渡った。虚をつかれ、反射的に顔を上げる。にぎやかな着信音をかき鳴らしながら、ビートルが飛来した。視界の端のリプレイスドーパントは、動きを見せなかった。
「フィリップを助けたか……?」
 ビートルの接近に、まったく気がつかなかった。
 手を一振りし、下がっているよう指示する。だが、着信音を鳴らしながら、ビートルは頭の周囲を飛び回った。このままでは、マキシマムドライブに巻きこんでしまう。リプレイスドーパントの動きを警戒しながら、素早く左手を伸ばした。ビートルの擬似メモリを空中で抜き取り、ぽたりと落ちるビートルフォンをキャッチする。
「待たせたな」
 リプレイスドーパントに向き直る。その気になれば逃れることもできただろうに、彼女はその場を動かなかった。ダブルの存在を警戒しているのだろうか。
 哀惜さえ感じさせる微笑の仮面からは、明瞭な感情は読み取れなかった。
 振り返りざま、エンジンブレードを一閃する。エネルギーの斬撃が灼熱の光を放つ。
 リプレイスドーパントが動いた。目を閉じるように軽くうつむく。両腕を軽く開いた。
「なに……!?」
 とっさにマキシマムドライブをキャンセルしようとしたが、遅い。解き放たれたエネルギーが、激しい輝きを散らしながらリプレイスドーパントに殺到する。
 大地を揺るがす轟音、壁が崩れ、資材が吹き飛ぶ。アクセルは反射的に床を転がった。廃材をかき分け、コンテナを突き飛ばし、床を削る勢いで飛びこんできたのはリボルギャリーだった。炸裂する寸前のエースラッシャーの輝きとリプレイスドーパントの間に割りこみ、その強固なボディで受け止める。
 礼を言うべきなのか怒るべきなのかわからない。鼻先ほんの数十センチのところを、リボルバーハンガーが通り過ぎていった。あの巨体に轢かれたら、さすがのアクセルも無事ではすまないだろう。
 転がった際に手放したエンジンブレードを拾い上げ、立ち上がる。戸惑うように立ちつくすリプレイスドーパントは視界から外さないまま、リボルギャリーを仰ぎ見た。ホイールからは焦げ臭い煙が細く立ち上っている。
「いるんだろう、左。いや……フィリップか?」
「……両方だ」
 妙に気弱な翔太郎の声がする。
 リボルギャリーが展開した。歩み出てきたダブルは、なぜかハンズアップしている。ヒートメタルになると聞いていたが、なぜかその姿はサイクロンジョーカーだ。
 うしろにはフィリップが転がっている。
「あやうくはね飛ばされるところだった。ずいぶん派手にやったな」
「いや、まあ……俺も、ここまでやらなくていいだろっては言ったんだけどよ……」
『僕が目覚めたことなど気づかれているんだ。こそこそする必要なんてないさ』
「ま、そういうこった」
 あいかわらず、相棒には甘い。
 と、リプレイスドーパントがため息をついて仰向いた。諦めたように手首に触れる。ガイアメモリが抜き取られた。淡い青の光が弾け――田原有紗の姿に戻る。
 彼女は、首を傾げるようにして悲しげに微笑んでいた。涙などないのに、泣いているような錯覚。
「結局、目くらましにもならなかったのね」
「……そうでもないさ。相棒の魂をこの目で見なきゃ、信じられなかった」
 ダブルは2本のメモリを引き抜いた。全身が色を失い、ガイアーマーが細かな粒子となって風にまぎれて消えていく。人間の姿に戻った翔太郎は、何とも言い難い表情を浮かべて帽子をかぶりなおした。
 フィリップが身じろいだ。頭を振り、ゆっくりと起きあがる。
 軽く両手を広げる相棒の隣に並び、フィリップは複雑な面持ちで軽く腕を組んだ。
「単刀直入に訊こう、田原有紗」
 馬鹿馬鹿しくなって、照井も変身を解いた。アクセルメモリを引き抜く。
「君は、メモリと命が同調している。違うかい?」
「一定期間メモリを使用しなければ狂気に侵され……メモリが破壊されれば、同調して命を落とす。これが、過剰適合U型」
