プルチネルラ/ダブル 照井とフィリップが差し向かいで顔をつきあわせている。どちらも表情は真剣そのもの、フィリップはくすぐったそうに目を閉じて、照井は穴でも開きそうなほど強い視線で真っ向から見つめている。 いらいらと室内を歩き回っていた翔太郎は、思わず頭をかきむしった。 「なんっか納得いかねえ!」 かぶり物がずれて、視界が妙な具合に翳る。むしり取ったハクトウワシのかぶり物をもみくちゃにしながらさらにわめいた。 「俺はハードボイルド探偵、左翔太郎だ! こんなの……ハードボイルドじゃねえ……」 フィリップは振り向くような仕草を見せたが、動くなという照井の言葉におとなしく従う。 何だか、やけに素直だ。柄にもなく緊張しているのだろうか。 (緊張? フィリップが?) あり得ない――と思う。 腹の底で煙がぐるぐる渦巻いた。 考えてみれば、最近、照井はフィリップに検索を頼みによく来る。フィリップはそれを拒まずに力を貸す。外に出ていた翔太郎は、あとで聞かされることが多かった。のけ者にされているようで、ときどき面白くない。 それはともかく、メイクを素人の男がするというのがまずおかしいのだ。 「あー、なんかもやっとする! やっぱ近所のおばちゃんに……」 「やめた方が身のためだ、左」 照井の冷静きわまりない声に、ハクトウワシの首を力いっぱいひねりあげる。 「お前のメイクじゃ不安なんだよ! 俺はこんなんじゃねえか……!」 ワシのくちばしで顔を勢いよく指し示す。 元の人相がわからないほど青く塗りつぶされた顔の下半分に、嫌がらせのように強調されまくったアイライン、あまりにもくっきり過ぎる極太眉毛、ペンキでも塗りつけたように真っ赤っかな鼻の頭と唇――まるで変質者だ。どこからどう見ても変態にしか見えない。 その自信が、翔太郎にはある。翔太郎がこんな姿の男を目撃したら、即座に観なかったふりをするレベルだ。 笑いを誘えるなら、まだ救いがある。下手したらドン引きだ。 このメイクを施したのは、照井。そして、園咲若菜へと変装するフィリップにメイクを施すのもまた、照井だった。翔太郎はメイクなどできないし、先に現場へ向かった亜樹子には、もちろん頼めない。消去法で考えれば、手先が器用な照井に任せるのはごく順当といえる。 だが。 翔太郎は不安で不安で仕方がなかった。 うるわしき花のかんばせどころか、子供の落書きメイクなどという、とんでもない若菜姫ができあがったらどうしてくれる。フィリップは大いにへこむ。うっかりすると、この役を降りると言い出す可能性がある。 亜樹子は現場で待機しているし、他に頼めるような人間もいない。しぶしぶながらも若菜への変装を同意してくれたフィリップの好意を、ファルスでつぶしたくはない。 個人的に、哀れなメイクの相棒はあまり見たくないという気持ちもある。 「お前、本当にまともなメイクできるんだろうな」 「俺に質問するな」 「質問じゃなくて確認だろ!」 感じ悪いな、とうなるが、照井は気にする様子もない。やがて小さくうなずくと、手元の雑誌を確認するように視線を落とした。 紙面には、春の花のように微笑む園咲若菜の姿がある。 「近所のおばちゃんに頼むのはやめた方がいい、翔太郎」 いつの間にか翔太郎を振り返っていたフィリップまでもが言う。 「お前まで言うか……」 何だか裏切られたような気分だ。 だが、フィリップはそよとも揺るがないまなざしで言った。 「君の『ハードボイルド』が完全にくずれるよ」 「……いつもはハーフハーフって馬鹿にしてるくせに、どういう風の吹き回しだ」 なぜだかひがみっぽくなってしまう。きっと、この扮装のせいだ。むくれてワシを被り直す。 これでは、変装と言うよりも仮装――いや、ただの道化だ。おもしろがってこの衣装を選んだ亜樹子と、断固として推した照井が恨めしい。いや、とどめのかぶり物を選んだのはフィリップだから、彼も同罪だ。 それでもフィリップを許せるのは、相棒であると同時に、彼もまた、本意ではない変装をするからだ。 照井はひとりだけまともな服装――いっそ、普段よりよほど刑事らしい――をしている。道化師を変われと詰め寄ってはみたものの、じゃんけん3本勝負でストレート負けしたのは事実だ。 なぜか、フィリップが小さく頭を振る。照井が持つパフが鼻先をかすめ、そこだけ色が変わった。嫌そうにフィリップのあごを捕まえた照井が、あごの方からゆっくりとファンデーションを載せていく。 フィリップが胡乱なまなざしで手を押しのけた。 動くな、と低く言った照井の視線が、一瞬だけ翔太郎に向けられる。 「自分の姿を自覚しているのか、左」 「したくなくてもしてんだよ! このきんきらぱんつと、ぴよぴよ言う棒と、ワシで重てえ頭と、殺人的ショッキングピンクが常にちらついてるんじゃな、忘れたくても忘れられねえ!」 この状況で忘れられるような人間というのは、きっと、あまり多くない。 「そうか」 「いや、そうかじゃねえよ……何が言いてえんだ」 俺に質問するな、と返されるかと思ったが、照井の口元は強く引き結ばれただけだった。妙に手際よくメイクを施していく。 フィリップが口を開いた。喋りにくそうに言う。 「そう。君の今の姿は、全身タイツに妙なかぶり物だ」 「再確認させんな」 「普通の神経を持った警察官なら、お前を逮捕する。間違いなくな」 「あ」 いくら近所のおばちゃんとは言っても、この状態の翔太郎を見て、一目でわかる人はいないだろう。わかられても困るが。そんな変質者が、女の子の姿をした男の子にメイクをしてくれと言う――明らかに状況が意味不明だ。 どこをどう考えても怪しい。ハードボイルドどころか、社会的信用の危機だ。事務所をたたむはめになりかねない。 「ていうかお前らのせいだろ!」 少なくとも翔太郎がこの嫌がらせとしか思えない衣装を選んだわけではない。 だが、ふたりはしれっと聞こえないふりをした。拳を握りしめるが、振り下ろす先はない。照井には投げ飛ばされるのがオチだし、フィリップを殴ってどうする。うっかりファングが来ても困る。 翔太郎はうなった。今の自分の姿では、何をやっても間抜けにしか見えないことを悟りつつ。 こうなったら腹をくくってやる。 「この左翔太郎、一世一代の道化師ぶりを見せてやるぜ」 「ようやく腹をくくったか。決断に時間のかかる男だ」 「うるせえよ!」 今度こそハクトウワシを投げつけるが、軽く首を動かすだけで避けられてしまった。棚に当たって落ちたワシを自ら拾いに行くはめになって、無性にいらいらする。 (あーくそ……ライアードーパントの野郎、絶対許さねえ……!) 翔太郎がかぶり物に地味に八つ当たりしているうちに、フィリップのメイクも無事に完了した。どうだと言わんばかりの照井にハクトウワシを脱いで見せたら、ものすごく嫌な顔をされた。 しゃれのわからない男だ。 移動車に乗りこむ時にもまた一騒動――フィリップ曰くすーすーして動きづらい、どうしたら翔太郎を目撃されずに乗りこめるか――あったが、何とかそれもクリアできた。 照井とフィリップを乗せた車が遠ざかっていくのを物陰からこっそり見送り、翔太郎は大きく息をつく。 格好はふざけていても、心根は真剣だ。ジミーの純真を踏みにじり、ゆきほの献身を散らしたライアードーパントを、今度こそ捕まえる。 「そういや……」 人払いのすんだ通路を――それでもこそこそと――移動しながら、左は小さくつぶやいた。 「ライト、どうすんだ……?」 この作戦では、スポットライトも必要となるが、操作する人員がいない。翔太郎は電波塔の道化師だし、フィリップは園咲若菜、亜樹子は追っかけの少年、照井はマネージャーだ。 まさか、刃さんや真倉を動員するはずもない。 フィリップは「問題ないよ」と自信満々に笑っていたから、万が一にも、クライマックスが薄暗がりで締まらない、ということはないと思うが。 翔太郎が袖に待機して、およそ30分。扉の開く音がした。 舞台は始まった。スポットライトが閃き、翔太郎は勢いよくステージへと飛び出す。 「ハロー、若菜姫! 電波塔の道化師だよーん」 もう、どうにでもなれ! その頃、天井裏にはファングが待機していた。 ご主人様がピンチだと呼ばわる声に目覚めて駆けつければ、ドーパントの姿はなく、言いつけられたのはスポットライト係。 ご主人様のご無体な命令にしょぼくれつつ、ファングは勢いよくスイッチを入れた。 ピンスポットライトの一条が暗がりを切り裂く。 * * * タイトルはイタリアの風刺劇から。 フィリップが若菜姫に変装する、と亜樹子が知らなかったなら、誰がメイクしたんだろう……という疑問から生まれたお話。ふたりの格差が素敵でした。 照井はまだまだ難しいorz |