 過剰適合U型の人間は2度と現れないだろう、と有紗は言う。
 そういうことか、と照井は胸中でつぶやいた。まったく、好きに利用されたようで面白くない。だが、いちばん気にくわないのは、その消極的な自殺に、仮面ライダーの手を借りようと――いや、仮面ライダーの手を汚させようとしたことだ。
 だが、不思議と、翔太郎にもフィリップにも怒りはない。むしろ、戸惑っているように思えた。
 とりあえず座らないか、と翔太郎が誘う。有紗は迷うように視線を落とした。翔太郎はジャケットを脱ぎ、相棒に手渡した。それだけでわかったのだろう、フィリップは苦笑に似た表情をひらめかせ、有紗に歩み寄る。怯えたように下がる有紗の足下に、ジャケットを敷いた。
「そのままじゃ汚れるだろ?」
 ジャケットと翔太郎を交互に見やる有紗に、翔太郎は笑いかけた。彼女の肩に、フィリップは手にしていたコートを掛ける。
 おずおずと有紗が座りこむと、翔太郎とフィリップは並んでリボルギャリーに腰を下ろした。少し迷い、照井もリボルギャリーに向かう。フィリップを挟みこむようにして、左側に座った。
「まず、訊きたい。なんでこんな事件を起こした?」
 有紗は膝を抱えこむ。その姿が幼い少女のように見えて、照井は目をそらした。未だに鮮血を流し続ける、深い傷口が見えた気がした。
「去年の8月……私の子供たちは焼け死んだ」
 頭の奥で何かが弾けた。心音がうなるように脈打つ。
「下の子の誕生日だった。私は、仕事で遅くなって。帰ったら……もう」
「それは……謎の連続火災事件かい?」
 有紗はうなずいた。
 指先が凍るように冷たい。それなのに、胸の中央がおそろしく熱い。感情が灼熱し、今にも理性を振り切ろうとする。フィリップの手が袖口をつかまなければ、立ち上がって問いつめていたかも知れない。
 振り返ると、フィリップの凪いだまなざしにいきあった。そうだ、憎悪はすでに乗り越えた――自身に言い聞かせる。ただ、他の被害者に会う機会があるとは予想していなかっただけだ。
 目がちかちかする。頭の奥で音が撓み、軽い頭痛を覚えた。
(彼女も井坂の被害者か……)
 自らが属する組織にこそ仇がいるというのに、その事実を知らされなかった。敵と同じ力で、罪を犯した。
 ガイアメモリの力の果てには、何の救いもないことなどわかっていただろう。それでもメモリを使うことに抗えず、1度使えばその絶望的なまでに高すぎる適合率に苦しめられた。
 ある意味では、ガイアメモリに適合するためだけに生まれてきた人間とも言えるかも知れない。
 フィリップは黙っている。何かを考えこむように、しきりに唇のあたりに触れていた。翔太郎はそんな相棒を心配そうに見つめていたが、照井の視線に気づいて小さくうなずいた。
 ときどき、左翔太郎が嫌になることがある。単純で、ええかっこしいで、行き当たりばったりで――それなのに、時折、底なしと思えるほどの懐の深さを見せる。自身の中央に打ち立てた信念の柱は、決して揺らがせない。その一本筋の通った強さが、左翔太郎の、左翔太郎たる所以なのだろう。
 自分にはないものだ。少し、うらやましく思う。
 照井が立ち上がると、田原有紗も立ち上がった。ジャケットのほこりを軽くはたき、腕にかける。
 すぐそばに歩み寄っても、彼女は動かなかった。少なからぬ傷を含んだまなざしが、うかがうように見上げてくる。
「自首する気はあるか」
 有紗の目が見開かれた。
 背後で、翔太郎とフィリップが小さく笑う気配がする。ちらりと視線を向けると、フィリップに顔を寄せて何かをささやいていた翔太郎が、にやにやしながらハンズアップした。フィリップは呆れたような視線を相棒に向け、小さく肩をすくめる。その口元は、やはりほころんでいた。
「警察なら、組織の粛清から守れるだろう。相応の立場は覚悟してもらうが」
 近づいてくる足音に振り返ると、フィリップが歩み寄ってくるところだった。
「居場所がわかれば、僕もやりやすい。毒素の除去の検索なんて……ぞくぞくするね」
「ぞくぞくなんて……風邪?」
 心底不思議そうな面差しだった。
 背後で、盛大に翔太郎が噴きだした。つられて唇が緩みかけるが、気合いで引き結ぶ。理解しかねるといった様子で首を傾げるフィリップを背後にどかしておいて、ゆっくりと言った。
「フィリップなら、命を救う方法を見つけ出せるだろう。お前は助かる、田原有紗」
「……参ったな」
 有紗はうつむいた。髪が肩を滑り、さらさらと音をたてる。髪に溜まる光が頼りなく揺らいだ。
「生きるの、悪くない……みたい。ねえ」
「よーし、決まりだ」
 右足を引きずりながら翔太郎が歩み寄ってくる。
 お前が仕切るな、と言いたいところをぐっと我慢した。ふたりが間に合わなければ、メモリブレイクは成功していただろう。田原有紗の命は失われていた。たとえドーパントであっても、その命を軽んじてはいけない。井坂のように救いようのない男ならともかく――田原有紗には、同情できる部分が少しはあるのだ。
 言い聞かせる。彼女は、敵じゃない。
 手錠を取りだそうとして気づいた。
「……リボルギャリーで乗り付けるわけにもいかんな」
 さすがに、風都署が上へ下への大騒ぎになる。一端、鳴海探偵事務所に向かうしかないだろう。ディアブロッサの方が、徒歩よりはまだ示しがつく。
 有紗が一歩下がった。うかがうような、怯えを含んだ瞳。
「少し、時間をくれないかな」
「時間?」
 さりげなく照井の肩を支えにし、翔太郎が問いかける。
「時間って、何の時間だ?」
「……あの子たちのお墓参りがしたいの。逃げたりしないから」
 どうする、と問いかけるように翔太郎の目が動いた。いつもは自分ひとりでさくさく決めて照井やフィリップを置き去りにするくせに、なぜこういうときばかりうまく役割を当てはめてくるのだろう。
 ここで即刻逮捕できるほど冷徹ではないと、分かり切っているはずだ。
 刑事として、望ましい姿ではないのもわかってはいるが――。
「……明日だ」
「明日?」
「明日まで待とう。風都署で、超常犯罪捜査課の照井を呼べ」
 ふっと翔太郎が笑った。肩を強く叩かれる。自爆したくせに、痛いと文句を言われた。
 明日までなら、ぎりぎり何とかなるだろう。大した戦闘力はなくても、田原有紗には冷静な観察眼がある。組織――とはいえ、内部で完全な連携が取れているわけでもないようだ――の粛清から逃れることも、難しくはないはずだ。
 甘いとはわかっている。それでも、信じたくなった。信じてもいいと思った。
「では……明日。待っている」
 必ず、生きて。
 フィリップが身を翻し、リボルギャリーに向かった。照井もすぐに続く。少し遅れて、ジャケットを手にした翔太郎も追いかけてきた。
 スタッグフォンの操作で、リボルギャリーのハッチが閉まっていく。有紗が深く頭を下げた。
 フィリップが胸に手を当てる。戸惑ったように視線を逃がした。正視しがたいといったその様子に、翔太郎が苦笑する。相棒の肩を軽く叩いた。
 ハッチが完全に閉まる寸前、翔太郎が歩み出た。
「なあ、田原有紗」
 彼女はゆっくりと顔をあげる。覚悟を決めた、殉教者のような面差しだった。そういえば、リプレイスという言葉には、いくつか意味があったはずだ。入れ替わること、代理を務めること、それから――。
 嫌な予感が胸をかすめる。だが、その恐れを口にすることはできなかった。
「あんたのしたことは許されることじゃねえ。でも……あんたが悪い人間じゃなくて、よかったと思ってる」
 翔太郎の声は、深く、やわらかい。
 重い音をたて、ボディが完全に閉まった。ゆっくりとホイールが動き出す。
 田原有紗をその場に残し、3人は大風埠頭を離れた。明日には、風都署に彼女が出頭することを信じて。


 だが、その約束は果たされなかった。


 有紗は、大きく壁面の破損した工場に、ひとりたたずんでいた。雨のまばらな空を、雲が薄くなっていく空を、雨足が絶えあえかな陽射しが見え始めた空を見上げ――そうして、一体どれほどの時間が過ぎただろう。
 5分や10分ではない。
 さらに多くの時間が過ぎたそのとき、空気が変わった。
「残念だわ」
 純氷を打ち鳴らすような声に振り返ると、壊れた壁の向こうから、小柄な女性が姿を現すところだった。光沢の美しいピンクベージュのドレススーツに身を包んでいる。ゆるやかに波打つ髪は軽くまとめられ、肩の上で美しく巻かれていた。
「冴子嬢……」
「あなたのメモリの選定眼、高く買っていたのだけれど」
 ばら色の唇がうるわしい弧を描く。
「いらないわね。壊れてしまったのなら」
 咲き初めのばら色の指先で、くすんだ黄金のガイアメモリが鈍い光を放っている。
 仮面ライダーと、少年を引き渡せと命じられた。仮面ライダーに変身するふたりの青年は死体で。少年は、ミュージアムに都合のいいように記憶を書き換えた「地球の子供」として。
 そのすべてを拒み、ここに残った。結果など分かり切っていた。
 後悔はない。覚悟の上だ。
 入れ替わる力、代理を務める力は、すでに使った。残されたもうひとつを使うことに、もう、何のためらいもない。仮面ライダーたちは、この先も、この美しくて怖い街の哀しみをひとつひとつなくしていくのだろう。絶望に涙しても、深手に立ち上がれなくなっても、互いに手を取りあって――そうして、守り続けていくのだろう。
 だから「償う」ために残った。
 こいねがわくは、あの優しい仮面ライダーたちに、1日でも多くの幸せを。ミュージアムの魔の手が届かない、平和な時間を。
 赤き肢体の異形が中空に浮遊する。赤黒い爪の先に灯る光は、禁忌の月。
 指先を離れた光弾が降りそそいだ。
 コートが手を離れる。上向いた視界に淡い青空が広がった。光の粒で漉いたような虹が、壊れた天井の合間にのぞいている。
 有紗は目を閉じる。続く衝撃は、感じなかった。


 キャノピーから顔を出した相棒が、空を見上げて歓声を上げた。
「見てよ、翔太郎! 虹だ……」
「危ないから走行中に顔出すなって言ってんだろ!」
 慌ててウィンドウをしめる。ぶん、と音をたてて、歩道橋が通り過ぎていった。
 油断するとすぐこれだ。いつぞやは、キャノピーから大量のハトが飛びこんできて泡を食った覚えがある。追い出すのに30分、完全に掃除するのに2時間近くかかった。
 揺れる車内でも器用にバランスを取っている照井が、ゆっくりとキャノピーに近づいた。
「虹か……」
 その声音の思わぬ優しさに、胸の内がもやもやする。思った通り、フィリップがすぐに食いついた。
「そうさ、虹だよ!」
「……久しぶりに見るな」
 今にも転げそうな足を踏ん張り、翔太郎も立ち上がった。内側からは、キャノピーの赤色はほとんど見えない。雲間から降りそそぐ天使のはしごもよく見える。
 厚い雲が切れたその向こうには、妖精のクレヨンで描き出したようなあえかな色彩が、大きなアーチを描いていた。

 田原有紗も、どこかで虹を見上げているだろうか。

*  *  *

 
 田原有紗は、当初はテリブルマザーでしたが、めぐりめぐって今のような状態に。最初に起こした簡単なプロットでは「ミミックドーパント」という名前で、もっと悪辣でした。
 リクエスト頂いたsinging sea様、ありがとうございました。とてもやりがいのあるお題でした。生かし切れたかと問われると、私の力不足で申し訳ないですがorz